複数の賞を受賞したりノミネートされる作品は珍しくはないが、本作のように幻想、SF、ミステリーと、ジャンルが大きく異なる賞で高い評価を受ける作品は稀だ。しかし、本作を読めばその理由がよくわかる。なぜなら、SF的にも、幻想・ファンタジー的にも、ミステリー的にも、とにかくめちゃくちゃにおもしろいからだ!
翻訳フィクションとしては間違いなく今年ベストの傑作──それも、ミステリとしてもSF的にもファンタジー的にも──だし、後の紹介を読んでもらえればわかるが、進撃の巨人的な世界観構築や能力バトル的な魅力も持ち合わせているのだ。単行本だけあってちとお値段がはるが、おもしろいことは保証しよう。
簡単なあらすじ・世界観など
物語の舞台は、個体ごとに形が異なるリヴァイアサンと呼ばれる巨獣が時折人類の文明圏を襲ってくる、異世界。なぜリヴァイアサンが地上に侵攻してくるのか、これがどのような生き物なのか、すべてが謎に包まれている。その中でも、神聖カナム大帝国は、防壁と大砲を構築し、倒された巨獣の染み込んだ大地から生える奇妙な草木を利用した生体改変技術を発展させることで、類稀なる記憶力や数理能力、身体的な力強さを増大させた人々を使って、なんとか攻勢を凌いでいる。
物語の語り手は、書名にも入っている記銘師のディンだ。記銘師とは生体改変技術の中でも浸染(サフュージョン:永久的かつ不可逆的に人を変えてしまう、侵襲性の高い改変方法)を受け「卓越者」と呼ばれるうちのひとりで、見たものすべてを記憶する能力を持っている人々を指す。その相棒にして探偵役となる捜査官のアナは、すばらしい推論能力を発揮するが、情報を制限したほうが都合がいいからといって普段は目隠しをしている変わり者。ホームズばりにエキセントリックな人格で、ディンから情報を得て安楽椅子探偵のようにさまざまな事件の真相を導いてしまう。
異世界ならではの描写を、じっくりと描き出していく
そんな二人がコンビを組んで最初に担当することになる大きな事件が、体から木々が生えて死んでいた、技術省高官の不可解な死亡事件だ。この世界では「浸染」は、人体だけでなく動植物の改変にも用いられている。たとえば、成長をはやくするように改変できたらその分たくさん収穫できるわけで、われわれの世界と同じと言える。しかし、この世界では時に「浸染」は暴走し、制御不可能になることがある。
たとえば、〝班硝子〟(ダップルグラス)と名付けられた、ものすごく急速に成長する浸染を施された草は、かつて肥沃な土地として知られたオイパット州の土壌を侵食し、野生動物を侵食させ、人間をも殺したという。人間を内部から突き破るような急速な成長をした記録はないが、今回の殺人事件にはこうした浸染と「変異感染」と呼ばれる事象が関係してくるのかも知れない──と、アナとディンが調査を進めるうちに、物語は帝国の安定を揺るがす壮大な事件へと発展していくことになる。
何しろ、最初はたったひとりの怪死事件かと思いきや、調査を進めていくうちに、対リヴァイアサン防衛の職についている10人の技官も同様に木になって死んだという報告が入ってくるからだ。その結果として防壁は内部から揺るがされ、リヴァイアサンが最初の防壁を突破してしまう。はたして、なぜ突然技官は殺されねばならなかったのか? リヴァイアサンが帝国内に上陸したらどうなってしまうのか──。
リヴァイアサンが日常的に脅威となっている世界
本作で重要なのは、この「リヴァイアサン」の存在だ。リヴァイアサンは毎年雨季になると東の海から姿を現し、一体また一体と海岸へ迫ってくる。大帝国は雨季になるたびに大砲や技官たちが築いた防壁でこれに対抗し、進入を食い止めてきた。
