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動物の感覚の限界値と人間の感覚を美しい構成で比較する、類まれなノンフィクション──『人間には12の感覚がある 動物たちに学ぶセンス・オブ・ワンダー』

この『人間には12の感覚がある』は、人間と動物の各種感覚──嗅覚とか視覚とか──について書かれた一冊だ。それって五感のこと? であれば十二もないんじゃない? と思うかも知れないが、現代の神経学者らによれば人間の感覚が五感に絞られるのは古い話で、今では三十三種類にものぼるという。感覚についての定義が明確になされているわけではないので専門家の間でも人間が持つ感覚の数について完全な一致はとれていないが、少なくとも五〜六感で終わり、ということはないわけだ。

本書の構成でおもしろいのは、人間の感覚をただ取り上げていくのではなく、常にそれとセットで人間以外の動物の特異な知覚について合わせて語られていくところにある。たとえば第一章では人間の色覚について触れているのだが、最初のエピソードで触れている動物は、「モンハナシャコ」と呼ばれる色鮮やかなシャコの一種だ。実はモンハナシャコの光受容体は他の生物の追随を赦さない十二種類も存在し、モンハナシャコは色を感知できるだけでなく、その極性までも感知し、円偏光(電場の振動方向が、円を描く偏光状態)をみることができる、現状唯一の生物なのだという。

なぜモンハナシャコの目はそんな複雑な仕組みを持つに至ったのか? なんのためにその能力は利用されているのか? など疑問は尽きないが、本書はそうした「特異点ともいえる動物の感覚」について深く掘り下げた後、その対比として、人間はどのような感覚(モンハナシャコの章でいえば色覚)を持っているのか──という形で、人間の感覚について語っていく。おもしろいのが、こうした特異点的な感覚を持つ動物たちと比べれば人間の感覚は劣っているのだが、実は最終的な性能でいえば意外と良い勝負をする(もしくは勝っている)ケースも多いのだ。嗅覚の章で極みとして登場するのは犬だが、たとえば人間も本気を出せば意外と犬に迫れるとわかっている。

毎回取り上げられる動物もユニークで、アクロバティックな形で特殊な動物たちと人間を比較していくので、各章まるで美しい短編小説のような構成になっている。著者はオックスフォード大学院卒・動物学専攻でドーキンスの弟子だというが、すごいサイエンス・ノンフィクションの書き手が現れたな、と思わせてくれる一冊であった。

モンハナシャコと色覚について

というわけでここからは本編の内容を紹介していくが、最初は第一章のモンハナシャコの話に戻ろう。十二種類もの光受容体を備えた目を持つ動物はシャコの他に存在しない。一方人間はといえば、「赤(長い波長の光)」「緑(中間の波長の光)」「青(短い波長の光)」に対応する三種の錐体細胞を持つ、三色型色覚が一般的だ。この三種類の錐体細胞が様々な組み合わせで反応することで、脳は色の知覚を生み出す。

人間と比較するとモンハナシャコは十二色型色覚といえるが、実は人間の中でも四つめの錐体細胞を持つ、四色型色覚者がいることがわかってきた。色の感覚というのは個人的なもので他者に伝達するのが難しい(あなたが感じている「赤」をどう他人に伝えられるだろう)が、第四の錐体細胞は赤と緑の間の波長に対応していると遺伝子的に推測がついているので、強い四色型色覚者だけに違いが認識できるはずの赤と緑を混合して作った光を用意し、それを見分けられるかの実験を行った。

で、何人ものテストを経て、実際に四色型色覚者は存在していることが判明したのだ。そのことをまったく知らずに生きている人もいるし、特別な色への感度を活かして、アーティストとして生きている人もいる。そのうちの一人、オーストラリアの女性は常人には単色にしか見えない風景を、多彩な色を使って塗り分けてみせる。それは無根拠の色ではなく、彼女にとって見えている色の世界なのだ。『「黄昏を描くのに私が使った色は、特に芸術的表現というわけではありません。他の人がグレー一色にしか見えないという時でも、私の目にはライラック、ラベンダー、スミレのような色、エメラルドのような色など、様々な美しい色のモザイクが見えているのです」。』*1

