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抗生物質が大量生産できなかった旧ソ連圏でひそかに研究され、今まさに日の目を浴びようとしているファージ療法について──『善良なウイルス』

ウイルスといえば、「コロナウイルス」に代表されるように、人間に感染して悪さをするものというイメージがあるが、世の中には人間を苦しめる細菌を駆逐してくれる、(あくまでも人間からみて)善良なウイルスも存在している。それはつまり、その善良なウイルスを使えば抗生物質を使わずとも細菌感染症の治療ができることを意味する。

というわけで、本書『善良なウイルス』は、細菌を殺すウイルス、通称ファージを使った治療の歴史についての一冊である。これが歴史の偶然で生き残ってきた上に、世界を救う可能性を秘めている治療法で、なんとなく読み始めたのだがおもしろすぎて、あっという間に読み切ってしまった。歴史が興味深いだけでなく今後の重要性やこの治療法を最後の希望と定めて奔走した人々の物語としてなど、無数の要素のレベルが高く、まごうことなき今年ベスト級のノンフィクションである。

ファージ療法なんて聞いたことないよ、という人も多いだろうがそれもそのはずで、西側をはじめとしたほとんどの国では、長らく細菌感染症の治療にはペニシリンを始めとした抗生物質を使ってきたからだ。抗生物質ならほとんどの人が知っているし、使ったことがあるだろう。

なぜ今、ファージなのか?

抗生物質で細菌を殺せるんだから、ファージウイルスを体に入れる必要ないやん、と思うかも知れないが、実は近年、その理屈が通用しなくなってきている。なぜなら抗生物質が社会で多用されるようになった結果、各種抗生物質に耐性を持った超耐性菌が増えてきているからだ。そうした菌には一部、もしくはほとんどすべての抗生物質がきかないから、治療は自然治癒力頼みになってくる。

なぜ超耐性菌が増えてきているのかと言えば、抗生物質が環境に垂れ流され続けた結果、細菌が急速に抗生物質への耐性を強めているのだ。人間が使う抗生物質の量はたかが知れているが、畜産や養魚場、果ては畑にまで病気を防ぎ成長を促進させるために抗生物質や抗菌剤を大量に使っている。そうやって無尽蔵に垂れ流された抗生物質は川や海、土壌に流れ込み、あらたな耐性菌の出現を促している。The World Countsという世界の様々な数値をカウントするサイトでは、2025年11月末の現在すでに、14万トンもの抗生物質が畜産で使用されていることを示している。
www.theworldcounts.com
そのうえ、新しい抗生物質を探す・作るには、現在何十億ドルものコストがかかるとみられ、2050年までに世界では耐性菌による感染症で年間1000万人が耐性菌感染症によって命を落とすと言われている。そこで──、旧ソ連圏で研究されてきたファージに、再度注目が集まっているのだ。何しろファージはウイルスであり、細菌と同じく日々変化するから、耐性を持つに至った菌も殺すことができるのだ。

ファージ治療とはそもそも何なのか?

そもそもファージ治療とは何なのか? について触れておこう。先に書いたようにファージ(正式にはバクテリオファージ)は細菌や古細菌に感染して自己を複製するタイプのウイルスのことを指している。基本的に人間には無害で、特定の細菌感染症を治療したい場合は、患者はそのタイプの細菌に効くであろうファージを摂取する。

ファージ療法の研究が盛んだった旧ソ連のいくつかの国・地域では、抗生物質の錠剤のかわりに、何兆ものファージが溶け込んだ水薬が当たり前のように飲まれている(黄色いという)。これらの国・地域では、腹痛、化膿した傷、発疹を治すためにファージ薬を薬局で買うことができる。特にジョージアの都市では、化膿した傷口に高濃度のファージを直接塗布したり、深刻なケースでは静脈注射までするという。

なぜ西洋で流行らなかったのか?

