女性医師を主人公にした優れた作品を多く上梓されている作家の南杏子さん。医療小説には、一般の人にはなじみのない専門的知識がふんだんに盛り込まれています。そのため、書き手には、医師や看護師などとして、実際に医療に携わった経験のある方々がおられます。彼女もまた、医師としての経験が作家としてのバックボーンになっています。興味深いのは、彼女の場合、いったん育児雑誌の編集の仕事に携わったあと、イギリスでの生活を経て、30歳代になってから東海大学医学部に入り、医師としての道を進まれたという経歴です。しかも、スイスで医療福祉互助会顧問医として、いわば日本の医療現場を相対的に見つめることができる経験をされておられます。今回は、これまでの医療小説のなかでは希薄であった、終末期医療や在宅医療を題材にして、独自な作品世界を切り開かれた南杏子さんの三作品を紹介します。
「南杏子が描く医療現場」として紹介する作品の第一弾は、南杏子『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』(幻冬舎文庫、2018年)。ご自身の介護体験や、医師として多くの患者たちと向き合った経験をもとに書かれた著者のデビュー作。人生の最期の日々を穏やかに送れるように手助けしたり、患者たちのささやかな希望を大切にしたりすることができる終末期医療の大変さと大切さが見事に描かれています。「サイレント・ブレス」とは、「静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉」とされています。
[おもしろさ] 死が近づいている患者に、医師ができることは?
医療というのは、患者の抱える病気の原因を究明し、それに見合った治療を施すことで、病気を治すという行為にほかなりません。そのため、医師は、たとえ可能性が低くても、難しい手術を行ったり、新しい薬を使ったり、考えられるさまざまなやり方で病気を治そうとするわけです。だから、患者が死んでしまうと、どうしても「負け」だと思い込んでしまうようです。ところが、終末期医療には、そうした医療の常識が当てはまらないケースが多々あります。そのため、医師の方も、「患者が真に求めていること」や「患者の思いを尊重すること」に十分に対応できず、戸惑い・迷いを余儀なくされてしまうのです。死にゆく患者にとって、医師の存在価値などあるのだろうかと、医師の役割に疑いを持ってしまうことも起こりえるわけです。本書の魅力は、そうした終末期の患者たちに寄り添った医療とはどのようなものなのか、大学病院の医師とは異なり、終末期治療に携わる医師に求められるのはなにかという、非常に大きな課題と真っ向から向かい合っている点にあります。
[あらすじ] マンション一室の小さな診療所に異動になった倫子
新宿医科大学病院総合診療科に勤務する水戸倫子37歳。「とにかくひとつでも多くの医療知識や技術を身に付けたくて、突っ走ってきた十年」でした。患者の命がかかっているので、プライベートを優先することはできませんでした。自分の誠意は、少なくとも病院にだけは認められていると信じていたのですが、それも思い過ごしだったようです。3週間前、大河内仁教授に呼び出され、「むさし訪問クリニック」への異動を言い渡されたからです。病院ではなく、ちっぽけな診療所だったことにショックを受けた倫子。「何がいけなかったんでしょう。一生懸命やってきたつもりですが… …」の言う倫子に対し、大河内は答えます。「まあちょっと聞きなさい。むさし訪問クリニックはね、3年前に僕が試験的に始めた在宅部門だ。これまでは大学が在宅医療なんかに直接手を付けることはなかったけどね。超高齢化社会で、大学病院といえども地域のニーズを無視できなくなったんだよ」と。教授に逆らうのは医局を辞めることと同じ。渋々ながらも異動を受け入れざるを得ませんでした。むさし訪問クリニックを訪れると、そこは古びたマンションの一室でした。「こんな所で、いったい何を学べるというのか」と嘆く倫子。月に何回か定期的に自宅を訪問し診察を行うという在宅専門と考えられているので、外来患者が訪れることはあまりないようです。診察用のベットもレントゲンもありません。同診療所の常勤スタッフは、医師の倫子、事務の亀井純子(亀ちゃん)、看護師の武田康介(コースケ)の三名のみ。こうして始まった、倫子の驚きと戸惑いの毎日… …。たくさんの試練のかなたに、新たな希望の光が見てくることになっていきます!