さて、では四色型色覚者がそんな鮮やかな世界をみているのなら、十二色型色覚を持つモンハナシャコはどのような細かな色を検知しているのだろう──と読み進めていくと、モンハナシャコは実は人間が簡単に見分けられる色さえ見分けられないことが研究でわかっているのだという。無数の光受容体は、少なくとも多彩な色覚世界を認知するためのものではなかったのだ。人間は、モンハナシャコの四分の一の光受容体しか持っていないが、脳がその弱点を補い、豊かな色覚世界を体験している──といって、第一章を美しく締めている。

人間の感覚の可能性

動物たちの感覚をざっとみていくと、色覚以外においても、どれほどに人間の感覚が──というより、それを解釈するための脳が優れているのかがよくわかる。たとえば人間の嗅覚は、特定の器官だけでいえば犬に大きく劣っている。人間の嗅覚受容器の種類は犬の半分しかない。しかし128種類のにおい物質を組み合わせた実験では、人間は少なくとも一兆種類ものにおい刺激を区別できることがわかっている。

これはネズミや猿など、他の哺乳類の大半を超える精度だ。で、それを可能にしているのは嗅覚受容器ではなく、臭いを嗅いだときに反応する脳の領域が嗅覚皮質、嗅結節、内嗅皮質、扁桃体の一部、視床下部の一部(まだまだある)と非常に広いからだと説明される。感覚器官の貧弱さを、器用で大きい脳が補っているのだ。

人間の脳は高度な可塑性を備えており、特定の感覚を伸ばすこともできる。たとえば、エスレフ・アーマガンという名の男性は生まれつき全盲だが、手で物体を触ることで様々な物体を描くことができる。そして、その絵は、ものの形も遠近も正しい立派なものなのだ。では、アーマガンの脳では何が起こっているのかといえば、ものを触った時、視覚に関連するはずの部分が活性化され、触ったものを絵にする時にも、前頭前野、外側側頭葉、視覚有線野の三つが活性化していた。おそらく彼の場合は視覚が触覚に吸収されていて、触ることがそのまま”見る”ことに繋がっているのだ。

時間感覚、方向感覚、身体感覚

と、そのあたりは”五感”の範疇だが、本書では時間感覚、方向感覚、身体感覚など、五感に含まれない感覚も多く取り上げられていて、こちらの記述も大変に魅力的なものばかり。たとえば個人的におもしろかったのは時間感覚を扱った章で、人間の体内時計は約二十五時間であることなどが紹介されていく。こうした体内時計はほぼすべての動植物に加え、菌類や藻類も持っているのだが、なぜかゴミグモの体内時計の一日は十八時間半──自然界でも最も周期の短い体内時計──だったのだという。

ゴミグモの近縁種も同様に体内時計の一日のリズムが短いか、極端に長かった(二十八時間を超えるものがいる)。ゴミグモたちが十八時間周期で暮らしているかといえばそんなこともなく,日光を浴びると彼らも実際の一日に合わせての活動に調整される。しかしそれは毎日時差ボケ状態ということでもあり、特に意味もなく調整のコストがかかるだけで進化上なんの有利もなさそうに思える。体内時計の大幅なずれを悪影響なく修正する方法はまだわかっていないが、より研究が進めば、人間にも応用がきくかもしれない。夜勤労働を行う人間など、体内時計と実際の時刻のズレに晒されている人間は多い(そして、想像以上に夜に起きていると体への負荷が高い)からだ。

最後に紹介されているのは「身体感覚」で、ようは自分の身体を自分の身体と認識する感覚のことだ。どういうこと? と思うかも知れないが、実際に病でこの身体感覚を消失してしまった人のエピソードと研究が紹介されている。身体感覚を失うと、自分の身体が自分のものと認識できなくなり、身体は存在しているのに、それを自由に動かすことができなくなってしまうのだ。この章ではそうした病の人の事例と同時に、触手が別個の脳として独自に考え、動くタコの特異性が紹介されている。

おわりに

本書で紹介されている事例は昔のものも多く、僕もすでに本で読んで知っているものもあったが、それでもどのエピソードも語り口がうまく新鮮な気持ちで読むことができた。人間以外の動物についての記述と人間の感覚についての記述が、相互に補い合うようにして構築されていく、超絶テクニックが味わえる一冊だ。

*1:「白って200色あんねん」というアンミカの名言があるが、この女性も『普通『白』と言われている色は、細かく分けても鉛白、象牙色、白亜色、温白色、冷白色くらいでしょうか。でも私には、名前のない、もっと微妙な色合いの違いが見えるんです。』と白について言及している。四色型色覚者は白をより深く感じているのだろう。




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