この『御利益を科学する』は、そうした日常の中に存在する儀式の数々から、キリスト教やイスラム教、仏教といった宗教が行う儀式が、「なぜ効くのか」を科学的に解き明かそうとする一冊である。著者のデイヴィッド・デステノはアメリカの大学の心理学教授で、瞑想や儀式がもたらす(実際的な)効果についての研究を行っている。たとえば、著者の研究チームは、人は他者(または神)に感謝すると、大切な人だけでなく、見知らぬ人にたいしても正直かつ寛容になることを発見したという。
他の研究は、宗教的実践が不安を和らげ、抑うつを軽減し、さらには身体の健康を増進することを明らかにしている。たしかに心理学者や神経科学者が発見してきた、人々の考えや感情、行動を変える方法や、深い悲しみにいる人を支える方法、人々の結びつきや幸福を高める方法の多くは、宗教が数千年前から用いてきたアイデアや技法とよく似ているように思える。(p.11)
著者は宗教的行動をもっと活かすことを提唱し、創薬研究者が生物資源調査(生物資源の中から医薬品などに使えそうな資源を発見すること)を行うように、社会科学者も宗教資源調査を行い、宗教的実践を深堀りして、宗教が人生を送るうえでの手助けになっている方法と理由を理解する必要があると提唱してみせる。科学を連呼しながらエビデンスが存在しない説明も多かったりと微妙な箇所もそこそこあるが、宗教や儀式に活用できる側面があるのは確かであり、総体としてはおもしろい一冊であった。
お宮参りやお食い初めに意味はあるのか?
個人的に本書で知りたかったのは、お宮参りやお食い初めにどのような効果があるのかという問いへの答えだった。というのも先日の4月に我が家に第一子が生まれており、てんやわんやしている最中に両親にお宮参りとかお食い初めとかやらないの? と言われて「こんな意味不明な儀式やるわけないだろ」と思ったからだった。
本書では第一章でお宮参りやお食い初めが触れられているが、ここは正直期待外れの箇所だった。たとえばこのような儀式は、子育てにおいて3つの利点があるという。ひとつめはサンクコストとしての機能、ふたつめは儀式それ自体が記憶に残ること、最後は公に対するコミットメントとして機能すると。そして、これらの儀式が行われる日本では、この儀式のおかげもあって、他国と比べてもひときわ強い親子の絆の形成や強化が行われている──といった論調で語られるのだが、本文中で『神道の儀式が日本の親子の絆の形成や強化に役立っていることを決定的に証明する方法はない』とエビデンスが存在しないことを認めており、なんだかなあ感がある。*1
死の不安
というわけで、このような箇所が先に書いた「印象論的な説明も多い」の具体例になるが、他に宗教や儀式の効果としてわかりやすいのは、死の不安の軽減だろう。カトリック教徒は死に近づくと、司祭が「最後の秘跡」と呼ばれる儀式を行う。そこで対象者は、赦されたという客観的な保証を与えられる。ヒンドゥー教では臨終が近くなると対象者を家に戻し、次の人生に向けて日の出の方を向いて寝かせられ、マントラを繰り返し唱えてカルマの改善に努める。どれも死の不安を軽減するためのものだ。
こうした儀式は本当に死の不安を軽減するのか? といえば、効果はあるようだ。全般的には信仰が強くなればなるほど、死への不安が低下するという。マントラの詠唱や司祭が旅立つ人に触れ、その手を握ることで、呼吸はゆっくりとリズミカルになり、迷走神経を活性化させ身体と心を落ち着かせる。これは想像通りといえるが、おもしろいのが、信仰心を全く持っていない無神論者よりも、「多少の信仰を持っているが、同時に疑念も抱いている人」が最も死への不安を覚えるようなのだ。
これは考えてみれば当たり前かもしれない。信仰が中途半端だと、宗教的実践も中途半端で、死後の世界も救いも与えられる確信がないわ、消滅への恐怖も薄れていないわでただただ不安の対象が増えただけといえる。中途半端に信仰を持つぐらいなら、無神論者でいたほうが(死に際しては)良いのかもしれない。
死を身近にする
