「はじめて物語」の第二弾は、若山三郎『菓商 小説 森永太一郎』(徳間文庫、1997年)。エンゼルマークで知られている森永製菓。その創業者で、「キャラメル王」と称された森永太一郎の一代記。艱難辛苦の連続だった彼の生涯、後世に伝えられるべきさまざまな教訓の数々、アメリカで洋菓子の製造に関わり、習得するまでの道のりなどが描かれています。なお、著者の若山は、本書以外にも、①大倉財閥を創った大倉喜八郎を素材にした『政商』、②セイコーの創設者・服部金太郎を扱った『セイコー王国を築いた男』、③浅野財閥を創業した浅野総一郎を扱った『人われを事業の鬼と呼ぶ』、④東武鉄道を中核とする東武グループ創設者である根津嘉一郎を扱った『東武王国 小説根津嘉一郎』などの伝記小説を書かれています。
[おもしろさ] 太一郎の人間力形成に寄与した二人の人物
幼いころ、遠縁の山崎文左衛門の家に住み込み店員として雇われた太一郎は、「商人の道」を歩むための四か条を告げられます。「一、どんな場合でも、正当な商品だけを扱い、不正直なものを売買しない。二、目先の利益に釣られて、粗末な品物を扱わない。三、正当と信じて付けた値段は、お客から何と言われても下げない。四、仕事を急がず、十年を一区切りと決めて堅実にやる」。解説者の渡辺一雄さんも指摘しているように、文左衛門の教えを忠実に守って、太一郎はキャラメル王になっていきます。彼の成功に大きく貢献したもうひとりの人物は、アメリカ人のブルーニングでした。太一郎に洋菓子の製造技術を教えただけではありません。将来、日本に帰国して開業することを考えている彼に、二つのアドバイスをします。ひとつは、地価の高い繁華街に店を出すのであれば、大きな資金を必要としない「卸売」から始めた方が良いこと。もうひとつは、当初は、3分の1の資金でスタートし、軌道に乗れば次の3分の1を使い、残りの3分の1は万一に備えて持っておくのが良いというものでした。さらに、太一郎の生き様自体が、商人・経営者としての人間力形成にとって大いに参考になります。「我慢の枝に花は咲くとよ」といった言葉も印象的!
[あらすじ] 成功するまでの艱難辛苦と試行錯誤
京王元年(1865年)に、肥前(現・佐賀県)伊万里の豪商の家に生まれた太一郎。が、幼くして父を亡くした彼は、辛酸をなめ、行商から人生をスタートさせます。のちに横浜に出て結婚し、ひょんなことから、23歳の時、単身で渡米。「1ケ月ほどで九谷焼を売り尽くして、その利益を日本に持ち帰り、念願の独立を果たす」というのが、太一郎の計画でした。その目論見自体は破たんするのですが、アメリカで洋菓子と出会うことになります。きっかけは、サンフランシスコのある公園内の小道でアメリカの婦人(ミセス・ダニング)と偶然出会ったこと。彼女からもらったキャンデーの美味しさに感激し「洋菓子の職人になろう!」と決めたのです。そして、クリスチャンに改宗。やがて、9年の時を経て、ついに家族と暮らすことになった太一郎は、明治32(1899)年に、「森永西洋菓子製造所」を創業。まずはマシマロー造りから取り掛かります。その後、試行錯誤の末、広告を巧みに活用しつつ、日本における洋菓子界のパイオニアになっていきます。