人類は火星には未だに降り立ったことがないわけだから、火星移住を実現させるためにはあらゆることを考える必要がある。どのようにして継続的に地球から物資を運び続けるのか。火星で安全な基地を立てる方法。火星のどの位置に拠点を作るべきなのか。火星で採取できる資源は何なのか。電力はどのように生み出すべきか。本書はそうした一つひとつを、科学的かつ化学的に考察していく一冊だ。
火星移住が可能かどうかを検証するスタンスではなく。火星移住は可能だし、やるべきだと主張する人物による語りなので、全部を受け入れる必要はない。僕もSFファンとは言え現代の人類が火星に移住すべきとは考えていない*1が、それはそれとして移住のための計画を読むこと自体はおもしろい体験だ。火星が舞台のフィクションは多く、現実でも科学調査で火星が話題になることもあるから、想像もリアルになる。
火星のどこに入植すべきなのか?
そもそもなぜ火星に移住する必要があるのか? ついては、後半の章で詳細に語られるので紹介も後半にまわそう。とりあえず、火星に移住する前提として考えるべきなのは、「火星のどこに移住するべきなのか?」という問いだ。
どこでも同じではないか? と思うかも知れないが、火星には水源があることが知られており、その周辺であることの利点が大きいのは間違いない。また、火星の極はその軌道面に対して25度傾いていて、地球と似たような季節があると考えられる。ただ、火星の南半球の冬は大気中の二酸化炭素が凍結するほど気温が下がり、凍結した二酸化炭素はドライアイスとなって火星の南極冠に蓄積する。一方で、南半球の夏は南半球の太陽が放射する電磁波が44%増加して、凍結した大量の二酸化炭素が蒸発し、気圧が最大40%上昇し、巨大なダストストームを発生させる。
つまり、気候に関して言えば、火星では北半球の方が過ごしやすい。だが、植物の成長と太陽光発電の効率を考えれば火星の赤道上も好ましい。そのうえ、火星からロケットを打ち上げることを考えたときも、赤道付近の方が都合が良い。本書では後に火星の第一衛星であるフォボスと火星の間をスカイフックを用いて資源の運搬を行う構想を語っていくが、その際も赤道直下の方が都合が良い。
火星へ到達する
拠点候補地は複数あるが、ともかく、どこかに拠点を定めたとしよう。では、次の問題は「どうやって行くのか?」だ。とはいえ、人間を火星に送り込むこと自体は(もちろん失敗するリスクはなくならないが)技術的にはすでに可能である。
問題はコストだが、イーロン・マスクが率いるスペースXが再利用可能なロケットを作り出したことで、打ち上げのコストは飛躍的に下がりつつある。2018年に導入された超大型ロケット「ファルコンヘビー」は60トンのペイロードがあり、一回の打ち上げに使用されるエンジンの大半が再利用可能になった。打ち上げコストは2008年のファルコン1と比べて10分の1にまで削減され、今はこのファルコンヘビーも上回るペイロードや完全再利用型のシステムを搭載した「スターシップ」を開発している。これが実現すれば現行のロケットの100分の1のコストにもなるという。
そこそこ数式や化学式が出てくる
ちなみに、最初の紹介でも少し触れたが著者は多くの実績がある航空宇宙技術者で、本作中ではそこそこ数式や化学式が出てくる。たとえば、下記のようにロケットの速度においての所定の変化、デルタVを生み出すために必要な推進剤の量を導くためのロケット方程式(質量比=(ウェット質量(宇宙船と推進剤を合わせた質量のこと))/(最終質量)=exp(ΔV/Ve)…3.1)を使った試算をしていたりする。
スターシップが地球軌道に到達した時点で、火星まで6ヵ月かけて飛行し、惑星間飛行の途中で軌道修正のためのエンジン噴射「ミッドコースマヌーバ」を行い、火星に着陸するには、速度を5・0キロメートル毎秒のデルタVで変更する必要がある。この要件を数式3・1に代入すると、燃料を満載にした状態での地球軌道での初期質量は、推進剤を使い果たして火星に着陸する最終質量の4倍でなくてはならない。スターシップの質量は100トンになる見通しだ。ペイロードが100トンであれば、宇宙船のドライ質量は200トンとなり、地球低軌道から火星までの片道飛行には、メタンと液体酸素の推進剤が600トン必要になる。
火星に到達できたら今度はそこで拠点を作り探索のためや帰還のためにも推進剤を作る必要がある。火星でロケット燃料と酸素を製造する簡単な方法は、水(水が火星にあることは前述の通り)を電気分解することで水素と酸素を生成して、その水素を二酸化炭素(火星の大気の95%を占める)と反応させることだ。その化学反応は「サバティエ反応」として知られるもので──と、ここでもやっぱり化学式が出てくる。
サバティエ反応器ではメタンと水が生成される。水をそのまま使用することもできるし、その水を電気分解して酸素と水素を作ってもいいし、酸素を推進剤用や消費用にしてもよい。水と二酸化炭素があれば植物を育て、食糧や繊維が供給できる。
なぜ火星を目指す必要があるのか?
