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記憶を失う代わりに、不死を得るか? クリストファー・プリースト中期の代表作、待望の邦訳!──『不死の島へ』

この『不死の島へ』は、『奇術師』や『夢幻諸島から』といった作品で知られるクリストファー・プリーストの六作目の長篇作品だ。プリーストの作品は年間SFランキングムックの『SFが読みたい!』でも何度も一位や二位をとっているし、受賞歴も数しれず。本邦でも高く評価されている方の作家だと思うが、それでも未訳の作品がそれなりにあり、1981年発表の本作もそうやって残されていた作品のひとつだ。

で、本作は著者のキャリア上では初期(六作目の長篇だから、中期にさしかかったぐらいか)の代表作にして、プリーストのコアともいえる《夢幻諸島》シリーズ(地球によく似た別世界が舞台で、果てしない数の島々が転々とし、時間は歪み不可思議な出来事が起こる)のはじめての長篇と、ひとりの作家を知る上で欠かせないピースといえる作品なのだ。プリースト自身、本書への序文で次のように語っている。

よくわたしは本書をわたしの鍵になる小説であると表現しています──わたしが以前に書いたあらゆる文章が『不死の島へ』につながっています──それ以降著したあらゆる文章は、本書がなければありえなかったでしょう。p.4

そういう背景+僕がそもそもプリーストが好きなこともあって期待して読み始めたのだが、こーれがたいへんにおもしろい。「不死」と書名に入っているように、死をめぐる物語であり、人生の転換期にいたり、自分が何者なのかという感覚を失い、自分自身を再定義していく必要にかられた人物を描き出しているという意味では中年の危機文学ともいえる。僕自身が37歳という年齢にさしかかり、自分や周囲の人間が同じ状態に陥り始めているのをみている今、「今の自分」に刺さる物語であった。*1

SF・幻想的な表現とモチーフを通して自己を再定義していく物語であり、プリーストの既作が好きな人はもちろん、主流文学が好きな人も満足させる傑作だ。

あらすじ・世界観など

物語の筋としては非常にシンプルだ。語り手は、ピーター・シンクレアというロンドン生まれのイギリス人。自称は29歳の男性だが、彼は多くの戸惑いの中にいる。

第一の戸惑いは、父親が脳動脈瘤によって突然亡くなってしまったこと。父の死の知らせから数日後、自分が会社から解雇されたこと。国全体は不景気にあえぎ、物価高騰、ストライキ、失業、資金逼迫が蔓延している流れを受けてのことだ。そして住んでいた住戸の退去勧告を受けたこと。父も仕事も住処も亡くし、ついでのように恋人とも仲違いをして分かれてしまった。一つひとつは、生きていれば誰にでも起こり得る。しかしそれらが一気に押し寄せると、人間は参ってしまうものだ。

二つの物語

本作はそうした「参ってしまった男」の物語である。29歳は現代的な観点からいえば若いが(1980年頃の観点からいって若いのかどうか、感覚的にわからない)、人生の転換期がきてしまったという意味では、早めの中年の危機といえるだろう。ピーター・シンクレアは失った自分を再度見つけるため、自伝的な物語を書き始める。

あくまでも物語だ。たとえば彼は生まれと育ちの都市であるロンドンとマンチェスターの郊外を合わせたような、「ジェスラ」という名の都市を想像・創造し、その都市の国をつくり──と、細部を緻密に作り上げていく。現実を虚構に置き換え再構築していくことで、彼は本当の自分を捉え直そうとしているのだ。

より深い真実は偽りによってのみ──言い換えるなら、メタファーを通じてのみ──語られるとすれば、完全な真実を達成するためには、完全な偽りを創造しなければならなかった。わたしの原稿はわたし自身にとってのメタファーにならなければならない。p. 39

そうこうしているうちに、物語は切り替わり、ロンドン生まれのピーターが生み出した、ジェスラ出身のピーターの人生を語るパートが描き出されていく。

一般的な物語として考えれば、これは「作中作」のパートになりそうなものだが、奇妙なのは、こちらのピーターもまた架空の物語をこさえていて、そちらでは「ロンドン」が、逆に存在しない架空の都市名として扱われているのだ。はたしてどちらが主で、どちらが従なのか? はたまた、単に相互干渉し合っている二つの現実が存在しているだけで、主や従は存在しないのか? 相互は混ざり合っていくのか? 様々な疑問を浮かばせながら、物語はまた別のテーマ──不死──に直面していく。

