本書が刊行された当初は2021年とコロナ禍がはじまったばかりの頃で、核攻撃が頻発する最中北を目指して旅を続ける医師ガーリンとG8首脳のクローンたちという構図や冒険活劇展開の意図が測りかねられていたようなのだ。訳者あとがきでも、最初に『作中で描かれる核攻撃や、戦争難民となる主人公たちの波乱に満ちた冒険活劇、そしてソローキンの作品としては珍しいヒューマニスティックな主題は、必ずしもピンとくるものではなかった。』と書かれている。だが、現実では2022年にウクライナ侵攻がはじまり、トランプが大統領に返り咲き──とコロナ以後の政治的・国際的な混乱が前面に出現し、核の恐怖も身近に感じられるようになり、本作の描き出す近未来像もぐっとより鮮明にとらえられるようになったといえるだろう。
とはいえ、現代という時代に読まなければおもしろくないたぐいの物語ではない。いくつかの事象が語られているのだが、おとぎ話として読めばおとぎ話として、ファンタジイとして読めばファンタジイとして、SFとして読めばSFとして、政治的意図を含めて読み込んだらいくらでも政治的にも読めるという、万華鏡のような長篇なのである。その筋を彩るのはシンプルな冒険活劇で、複雑さはない。素直に読む分には読みやすい作品だ。個人的にも、ソローキン作品の中でも好きな部類である。
あらすじ・世界観など。
前提として本作の世界観は架空の道筋を辿った未来のロシアだ。ただ、この世界のロシアはすでに崩壊し、モスコヴィア(モスクワ)をはじめとした小国に分裂している。科学技術は発展し、通常よりも大きな人間、逆に小さな人間、動物の姿をした人間や、ミュータント化された生物など、様々な形態の人間が存在している。
物語は〈アルタイ杉〉と呼ばれる高級サナトリウムで働く精神科医のガーリンを主人公に展開する*1。このサナトリウムには他にもかつてのG8首脳陣たちのクローン的な存在がいるが、彼らの身体のほとんどは大きな尻で構成され、尻の上部に巨大な口がつき、人間の五倍ほどの目がついた、奇っ怪な形をしている。彼らは「pb(政治的存在、ポリティカルビーイングス)」、あるいは「お尻(ブーティー)」と呼ばれ、どうやら政治的苦境に立ち向かうために生み出された存在らしいが、とりあえず物語開始時点では特に何をすることもなくこのサナトリウムで平穏に暮らしているようである。
その数は8名で、アメリカのドナルド・トランプ、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ、カナダのジャスティン・トルドー、イギリスのボリス・ジョンソン、ドイツのアンゲラ・メルケル、フランスのエマニュエル・マクロン、ロシアのウラジミール・プーチン、日本のアベ・シンゾーと有名どころの政治家が揃っている。
当然と言えば当然だが、彼らはみなどこかしらに精神的な異常を抱えている。物語冒頭でシンゾーは春の病状悪化として「自発性欠如」が著しいとガーリンに対して報告されているが、ガーリンは『自発性欠如というものは、親愛なるドクトル・シテルン、琥珀の中の蠅ではない!』と一蹴している。トランプは安易な英語しか喋れず、言葉遣いも汚いが、これは元からか。ウラジミールは「それは私ではない」というフレーズしか喋ることができない。これは訳者あとがきによると、この「それは私ではない」はプーチンが問題を責任転嫁する際の常套句で、ネットーミームらしい。
核が日常化した世界
彼らのサナトリウムでの日常は、物語開始後すぐに終わりを告げる。アルタイ共和国と戦争状態にあるカザフスタンが、アルタイに向けて戦術核を打ち込み、サナトリウムはその余波に見舞われたのだ。おもしろいのが、この世界では核爆弾は改良を重ねられ残留放射線が弱くなるように設計されているといい、核の爆発によって人は死ぬのだが、それでもこの世界を生きる人々にとっては、日常の光景になっている。
(……)「放射線を恐れているのでしたら、杞憂というものです。(……)今の爆弾は〈クリーン〉なんです。私は三回も核爆発の目撃者になりましたが、今も生きていますし、健康です」
「私は二回ですが、生きています!」とシテルンは付け加えた。
「私は一回半だ!」ガーリンは笑いだした。
「核爆弾はもはや生活のルーティンです」マーシャは冷笑を浮かべた。「恐れるに価しません」p.105
とはいえ、サナトリウムが襲われた爆発ではシンゾーが人工心臓の停止によって眠ったまま息を引き取り、ボリスはお気に入りの絵画が頭を打ち砕いたことで死亡。残りのpbたちと医療スタッフ一同は風見鶏で風を確かめたところ西風だったために、北──197km先のバルナウル(アルタイ地方の行政の中心都市)へ逃げることを決断する──と、ここから物語は様々な場所を旅する冒険活劇として展開していくことになる。
おとぎ話、あるいはファンタジイでありSFであり
この旅の道中では、おとぎ話的なエピソードもあれば、同じエピソードをSF的に(科学的にというか)読むこともできて、なかなか不思議な読み味が広がっている。
たとえば最初の道中では、荷物持ちとして「バイオロボット」が同伴する。スイスと中国の共同技術によって山岳地帯での救助作業用に造られたこのロボットは、重い荷物の運搬にぴったりだ。バイオロボットを従え、時にはがんばって川越も果たす一行の姿は『DEATH STRANDING』のようないかにもなSF的情景を思い起こさせるが、旅の主要な荷物は尻型のよくわからない存在で、どこかちぐはぐな印象を残す。
道中一行はバービー人形ぐらいの人間から巨大な人間に出会う。たとえばガーリンはマトリョーナと呼ばれる大きな人間が支配する集落に滞在することになるのだが、その女性の診察をすると、なんと膣からテニスボールほどの真珠が現れる。出来事だけみるとおとぎ話のような展開だ。巨大な人間や小さな人間は遺伝子操作の結果と言われればSF的に感じられるが、同時に人間の大きさが可変になって同居する情景は、おとぎ話的やファンタジイ。あるいは『ONE PIECE』的に映る。
また別の道中では、ガーリンはクロウドと呼ばれる濃く黒い毛に覆われた種族にとらえられ、そこで他の人間たちと共に奴隷労働に従事させられ不可思議なスマホ状の何かを作らされることになる。クロウドの絵面を想像するとファンタジイに登場するゴブリンのようだが、クロウドはかつてソヴィエトで続けられた寒さや不利な気候環境に耐え得る超兵士創造プロジェクトの産物、ミュータントであるとされ、設定・歴史的にみればSFっぽい。と、こんな感じでひとつひとつのエピソードは個別に成立しているから、ごった煮感だけでなく、連作短篇集的にも楽しむことができるだろう。
おわりに
核が乱舞され、秩序が崩壊し暴力が支配するようになった社会で、どのように生きるべきなのか。この時代、人々はみな自分のための壁や大砲、そして倫理や美学を持つと語る人物がいる。しかし、文明的なふるまいの倫理は共通でなくてはならないのではないかと問うものもいる。様々な要素をあわせ持っているが、核が乱れ飛びよるべのなくなった人々の姿、混迷の時代を生きる人々の切実さが心に残る作品だった。
ちと高いが、少なくともソローキンの既作をひとつでも楽しめたことがある人ならば、おすすめできる一冊だ。
*1:この人物はソローキンの過去の作品「吹雪」の主要人物であり、本作はその続篇といえるが、あんまり関係ないので読まなくても良い。