子どもにスマホを持たせるかどうか、持たせるとしてどのように制約をかけるかという問題は、現代で小中学生ぐらいの子どもを抱える親は、みんな悩みを抱えている問題だろう(僕には年頃の子どもはいないが、育児エッセイが好きでかなり読んでいるからわかる)。スマホを与えたら一日中YouTubeばかりみているとか、勉強もせずにくだらない動画ばかりみていて本当にこいつは大丈夫なのかと不安に思うとか。制約ありでスマホを渡しても、子どもはなんとかしてそれをかいくぐろうとするものだ。
僕が幼少時は、スマホなんてなかったから、感謝しているぐらいである。もしあったら、浴びるように本を読んで過ごすこともなかったかもしれないから。とはいえ、それはあくまでも僕が我が身を振り返ってそう思うという、ただの主観の話である。本当に、子どもたちはスマホやSNSのせいで何らかの悪い影響を受けているのだろうか。イエス、というのがジョナサン・ハイトの論調だ。
1995年以降生まれのZ世代は、ポケットの中にインターネットを持って思春期を過ごした最初の世代であり、そのおかげで、すぐそばにいる人から注意がそれ、刺激的で常習性があり不安定なスマホに夢中になり、自分自身のオンラインブランドを維持・管理するのに懸命になっている。それが良いことであるはずがないというのだ。
つまりZ世代は、人類が深化を遂げてきた現実世界という小さなコミュニティでの相互作用によるものとはほど遠い、まったく新しい成長のあり方を試す実験台となっているのだ。本書ではそれを「子ども時代の大いなる組み換え」と呼ぶ。Z世代の10代はあたかも、火星で成長する最初の世代となったかのようである。p.20
そして最終的にはでは、どうしたらいいのか? という対策にまで踏み込んでいくのだが、個人的に読んだ限りでは、怪しい主張も多い。ただ、スマホやSNSに限らず、1995年以降に生まれた、思春期をスマホと過ごした世代が、それまでの世代と比べて大きな変化の中にあることは間違いなく、本書の分析は魅力的に読める。
具体的にどんな悪い影響があるのか?
では、スマホやSNSの利用がZ世代にどんな悪影響を与えているのか? といえば、うつ病や不安症といった精神疾患と関連したデータが、たくさん存在している。
たとえば過去1年に大うつ病エピソードの症状を少なくとも一つを経験したと自己申告したアメリカの10代の割合は、女子が2010年から2020年にかけて145%増。男子は2010年から161%増になっている。大学生の精神疾患も、2010年あたりから上昇し始め、10年代の間で不安症は134%増、うつ病は106%増になっている。そのうえ、こうした精神疾患の急増のほとんどはZ世代に集中している。ちょっとまって、その世代は単純に自己申告としてうつや不安を表明しやすくなっただけで、昔から割合は変わっていないんじゃない? と思うかも知れない。だが、著者はそれに対する返答として「自己申告以外の指標」も増えているとデータを示す。
自傷行為により緊急治療室に運び込まれた患者数は女子は2010年から2020年にかけて188%増、男子は2010年から48%増大となっている。青年期前半の自殺率も、男子で2010年から91%増。女子で2010年から167%増。こうしたデータは自己申告とは無関係だから、たしかに特定の時代から精神疾患は増えているのかも知れない。
しかしそれがスマホとなぜ関係あるといえるのか? たしかにスマートフォンの利用は2010年頃を境に爆発的に増えているが、因果関係とはいえない。これに関しては、著者は、『私の見解では、この「子ども時代の大いなる組み換え」こそが、2010年代初めに起きた青年期の精神疾患の大きなうねりのまさに最大の理由である。』p.66と語っている。「見解」であると。ここの論拠は個人的に弱く感じる。
スマートフォンの何が悪いのか?