老いと不死についての物語

29歳という比較的若い年齢でありながらも本作をあえて中年の危機文学として捉えたいと思ったのは、主人公が人生の転換期を迎えているのとはまた別で、老いと不死をめぐるテーマが描き出されていくからだ。具体的には、このテーマが主に取り扱われていくのは、〈夢幻諸島〉が存在する世界、ジェスラ出身のピーター・シンクレアの方の物語だ。彼のパートは、宝くじコラコ゚社が運営する、不死処置の権利をめぐる宝くじに当選し、クリニックが存在するコラコ゚島へ向かう場面から幕を開ける。

コラコ゚社は、不死処置は100%の成功率を誇り、最初期に実施した女性は169歳でありながらも今なお40代の見た目を保ち、身体も健康でスポーツにいそしんでいるのだという。施術時点でのあらゆる病気は治り、制御された細胞は無限に再生されると謳う。多くの人が望むが、莫大な費用がかかり準備に時間がかかるので、誰でも、というわけにはいかない。とてもではないが購入できない一般市民、特に病人からの暴動も起こるだろう。宝くじはそうした人々のガス抜きをするための措置といえる。

問題は、彼が処置を受けるか否かだ。ピーターはクリニックでセリという(セリと対応する人物はロンドン側にも存在する)女性と出会い、ロマンスを重ねながら、不死処置を受けるか否か、思索を深めていく。なんでも、不死処置を行うにあたっては、自分という人間を定義するに足る、入念な質問が行われるのだという。

なぜそんなことが必要なのか? ただ不死にしてくれればいいだけなのに──といえば、どうやらこの処置を受けるにあたっては、何らかの手段で体を空っぽにし、記憶をリセットする必要があるのだという。膨大な質問票とその応答は、記憶喪失に陥った後、自分自身を再度定義するために必要なものだと(セリは)いうのだ。

自分自身をどのようにしたらとらえられるのか?

不死になっても、記憶を失ってしまっては、意味がないのではないか? そもそも、何十万文字もの質問とその答えを用意し、それを読んだところで「自分自身を再定義」することなど可能なのだろうか。不可能だとした場合、自分自身を再定義することを可能にするのは、どのような文章、物語なのだろうか。

こうした問いかけは、最初人生で大事にしてきたものが砕け散って自分自身を再構築する必要が出てきた、ロンドン・ピーターの状況とも響き合っていく。どのような言葉で語れば、自分自身を再定義することができるのか、と。

 かつてわたしは言葉が持つ強い表現力が真実を保証すると考えていた。正しい言葉を見つけられれば、その適切な意志をもって、すべてが真実であることを確実に書けるのだ、と。ところが言葉にはそれを選択すると心と同等の確かさしかなく、それゆえ、あらゆる散文は本質的に欺瞞の形態であることをあとになって学んだ。p.1

死という終わりがあるからこそ生があるのではないか? という、不死をめぐる作品ではお決まりの問いかけから不死と生をめぐる土台を積み重ねながら、ピーターは自身の人生をメタファーとして語り直し──書かれたこと、削除されたこと、「あえて、空白として書かれなかったこと」──相互の世界は広がっていく。

おわりに

自分自身が最近実感しているのだが、若かった時は体が軽く、体の不調や重さを感じなかったが、年をとり体が重くなってくると、まず自分の体調や体に引きずられて、昔のように理想や理念を追い求められなくなっていく。老いとは肉体の問題であると同時に、自分が何者であるかという問いを突きつけてくるものでもある。本作の不死をめぐるピーターの葛藤には、そうした老いのテーマを感じずにはいられなかった。

これを書いた時、クリストファー・プリーストが作家としてどのような状態だったのかはわからないが、本作にはプリースト自身の書くことへの苦悩やその深淵を垣間見るようなおもしろさがあるのは確かだ。後の作品への萌芽・テーマ的な関連性も端々に感じられ、まさに「鍵」にふさわしい作品といえる。

*1:この部分を書いたあと調べてみたが、プリーストは1943年生まれだから、本作発表の1981年はちょうど37〜8にさしかかろうか、という時だったようで、そうした執筆時の年代的な部分も関係しているのかもしれない




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