統合失調症など明確に幻覚をみる病気がある以上、そりゃ幽霊譚の中には脳科学で説明できるものもあるだろうけど、そんな本一冊になるほど説得力のある論が展開できるもんかなあ。こじつけめいた話なるのではないか……と若干疑りながら読み始めたのだが、豊富な臨床経験からくる実例の数々に加え、幽霊譚と脳科学の結びつけはどれも説得力があるもので、こーれはおもしろい! と太鼓判をおせる内容であった。
なぜ幽霊譚と脳科学を結びつけようと思ったのか?
そもそもなぜ脳科学と幽霊譚を結びつけようと思ったかというと、著者は長年病院で脳神経内科医を担当しているうちに、「幽霊のようなものを見た」と訴える患者を診察してきたという。たとえば、ある60歳の男性の患者さんは近頃よく幽霊を見る、と訴えていた。その報告も、ある日曜日の昼間、自宅の居間でくつろいでいると6名の男女が──と、それぞれがどんな服装かといったことまで事細かに答えてみせる。
他にも同様の幻覚を証言するので、脳神経的な診察を行ったところ、ほとんどの運動機能に問題はなかったが、高次脳機能の検査を行ってみると、「バリント症候群」という高次機能障害があることがわかったのだという。これは物の実際の位置と頭の中で認識する物体の空間的な位置がずれてしまう病気で、後頭葉と頭頂葉の境界領域の障害で発生する。頭部MRI検査の結果によると、この患者さんは後頭葉が左右とも萎縮していたのだという。とはいえ、幻覚を直接的に消す治療手段は持っていない。
結局、不眠が起こってから幽霊をみるようになったという患者さんの報告を頼りに、睡眠のコントロールを行ったところ、幽霊の幻覚も発生しなくなったのだという。
この患者さんを診ていて私が思ったことは、「患者さんの体験した幻覚はまさに幽霊譚であり、同時に脳機能障害もあったということは、逆に脳神経系の部分的な機能障害に伴って幽霊を見る症状が出現する可能性は考えられないだろうか」ということでした。p. 19
このような経緯で著者は幽霊譚・怪異譚を解説していくわけだが、その性質上体験者本人が語る怪談を重視し、具体的な資料としては、主に柳田國男の『遠野物語』。柳田國男の弟子である今野圓輔による『日本怪談集 幽霊篇』を参照している。
寝入りばなや睡眠中に現れる幽霊、金縛り
本書で最初に紹介されているのは、寝入りばなや睡眠中に現れる幽霊だ。実際問題ふと目が覚めると枕元に幽霊が立っていたとか金縛りにあった話は最もありふれた怪異譚といえる。具体的に本書では最初に3つの症例が『日本怪談集』から紹介されているが、その特徴をピックアップすると、「寝入りばなや就寝中に」「胸をおさえられているように苦しくなり」「起きようとしても身体が動かなく」「何らかの音、あるいは男か女かはっきりしない程度の鮮明さで何かが見える」などがある。
実際にも幽霊体験は特に寝入りばなや就寝中に発生するものが多いが、実はこれは「ナルコレプシー」という睡眠障害が関わっているのがわかってきている。これは覚醒状態から突然睡眠状態に陥ってしまう病気だが、ナルコレプシーの患者は幽霊のような幻覚を頻繁にみるのだという。ナルコレプシーは日本人では他国と比べて多く1000人に1人〜2人ぐらいの頻度でみられ、「突発的な睡眠」や「過度の眠気」という特徴はよく知られるが、「びっくりすると全身の力が抜けてしまう」や「入眠時および覚醒時幻覚」「睡眠麻痺(いわゆる金縛り現象)」といった特徴も存在する。
通常、人は睡眠時に通常、レム睡眠とノンレム睡眠を90分周期で繰り返す。正常者の場合は、眠ってからすぐに深睡眠(ノンレム睡眠)に入り、その後、眠りが浅くなると短時間のレム睡眠に入ってまた深睡眠に戻るパターンを示す。一方ナルコレプシーの患者では、深睡眠の時間も短く、頻繁に中途覚醒が起こり、深睡眠からいきなりレム睡眠になったりと不規則なパターンをとる。それの何が問題かというと、通常レム睡眠時に夢を見るのだが、ナルコレプシー患者の場合はレム睡眠からいきなり覚醒状態に移行することもあり、夢を現実のものと認識してしまうようなのだ。
もう一つよくある症例のひとつが「金縛り」だが、これもおもしろい機序がわかってきている。金縛りを実際に経験している人の脳波などを記録して調べたところ、ナルコレプシーの患者でも正常な人でも、「金縛り」の状態は通常の睡眠とまったく変わらない状態だったのだ。金縛りにあったという人の体験は、「苦しくて手足を動かして逃れようとしたけど動かせなかった」という夢をみている状態なのだといえる。
なぜ夏の夜が幽霊譚の定番なのか?
で、そうした寝入りばなの幻視や金縛りはナルコレプシー以外でも起こり得ることもわかっている。たとえば肉体的疲労と断眠、不眠が、正常な人でもナルコレプシー患者のような不規則な睡眠サイクルを起こし、入眠時幻覚などが起こりやすくなる。
実は、これで夏の夜が幽霊譚の定番と化していることの説明がつくかもしれないのだ。今でこそ凄まじく寝苦しい夜でもエアコンがあるが、昔はエアコンなどないし、蚊取り線香の威力もそこまでではないから、夜は寝苦しいものだった。基本蚊帳を使うのだが、風の通りが悪くなるので寝苦しさは増すばかり。このため、夏場は睡眠は浅くなり、体質的に入眠時幻覚を起こしやすい人は金縛りを伴う入眠時幻覚や、睡眠障害によって悪化する幻視を体験する頻度が増えたのではないか──というのだ。
おわりに
他にも、眠りに関連した症状は数多い。夢をみている最中は基本的に肉体は弛緩して動かないが(そうしないと寝ている間に怪我などをしてしまう)、夢を見ている時に手足の弛緩が起こらない睡眠障害(レム睡眠行動異常症)も存在し、これも幽霊譚に繋がりうる。夢の中で化け物と戦っている時、身体を激しく動かすが、実際に身体が動いたタイミングで、体験者は覚醒し、幻覚が消える──といった怪異譚は数多い。
子どもに純粋視覚型の幻覚が起こりやすい理由、車に乗り込んでくる幽霊がなぜ長い直線の道ばかりに現れるのか。エピローグでは怪談を分類し、そのうちの3分の2は神経学的に説明できるといったり、今回取り上げた以外にもおもしろいトピックが山盛り&夏に読むのにぴったりな本なので、気になる人はぜひ手にとってみてね。