え、そんな当たり前のように使われているなら、めっちゃ効くんじゃない? と思うかも知れないし、実際に効くから使われているのだが、西側やアジアで当たり前のように使われてこなかった理由もちゃんと存在する。たとえばファージは、一般的な薬剤のように、無差別にどの地域でも同じように使えるわけではない。

というのも、細菌はファージの感染を防ぐため絶えず変化しているが、ファージも変化を遂げてのいたちごっこが発生している関係上、膨大な数の細菌とファージの株が各地で生まれている。そのため、日本でペスト菌を抹殺できたファージであっても、カイロの菌株にはまったく効かないといったことが起こってしまうのだ。

もう一つ、これが一番理由としては大きいと思うが、ファージの効果が発見されたのは1917年のこと。その後はやくも1919年には赤痢に対してファージ療法が実施され効果をあげているが、そこから10年ちょっとの後に、信頼性が高く、西洋でも東洋でも同じように機能し、大量生産が可能で、幅広い病気に効果がある「抗生物質」が発見されたのだ。抗生物質があるなら、地域や物によって効果があったりなかったりして副作用も読めないファージを使う理由がない。結果として、ヨーロッパやアメリカにおける、ファージ療法における論文や書物は1949年までに事実上ゼロになった。

しかし、旧ソ連圏ではファージは依然として使われ続けた。ソ連では独自の抗生物質の入手も大量生産もうまくいかず、供給が不安定だった。スターリン体制下で西側諸国が重宝する抗生物質がソ連では入手できないという不都合な事実は隠され、抗生物質への不信感を国民に植え付けるプロパガンダを始めるまでに至っていた。だが、そうした状況があったおかげで、ソ連ではファージ療法は拡大し続けることになる。

もっとも、ファージ療法が旧ソ連圏以外で流行らなかったのには他にも理由がある。既存の薬剤と同様のチェックをした場合、絶対に認可を得られないのだ。たとえばジョージアとロシアで市販されているファージ製品は、水や土壌から分離されたファージの天然の集団を使って製造されている。ポジティブに捉えればいろいろな細菌の一般的な株に幅広く作用するファージの混合物といえるが、ネガティブに捉えたら何が入っているのかよくわからんウイルス詰め合わせパッケージである。

厳密な化学構造式もなければ、中身の成分を◯◯何mgみたいに保証するものもない。半年に一回この組み合わせは更新されるので、同じ名前でも製造される時期が違えば中身が異なる可能性がある。常に移り変わっていき正確な成分を報告できないことから既存の枠組みの中では、ファージ治療薬はFDAの臨床試験の認可も通らない。

それ以外にも課題は山積み(通常臨床試験のフェーズ1では健康な人に投与して安全性を確認するが、細菌に感染していない場合ファージは感染者のケースとは異なり増殖しないから、安全データは役に立たないなど)だが、世界中で耐性菌に悩まされる人々が増えている昨今、ファージ療法への注目は高まり続けている。

「抗生物質の場合、耐性が生じたときに試せる他の薬はせいぜい十数種だ。だが、ファージなら10の31乗個もある。事実上、無限に供給できる」とメリルは言う。*1

おわりに

本書では抗生物質が効かない患者が最後の頼みでファージ療法を選んだケースや、様々な研究所・ファージ治療薬の会社の立ち上げなど、最先端の動きがたくさん紹介されているので、ぜひ読んで確かめてみてほしい。将来的には、デジタルDNAの配列からファージを合成して生み出す構想だったり、患者の状態を入力したら瞬時に適合するファージを選出する巨大なファージ倉庫・選出システムであったりと、現在のファージ療法の問題点を克服するための様々な方法が模索されているようだ。

中でも大規模な構想としては、改変したファージや自己複製するファージをベースとするナノデバイスを環境中に放出し、生態系から薬剤耐性菌を取り除こう、というものもある。『2022年、ファージランド・プロジェクトは、ファージを使ってスペインとモルドバの広大な湿地帯から薬剤耐性遺伝子を除去できるかどうかを調査する研究に助成金を獲得した。』正直とんでもないパンデミックが広がるSFのプロローグに見えてしまうが、実際に役に立つ側面ももちろんあるのだろう。

最後に。本書にはファージ療法によって抗生物質でも治らなかった感染症が治ったという事例が多数紹介されているが(だめだったケースも紹介されている)、あくまでもファージ療法は今後研究が期待される分野であり、現時点ではまだまだ未知が大きく、安全性への懸念があることは、重々承知されたし。

*1:p.314 メリルはファージ療法を推進しFDAでの認可を目指す米国の会社のトップ




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