単に特殊能力者らが存在する世界で特殊な殺人事件を描き出したい、というのならば、リヴァイアサンは出す必要がない。しかし本作においてはすべての設定の基礎にリヴァイアサンが存在する。生体改変技術も、国の統治機構も、利権も、格差も、実験や調査も。そして、人々の意識の奥深くにその存在が染み込んでいる。そうした、「リヴァイアサンが存在することが前提」である世界の描写が、本作はすばらしい。たとえば下記は、工学地震計の揺れをアナとディンが眺めているシーンだ。
「そう」アナが低い声で言った。「わたしたちが目にしているのはね、二百リーグ離れた海底の揺れなんだよ。リヴァイアサンがゆっくり海の底をかき回しながら、海岸をめざして進んでるってこと」
わたしは跳ね返る錘を見据えた。単調な弦の音が、突然やけに甲高く響きはじめた気がした。
「でかいやつだ」アナが言って、にやりとした。「臨海防壁がもつといいけどね」p/60
ディンはこの地で暮らして長く、わずかに地面が揺れていても、日常となってしまっておりその揺れに気がつかない。これは地震が多すぎて揺れに慣れてしまった日本人を思わせる描写だが、そういう意味で言うと、リヴァイアサンは地震や津波の象徴と読むことも可能だろう。不定期に襲いくる巨獣と、そのための何層にも隔たった防壁と生体改変技術といった設定的に本作は『進撃の巨人』を思わせるが、個人的には『ファイナルファンタジーⅩ』の方がイメージ的には近い。*1
キャラも良し!
世界観と同じぐらいすばらしいのが本作のキャラクタ周りの魅力で、アナはディンの完全記憶能力を頼りに、殺人現場の屋敷の端から端までの歩数や、家政婦の利き手など、様々な細かな情報を元に事件の真相を見出していく。探偵としての特徴的は、動機や犯人に注目するのではなく、物質の動きに注力するスタイルにある。
ただ、人間の狂気は読めないからね。動機をあれこれ推測するなんていうのは、バカのやることさ。だけど、どんな手段でやるか──それは物質の問題だ。現実の空間で、現実のものが動く。ある場所でどうやってナイフが鍛えられ、どんな経路でこの地方を移動して、ひとりのろくでなしの喉に突き立てられることになったのか、そこには具体的で明確な事実がたくさんあるんだよ。p.84
厭世的なタイプかと思いきやアナがどうして今の独立独歩の捜査官(階級は少佐)立場になったのか、その来歴が──アナがどんな浸染を受けたのかといった謎まで含めて──明らかにつれて、世界観と絡んだ意外な側面が見えてくる。それは一見真面目なワトソン枠のディンも同様で、信じがたい無能さと有能さの両面を示しながら、読み進めていくうちにきなくさい背景と能力が明らかになっていき、物語はロジカルな能力バトル物としての魅力まで獲得していく。
おわりに
世界観構築良し、キャラクター物のミステリーとしての質良し、能力バトル的な側面も実は素晴らしい──となったら、そりゃもう傑作と言わざるを得ない。
本作は実は五部作を予定しているようで(26年8月に三部作目が原書で刊行予定)、本作だけではこの世界自体にケリがついたわけではない。五部作です! とか言われると、僕なんかは「え〜まだそんなにあるのか〜」と大変だなと思うことも多いのだけど、本作の場合は「まだこの世界の物語が4作も読めるのか!」と嬉しくなってしまった。浸染(サフュージョン)、班硝子(ダップルグラス)など日本語訳も素晴らしく、本作の独特の世界観を独自に構築することにも成功している。
ぜひ今後の刊行にも期待したいところだ。
*1:個人的に、FF10はストーリーとか何よりもまずその圧倒的な世界観構築とヴィジュアルの強い作品として印象に残っている。シンによって破壊された各地のむら、街は津波に襲われた土地を思わせ、水に溢れた廃墟となった世界を、めぐっていく。避けられぬ災害と向き合った作品で、本作(『記銘師ディンの事件録』)と響き合うものがある。