いったんスマートフォンが精神疾患の大きなうねりの理由だとして、具体的に何が悪いのか? について、本書では「遊び中心の子ども時代」というキーワードで語っている。遊び中心の子ども時代とは、子どもが自由時間の大半を現実世界で友人と遊ぶことに費やすことをいい、身体的なのものであり、同期的で、少人数で行われる。
これは、いわば過去の子どもたちの遊びだ。一方でスマートフォン中心の子ども時代では、子どもたちは起きている時間のほとんどをスマートフォンを見て過ごし、一人でYouTubeを見て、インスタグラムやティックトックのフィードを際限なくスクロールする。非身体的で、非同期的で、仮想的なグループ内で行われる。依存性の高いプラットフォーム設計によって、子どもたちの注意力は無為にSNSに費やされる。
実際、学校外で友人たちとほぼ毎日会っているアメリカ人の生徒の割合は2010年頃を境に急降下しており、著者に言わせればこうしたデータこそが、「大いなる組み換え」の証拠だという。スマホによってそれまでの遊びの習慣とそこからの学びや交流は損なわれ、孤独になり、注意は断片化し、特に女子はSNSの使用時間の増大によって、うつ病の割合が増大したことを示す研究が存在する(『ソーシャルメディアの使用時間がながければ長いほど、うつ病になりやすく、平日に5時間以上使用する女子は、まったく使用しない女子よりも、うつ病になる可能性が3倍だった。』p.200)
何が怪しいのか?
そうしたデータをつらつらと読んでいくと、「うんうん、それはスマホとSNSが悪いわ。」と言いたくはなるのだが、怪しい点や批判されている点も多い。一つ大きく気になったのは、あまりにWEIRDな視点、研究なのではないかということだった。
WEIRDとは西洋の(Western)、教育水準の高い(Educated)、工業化された(Industrialized)、裕福な(Rich)、民主主義の(Democratic)社会の出身者であることを示す略語で、欧米で話題の心理学の研究対象になるのがこうした大学の学生や身近な人であるがゆえに、欧米人にしか当てはまらない研究が、さもすべての人類に当てはまるかのように語られてきたなど、問題として指摘されることも近年は多い。
実際、世界各地の15歳が学校で感じる疎外感についてのデータでは、英語圏やヨーロッパ、ラテンアメリカでは2012年から2015年にかけてグラフが急上昇しているのだが、アジア圏では同期間に上昇どころか下落しているのである。このデータをまとめたのは著者なので決して隠そうとしているわけではないのだが、アジアのみが下落していることは簡単に触れるのみで、その後は『1990年代後半に生まれた子どもたちは、仮想世界で思春期を過ごす史上初の世代となった。』と締めていて、アジア(および非西欧諸国)の子どもたちはいなかったの如くである。ここには違和感があった。
僕以外からもよく挙げられている批判だが、たしかにある時期から特に若い女性のメンタルヘルスが悪化しているデータがあり、それがスマートフォンを身近に使い始めた世代と一致しているのは確かだ。そしてSNSとうつ病の相関など、個別事例についてはある程度説得力のあるデータもあるが、スマホとSNSを一括りにして論じるほど因果関係があるようには思えない。社会も、子育ても、親の意識もこの10年20年で変わり続けていて、本書でもたびたび言及があるが、親は子どもにたいしてどんどん過保護になっていって、冒険や危険を徹底的に排除しようとする動きもある。
どこからどこまでがそうした環境要因で、どこからがスマートフォン・SNSなのか。仮に本当に因果関係があるとしても、ここに関してはもっと注意深く確かめていく必要のある部分だろう。本書では完全にスマートフォン・SNSが悪として、どう制限するのかという話にまで踏み込んでいるが(個人的に一部の機能やSNSの人をハックするやり方は子どもにたいしてというか人類全般にたいして危険だと思うので、子どもに限定しない危機感を抱いている)ちと勇み足な印象を受ける。
おわりに
批判的な意見も多くなってしまったが、Z世代以降の若者が置かれている様々な現場の分析は示唆とデータに富んでおり、様々な議論のきっかけにはなる本だと思う。個人的には、かなりおもしろかった。実際にスマホ世代の子どもを育てている親御さんたちの(当人たちも)感想も、読んでみたいところである。