「南杏子が描く医療現場」として紹介する作品の第二弾は、南杏子『ディア・ペイシェント』(幻冬舎文庫、2020年)です。川崎市にある民間総合病院「佐々井記念病院」。「患者様プライオリティー」を唱える高峰新事務長(元エリート銀行マン)の方針が、病院の隅々までいきわたってはいるのですが、患者(ペイシェント)のクレームは後を絶ちません。半年前、同病院の常勤内科医になった真野千晶は、それまで大学病院にいたころとは違い、患者との向き合い方に多くの神経を使わざるを得ない毎日を過ごしています。そんな彼女の気苦労が浮き彫りにされていきます。また、30代の半ばになった彼女は、もう少し大きな病院で経験を積み、内科医としてさらに腕を磨くのか、それとも74歳の父に代わって、富士河口湖町にある診療所を継承して町医者になるのかという意味でも岐路に立たされています。医師の考え方や医療現場の最前線などがリアルに描かれたお仕事小説です。NHKドラマ10 で2020年7月17日から9月18日まで放送された『ディア・ペイシェント〜絆のカルテ〜』(主演は貫地谷しほりさん、 出演は内田有紀さん)の原作。
[おもしろさ] クレームの具体例を挙げると… …
「食事がまずい」「隣のベッドで寝ている人のいびきがうるさくて眠れない」「天井の電気が明るすぎる」「エアコンがきいていない」「エアコンがききすぎている」。そういたクレームは、なんとなく理解できるように思われます。ところが、本人の治療とは無関係の精神安定剤を欲しがる患者、母親が膝が痛くて歩こうとしないので、「湿布を出してよ」と言い放つ患者、すでに勤務が終わった医師の名前を出して、「いつもの先生を呼びなさい」と命令口調の患者、すぐに訴えると息巻く「即・訴訟症」の患者といったレベルになると、読者も医師に対する同情を禁じえなくなってしまうのではないでしょうか? しかしこの作品では、さらに想像を絶する、信じられないクレームが次々と出てくるのです……。本書の特色は、まったく誇張ではないクレームの数々と、それらへの対応に四苦八苦させられてしまう医師たちの姿が描写されている点にあります。
[あらすじ] 患者を「S・M・L」に仕分けする医師たち
真野千晶が勤務する佐々井記念病院は、ベッド数百五十の中規模医療施設で、地域医療を支えている民間の総合病院です。診療のみならず、研究や教育のウエイトが大きい大学病院とは異なり、市中病院の場合、重点が置かれるのはもっぱら診療ということになります。事務長によれば、地域医療の担い手となっている病院なので、患者の獲得競争に勝ち残るためにも、全スタッフは患者の要望に応え、「患者に選ばれる病院」になる必要があると考えられています。もっとも、医師たちの間では、患者は「S・M・L」に仕分けされています。Sは「スムーズ」の略。「要領よく病状を伝えてくれて、こちらの説明もすぐに理解してくれる患者」のこと。Mは「まだるっこしい」の略。「病状説明の手際が良いとは言えず、世話の焼ける患者」。問題はLです。Lとは、「Low pressure」(低気圧の意味)のL。来院した瞬間から災厄を振りまく人、知らぬ間に手に負えないほどに成長してしまう人、最初から「何かあれば訴えてやる」と身構えている人などが該当するようです。クレーマーのなかで、心底困ってしまったのは、座間敦司(49歳) という名の患者です。彼の要求は、どんどんエスカレート。ついに千晶への個人攻撃になっていき、もはや「恐怖」をまき散らすとしか例えようのないものに変質。さらには、佐々井記念病院の存亡にかかわる大事件へと、事態が進行していくことになっていくことに。