土日はスマホゲームのイベントがあった為、主に散歩に出かけてました。
散歩も小さな旅行と言えるかも知れませんね。
アメリカ大統領選でトランプが勝利し、それに関連してカズオ・イシグロさんの以前の論説が読まれています。
それによると、
「ブレグジットにしても、トランプ主義の台頭にしても、中には半分ジョークを交えながら、「この世には本当にバカがいるもんだ」と怒る人もいます。しかし、私たちはその先にあるものを考えないといけません。そこで起こっている重要なことに気がつかないといけないのです。俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。」
との事です。
身近に住んでいるけれども社会階層が違う人と交流する事を「縦の旅行」と呼んでいる訳ですね。確かにこれは重要そうです。
リベラルな人、インテリ層、経済的な富裕層が同じような人としか付き合わない為に、社会階層が「低い」人の気持ちが分からず、政治が混迷していると言う節にはそれなりに説得力がありそうです。
選挙について以前に書きましたが、リベラル層がそうでない人達を知的に劣っていると馬鹿にしているという事は実際にあると思います。
しかし、そういう人達にも切実な現実があり、自分の力ではどうしようもない問題がある。それをトランプのような人に仮託しなければならないという事なのではないでしょうか。
是非、私の文章は適当に斜め読みしても良いので、カズオ・イシグロさんの文章は読んでいただきたいと思います。
さて、私なりにもこの問題を考えてみましょう。
縦の旅行が重要な事は分かりました。でも、横の旅行すらできない貧困層はどうやって、知的階級の人と交流をしたら良いのでしょうか。お金もないし、車も所有していないかも知れませんね。知的階級や富裕層が訪ねてくるのを待っているしかないのでしょうか。
一つは、本を読んだり大学に行って学ぶ事が重要ではないかと思っています。
しかし、中には経済的に困窮しているだけではなく、知的に障害があったりして学問を修める事ができない人もいそうです。
そうなってくると、私が週に一回行っているようなボランティア活動を通して人と交流するとかが思い浮かびます。
精神科医にもそうしたコミュニティを持つ事で孤立を防ごうという考えを持っている人もいます。
私は別に特定宗教を勧めるつもりはないのですが、これは結局「教会」ではないかと思います。様々な社会階級の人が、互いに愛し合い、助け合う。同じ活動を通して理解を深めていく。そういう意味で、宗教には一定の合理性があったのではないでしょうか。