個人的におもしろかったのが、幸福度についてのデータを扱った章だ。
世界各地のデータをみると、人間の幸福度はどこの地域でも、30代後半から下がり始め、50歳前後で底をついてその後上昇していくU字型の曲線で推移する。ヨーロッパのデータでは、抗うつ薬などの使用量も同じような推移を示しているようだ。で、どうしてこのようなことが起こるのかといえば、『中年期に幸福度が低下する主な理由の一つは、必要な時期に林住期のような考え方に切り替えられない人が多い』からだと著者は語る。林住期とは「世俗を離れ迷いが晴れ自分らしく自由に生きる期間」のことを指す。ようは、中年期に社会的地位に固執し続け、優しさや寛容さ、奉仕、繋がりといった価値観を重視する方針に転換できないのがその理由だというのだ。
スタンフォード大学長寿研究センターのローラ・カーステンセンらの研究によれば、若く、死が遠くに感じられる時、人は知識やスキルを身に着け、キャリアや富、社会的地位を高めたいと考える。一方、人生の残り時間が限られていると感じた時、慣れ親しんだもの、幸せな気分になれるとわかっている人間関係、感情的に意味のある行動を大切にするようになる。一般的に、60歳前後で後者の傾向が強まるようだが、人間の幸福度にとって後者の方が重要なのであれば(実際、それを示す研究は存在する)そうした転換がもっと早いタイミング(底をうつ50歳とか)で起こってもいいはずだ。
人生のより早い段階でそうした価値観のシフトを引き起こすためには、カーステンセンらの研究を参考にすれば、より早い段階から「死を意識する」ことが重要で、そこでは宗教や儀式の力が生きてくる。たとえばユダヤ教では、ロシュ・ヤハナの日に、神は「命の書」に正しい者の名を、邪悪な者の名は「死の書」に記される。ただ、どちらでもないものの名は第三の書に記され、神はロシュ・ヤハナから10日後のヨム・キプルの日までそこに名前を記された人々の裁きを保留する。もし第三の書に記された人々がヨム・キプルの日までに価値を証明できれば、名は「命の書」に移される。
つまり、ユダヤ教の大半の人々にとってはその10日の期間は自分の死を意識しながら、懺悔と許し、善行と慈善寄付というテーマに従事する期間であり、『ユダヤ教の大祭日は、人生の残り時間が減っているという感覚と、正しい行い──他人を助けること、公正であること、平和に過ごすこと──への強い後押しを組み合わせることで、人々を永続的な幸福をもたらす行動や価値観へと向かわせる』のである。
おわりに
儀式の効果を感じたければ、別に既存の宗教や儀式を信じるのではなく、自分で新しく作ったっていいのだと著者は語る。たとえば最初の研究例として、人に感謝することの効用について触れたが、一日3回決まった時間に誰かを思い浮かべて感謝をするという儀式を勝手に定めたっていい。死に際しても、宗教への信仰心が薄いまま、宗教的知見をいかすこともできる。一緒に深呼吸する、好きな歌を一緒に歌う、手を握って一緒に過ごす。死を意識する期間を意識的にもうけるのも良いだろう。
宗教の儀式や祈りの効果を研究し、理解することは、宗教を信仰していない人にも利益があるのは間違いない。
*1:この仮説を科学的な方法で検証するためには、妊娠を控えたカップルを無作為に選んで、その半数を神道に改宗させて──みたいな倫理的に不可能な手順を踏まえる必要があるから仕方がない面もあると思うが、個人的には日本の親子の絆に関して、こうした儀式は著者が主張するほどには関係があるとは思えないな。ただ、僕もそのすべてを否定したいわけでもない。子どもが生まれたばかりの頃に儀式が目白押しなのは僕も意味があると思うし(先の3つの利点には僕も賛成するところである)。より直接的な効果を持つであろう乳児期の儀式としては、イスラム教では母親は最長40日間の休養が奨励され、様々な責任や家事労働から解放されるとか、ヒンドゥー教も産後一ヶ月は休養を推奨していて──と、これらは効果を科学するとかしないとか以前に、シンプルに助かる生活の知恵といえる。