水と二酸化炭素を使って食物を育てたいわけだが、そのためには天然の太陽光を使いたく、そうすると透明なガラスやプラスチックを使った温室を作りたい。火星にはガラス製造に必要な原料も、プラスチック生成に必要な元素も存在する──。
火星を目指す理由のひとつは、一見不毛な大地に見えても、月や他の惑星とは比べ物にならないほど様々な素材がある、という点が挙げられる。ただ、もちろんそれだけが移住の理由として挙げられているわけではない。たとえばイーロン・マスクは火星への移住を目指す目的としては、地球が自滅や自然災害のようなリスクで壊滅した場合に備えて、人類を多惑星種とする必要があるからとたびたび語っている(地球環境の悪化を見過ごすリスクにも繋がりかねず、個人的にはこのような理由には否定的)
本書の著者は、イーロン・マスクとは異なり、火星の価値は、まだルールが定められていない新たな世界へ行くことそれ自体にあると語る。火星というフロンティアの開拓は、かつて地球で新大陸を開拓した人たちと同じように、様々な課題に見舞われるだろう。人を送り込むことが難しいから労働力は常に不足するし、水も農業に適した土地も不足しているから、再利用でも品種改良を含めた単位面積あたりの生産性の最大化でも、あらゆることを行う必要がある。結果として、火星人は遺伝子工学やロボット工学や人工知能の活用を、地球社会が及ばないほどの熱意を持って活用する。
かつて開拓されたアメリカで数々の科学技術の進歩が起こったように、そうしたフロンティアの開拓に伴う、野心を持った人々の様々な変革こそが、現在の技術的な停滞を打破する鍵だ──『火星における新たなフロンティアの開拓がなければ、これまで継続された西洋文明は技術的に停滞する危険に直面する』というのが、著者の火星移住論の肝にあたる部分だ。ちと理想論すぎるというか、ロマンチックすぎるというのが正直なところだが、かつてのフロンティアの開拓のエピソードと共に語られると、そう主張したくなるのもわかる側面はある。
おわりに
本書は他にも、重要なエネルギー源をどのように調達するのか(たとえば太陽光が思いつくが、火星における太陽光の強度は地球上の40%にすぎず、ダストストームで太陽光が1ヶ月遮断されることもあるとあまり適していない)。フォボスの開発と、フォボスから火星地表に向けて長さ5800kmのテザーを伸ばす構想。火星がメインベルトの小惑星帯での採掘を担当する可能性と利点について。都市計画からどのような社会慣習が構築されるかの推測、最終的にはテラフォーミングにまで言及してみせる。
火星移住すべきだという主張自体にはそこまで賛同できずとも、様々な試算自体は実に魅力的なので、興味がある人はぜひ手にとって見てね。
*1:その資産があるならまずは気候変動をはじめとした地球内の問題解決のために振り分けるべきではないかとは思うが、火星移住への投資がどのように役に立つかはわからないし積極的賛ではないぐらいか。