人肉食が合法化されているということは、食用の人間を育てる場所もあれば、育て上げた人間を屠殺する人間もいるわけで、どのように食用人間が管理・運用・繁殖させられているのか、人々はどのような感想をもらしながら人の肉を食うのか、人肉食産業に関わるものはどのような思いや葛藤を抱えながらその仕事を行っているのか。そうした細々とした部分が、これでもかというほどに描きこまれていく。
今年読んだ中でもぶっちぎりレベルで胸糞が悪い小説といえる。村田沙耶香『世界99』も相当な胸糞小説だったので、現状は同率一位といったところだが。
あらすじ・世界観など。
そもそもなんで鶏や豚などうまい肉がいくらでもあるのに人間の肉を食わないといけないの? と思うかも知れないが、この世界では感染すると容易に死に至る〈GGB〉ウイルスが人間以外の動物全般に及んでいて、従来の肉を食べることは死を意味する。もちろんワクチンも開発されたが、ウイルスはすぐにワクチンの効果が現れないような変化を遂げ、いたちごっこで完全な解決がなされていない。
この世にはヴィーガンもいるのだから、肉が一切食べれなくなっても良いんじゃないかというのももっともな話だ。しかし、暴徒たちによる暴動が起こり、肉に飢えた人間は共食いをはじめてしまう。そして、先行した現実を後追いするように社会では「人間の人生には動物性タンパク質が必須だ」と主張する論文が現れ始め、(実際どうなのかはともかく)、世論は人肉食を肯定する方向に向かい始める。
「私は家族のために特別な食材を使います。いつものお肉ですが、ずっとおいしいんです」一家全員がにっこり笑い、食べはじめる。この国の政府は、それを商品化すると決めた。そして、〈特急肉〉と名づけた。ただの〝肉〟ではなく、〝特級ロース〟、〝特級バラ肉〟、〝特級腎臓〟。
彼は特級肉とは呼ばない。p.015
どれほど名前から意味を剥奪しようが、実際には彼らが食べているのは「人間」の肉だ。そしてそのへんの人間を殺して食うわけにもいかないから、この世界では食用人間を生産する企業が数多く存在している。主人公のマルコスは食肉処理工場の管理職を務めており、育成から加工まですべてのプロセスに関与している。
しかし、彼は決定的にこの仕事に向いていない。誰もが事実を直視してしまうと狂うから肉を特級ロース、食肉加工ライン、内蔵処理室などといって「人間」という具体的な単語を慎重に排除しているのに(そうしなければ自分たちがやっていることが直視できなくなる)、彼だけはそれを直視しようと試みているからだ。
飼育場・屠畜場
本作の魅力の一つは、先にも書いたがこの希望のない世界のディティールをどこまでも詰めていく点にある。たとえば食用の人間はどのように飼育されているのか。この世界では食用の人間は〈頭〉と呼ばれるが、〈頭〉はお互いが暴力行為に及ばないように一頭ずつ飼育されている。一般的には食用に遺伝子操作されたり成長促進剤を投与するが、それらを一切しない個体は純粋第一世代と呼ばれ高値で取引される。
声を出されると管理が面倒なので〈頭〉の声帯はすべて排除されている。必要なだけ育った〈頭〉は屠畜場に送られるが、そこではスタンニングを行う職人がいて、一撃で〈頭〉を気絶させ首を切って放血し、加工のプロセスへと流されていく。
セルヒオはメスの目を見据え、撫でるように頭に軽く手を置いた。そして、ここまでは聞こえない声で何か言った。あるいは歌ったのかもしれない。メスはさっきより落ち着いて、おとなしくなる。セルヒオがハンマーを振りあげ、額に打ちおろす。鈍い音が響く。こちらがとまどうほど、静かですばやかった。メスは気を失い、体の力が抜けて、セルヒオが首枷をはずすと、体が崩れ落ちる。スイングアップドアが開き、床が傾いて、メスの体が滑って排出される。p.072
この「スタンニング」の描写を筆頭に、ここで描き出されていくのはおぞましい描写ばかりだが、かといってこれは現在人間が家畜にたいしてやっていることとほとんど同じなのだ。人間に対してだと恐ろしいと感じることを、われわれは平然と家畜に対して行っている。訳者あとがきによると著者はヴィーガンだというが、現代の肉食文化への批判が、こうした描写には含まれているのだろう。
おわりに
そうやって食肉加工工場を一箇所ずつ回っているある時、マルコスは純粋第一世代の美しいメスを取引先からプレゼントされ、最初は食用にするつもりで家に持ち帰る。だが、ずるずると世話をしているうちにメスに情がうつってしまい──と、「食用人間を、人間扱いする」この世界での犯罪に手をそめてしまうことになる。
マルコスは物語開始前に自身の息子を失っている他、認知症の父親の介護や、この狂った世界で「人間」を食べるために殺していることをあえて直視するなど、世界の重圧に耐えかね、壊れそうになっていく過程が、丹念に描きこまれていく。はたして、彼は自身がかくまったメスを最後まで守り通すことができるのか。それとも、「壊れそう」というのは嘘で、実際には彼はとっくに壊れてしまっているのか。
おぞましい話だが表現は平易で、ページ数も230ページほどと、意外なほどあっさりと読み切ることができるだろう。陰惨な世界が続き、ハッピーな気持ちには一切ならない物語だが、これは間違いなく一読の価値のある長篇だ。