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2025年11月16日の日記 休息と思考の枠組みについて

 

近況

最近、疲れが溜まっているのでしょうか。体の様々な関節が痛いです。

昨日はボランティアに行ってきたので、今日はゆっくりと休む事にします。

今はコタツに入って、お気に入りの音楽を聴きながらブログを書いています。

貧困ブログ更新や、ドラクエウォークの攻略&ブログ更新などやりたい事は沢山あるのですが、無理しないでおきます。

思考の枠組み

最近、思考の枠組みについて良く考えます。

思考の枠組みとは、物事を見る時の自分の価値決定の基準の事です。

これを一般に「哲学」と呼ぶ場合もありますね。そのような定義であれば「価値決定の基準である宗教」も哲学に含まれる事になります。例えば、一神教では「神」を最高の価値あるものと捉え、正典に記載されている価値基準を求めて生きる事になります。

一方哲学は、様々な角度から物を見て、自分の考えで価値基準を変える事ができます。

以前、生きづらさについて書いた文章で、価値基準を人と異なるものにすると、社会との摩擦が生じ軋轢が生まれる事があると書きました。この意味で、社会は人に何らかの価値基準に従うように求めていると言えます。

法と社会契約・因習

代表的なものは法で、法に従わないと罰せられる事になります。

法も人が作っている訳で、無謬ではないかも知れませんが、お約束として守らなければならないというのが近代の思想です。これを社会契約と呼びます。民衆は政治参加し、政治の責任を引き受ける必要があります。

他にも、文化や宗教が、人に何らかの価値観を持つ事を求めてきます。

これは必ずしも強制ではありませんが、強い同調圧力が働く場合もあります。

そういうのを因習とか呼んだりしますね。

思考の枠組みは自在に変えられます。しかし、人間が社会で生きていくにあたっては何らかの点で社会の求める価値観を組み込まなければならないのかも知れません。

ポピュリズム

翻って、大衆に迎合した生き方は楽かも知れないですが、大衆が間違いを選択する場合はその責任を引き受けなければいけない事になります。尤も、現代においては選挙を通じて政治家を選ぶ民主主義が広まっている為、嫌が応でもそれに従わざるを得ない状況になりがちです。近年ではネットによる政治運動の広がりと、その影響が懸念されています。人々が見る動画などのコンテンツが根拠に基づかず、インスタントな思想を人々に植え付けるものになっているという事です。

(民主主義の問題点を指摘していますが、私は専制政治を支持している訳ではありません)

こうしたポピュリズムの問題や、先ほど書いた文化、宗教による因習の問題が人を生きづらくしています。

結び

そうした状況にあっても、うまく生きている人もいるように思います。

あなたの身の周りにもいないでしょうか?

そういう人は、そうした順守すべき条件をうまく整理しながら、表面的に人と仲良くし、本当に必要な選択の際には自分の価値観を貫き通せる力があるように思います。

 

思考の枠組みを度々疑い、自分の生き方を選ぶ際に、人は先人の言葉を求めたりしますね。それを哲学と呼ぶ向きもあります。哲学書を読む必要が絶対にあるかは分かりませんが、歴史に学ぶ必要はあるでしょうね。

こういう事を考えるゆとりが持てて、今日はありがたいなと思います。

少しは心を落ち着けて考える時間がないと、人の心は乾燥してしまう気がします。

 

それでは、また来週にお会いしましょう。




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