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2023年度 静吉チャンネル プレゼンツだよ😍
AmazonPrime VideoでPLAN 75を観た。
PLAN 75は2022年6月17日よりロードショウとなっていたようだ。
PLAN 75とは要するに75歳になったら生死を選択できるという制度と言うより、75歳以上になったら死ぬことも選べるという制度だ。
PLAN 75は強制的ではないというところが現代だが、すでに老人は少子高齢化により国の負担でしかないかのような現役世代1.3人で1人の高齢者を支える時代が到来と触れ回り、報道などもその周知に熱心なことこの上ない。
結果はつまり現代の姥捨山論争のようなものだろう。
過去に姥捨という話はあるがこれとて真偽は定かでないが、現代にまさか本当に姥捨てどころではなくて集団自決すべきだとは比喩としても適切とも思えない。
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■現代日本の〈選別〉と〈共生〉の狭間で
映画『PLAN 75』は、その仮想的な制度によって「国家が命を制度化する」ことへの問いを観客に投げかける作品である。
重要なのは、この制度が**“任意”である点だ。
国家は「あなたが望むなら死ぬ自由を差し上げますよ」と微笑むが、そこには強制的でないがゆえに自己責任という名の圧力**が潜んでいる。
現実世界の日本でも、表向きは「個人の自由」「自立」が強調されるが、実態としては「支援を必要とする声」に対する排除や冷淡さが際立っている。
高齢者に対して「まだ生きてるの?」と冷笑するような雰囲気がネットでは蔓延し、まるで“老い”そのものが国家の重荷であるかのように語られる。
では、本当に高齢者は“負担”なのだろうか?
■高齢者は「コスト」なのか?
確かに医療費・介護費・年金の支給は国家財政にとって重い。
けれども、それは単に高齢者が多いからではなく、構造的な失策と設計ミスの累積が招いた結果だ。
長年積み立てた年金は“積立方式”ではなく“賦課方式”で運用されてきた。つまり、現役が高齢者を支える「世代間の信頼」に基づいた制度だった。
しかし、その制度を選んだのは国であり、調整を怠ったのもまた国である。
加えて、年金財源の一部が高度経済成長期の“箱物行政”に流用されたという過去がある。運用益を最大化するどころか、政治的な都合によって曖昧にされてきた面も否めない。
高齢者が「もらいすぎ」なのではない。
国が、もともとの制度設計と運用を誤ってきたのだ。
■若者VS高齢者という虚構の対立
そして今、「高齢者を支える若者がかわいそう」という言説が加速している。
確かに、若者が受ける経済的・精神的圧迫感は実在する。
しかし、その怒りの矛先を「高齢者」に向けさせている構図には注意が必要だ。
なぜなら、その対立構図は政権運営や制度維持の責任を曖昧にし、当事者同士を分断させるためのものだからである。
人々が「自分より弱い者」「負担になる者」に不満をぶつけている間に、本来問うべき「国の責任」は見えづらくなる。
これはどこの国でも起きる分断戦略の常套手段であり、歴史的に繰り返されてきた現象だ。
■『PLAN 75』が私たちに問うもの
『PLAN 75』の真の恐怖は、「自分の命に値札が貼られる社会」が“とても静かに”やってくるという点にある。戦車も銃声もない。
ただ、静かに、「あなたの居場所はもうありませんよ」と耳元でささやかれるだけだ。
私たちはいつから「人の命の価値」に優劣をつけるようになってしまったのだろう?
若さや生産性がある間だけ社会に歓迎され、老いたら「自己責任で退場を」という声が聞こえるようになったのは、果たして“進化”なのか、それとも“退化”なのか。
■未来は私たちの選択で変わる
社会が制度をつくる。制度は空気を変える。そして空気は人の心を変えてしまう。だからこそ、いま『PLAN 75』という映画が突きつけているのは単なる制度批判ではなく、「あなたはどんな社会を選びますか?」という問いそのものである。
国に文句を言う前に、私たちは国に“委ねすぎた”責任を背負い直さなければならない。老いゆく人々を排除する社会か、それとも支え合う社会か。
それは、政治家でも官僚でもなく、私たち一人ひとりの選択の積み重ねでしか変えられない。
■結語:殷鑑(いんかん)、遠からず。
今日あなたが若者であっても、明日は誰かの“老い”を生きることになる。
誰かにとって不要となった制度が、いずれあなたをも不要とするかもしれない。
そしてそのとき、あなたの命が数字や効率の中で“計算される”ことを望まないなら、いま、この制度を問い直さなければならない。
『PLAN 75』の静かな叫びを、聞き逃してはならない。
『PLAN 75』が映し出す日本社会の未来:高齢者政策と世代間の分断を考える
映画『PLAN 75』は、75歳以上の高齢者に対し、任意で安楽死を選択できる制度が導入された近未来の日本を描いています。
この作品は、少子高齢化が進む現代日本において、高齢者を「負担」と捉える風潮や、社会全体の価値観の変化を鋭く描き出しています。
高齢化社会の現状と課題
日本は世界でも類を見ないスピードで高齢化が進行しています。
総務省統計局のデータによれば、2023年4月1日現在、15歳未満の子どもの数は前年より30万人少ない1,435万人で、1982年から42年連続の減少となり、過去最少を記録しました。
一方で、65歳以上の高齢者人口は増加の一途をたどっています。
2025年には、65歳以上の高齢者が総人口の約30%を占めると予測されています。
このような人口構造の変化は、年金制度や医療・介護制度に大きな影響を及ぼしています。
年金制度の現状と課題
日本の公的年金制度は、現役世代が支払う保険料を高齢者の年金給付に充てる「賦課方式」を採用しています。
しかし、少子高齢化の進行により、現役世代の負担が増加し、制度の持続可能性が懸念されています。
日本年金機構の中期計画では、年金制度の安定的な運営と、無年金・低年金の防止が重要な課題として挙げられています。
また、年金資金の運用に関しても、過去には箱物行政への投資や運用の失敗が指摘されており、国民の信頼を損なう要因となっています。これらの問題は、年金制度の改革とともに、運用の透明性と効率性の向上が求められる背景となっています。
世代間の分断と社会の価値観
『PLAN 75』が描くように、高齢者を「社会の負担」として捉える風潮は、現実の日本社会にも存在します。
SNSやメディアでは、高齢者に対する否定的な言説が見られ、若者と高齢者の間に分断が生じています。
しかし、このような対立構造は、制度の問題を個人の責任に転嫁し、根本的な解決を遅らせる要因となりかねません。
高齢者が長年にわたり社会に貢献してきた事実を忘れず、世代間の連帯と協力を促進することが、持続可能な社会の構築には不可欠です。そのためには、年金制度や医療・介護制度の改革だけでなく、社会全体の価値観の見直しが求められます。
結論:共生社会の実現に向けて
『PLAN 75』は、静かに進行する高齢者排除の社会を描きながら、私たちに問いを投げかけています。
高齢者を支えることは、将来の自分自身を支えることでもあります。
世代間の対立ではなく、共生と連帯を基盤とした社会の実現に向けて、私たち一人ひとりが考え、行動することが求められています。
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この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
