テーマとなっているのはタイトルにも入っているように「世界の終わり」。物語の舞台は謎の現象”霧”によって人類の大半が死滅し、最後に残された人々がバリアに守られて暮らすギリシャの島。90年以上に渡り殺人は発生していなかったが、ある時、長老と呼ばれる人々のうちの一人が殺されてしまう──。そしてとある事情からこの人物の死の謎を解かなければ、霧からこの最後の人類の生き残りを格納する島を保護するバリアが失われたままになることがわかり、探偵役は殺人事件の解明か、はたまた人類の滅亡かの二択をかけた推理に文字通り命を賭して挑戦することになる。
スチュアート・タートンの作風
スチュアート・タートンの作風は一言でいえば”チャレンジング”で、それはデビュー作である『イヴリン嬢は七回殺される』の設定を見れば明らかだ。これは先に書いた通りタイムループ物のSFミステリではあるのだが、盛られているのはそれだけではなく、タイムループをした上にさらにループごとに別の人格に宿っている──つまり、実質的にはタイムループ&人格転移ミステリなのだ。そんなんでミステリーになるのか? といえばこれをちゃんと剛腕で成立させるのがスゴいところ。
で、その対が海洋冒険・怪奇小説の『名探偵と海の悪魔』で、さらにその次がまた派手に飛んで「人類の終末」だ。毎作毎作時代設定、ジャンル、世界観を変え、練りに練った複雑なルールを設定し、それを見事に長篇の中で味わい尽くして見せる。そうしたスチュアート・タートン作品の持ち味は本作で存分に発揮されている。
読み始めた直後は不可解な設定や描写の数々に驚くのだが、約30%ごとに世界がひっくり返るような展開が発生し、ページをめくり終える瞬間までどのような事態が起こってもおかしくないと思わせる不穏さがある。終盤は読み進めるたびに評価が急上昇していく作品だ。作品の性質上本格的に内容に踏み込んだことはかけそうもないので、この部分まで読んですでに「おもしろそう!」と思えた方はこの先は読まなくてもOK。もう少し知りたい人向けに、冒頭30%ぐらいの内容にとどめて紹介しよう。
あらすじ・世界観など
物語の舞台は、触れたものをすべて殺してしまう”霧”が地球全体を覆い、ある島とその半径半マイルの海だけが霧を防ぐバリアによって守られている未来。そんなバリアがあるのなら人類全体を守れただろと思うかもしれないが、バリアの研究拠点こそがここであり、ごくわずかな人だけが完成に間に合ったという状況のようだ。
とはいえ島の資源は有限で、人口は122名以下に保たないとならないなど、厳しい誓約が存在する。たとえば島では122名の制限を守るために「村人」は病気であるかどうかといった例外なく60歳になった誕生日に死を強制される。とはいえ何事にも例外はあり、バリアの研究機関に所属していた科学者の生き残りである三人の長老はこの「人為的な寿命」制約に含まれず、そのうえ前世代の技術によって老化は遅く170歳を超えて生き、病気にならず、村の誰もが本能的に敬意を払うようになっている。
そんな世界で探偵役として覚醒していくのは、エモリーという女性だ。村人の中でも彼女はひときわ好奇心旺盛で、気になったことは相手を怒らせようが何でも質問してしまう。だがその特性を買われてか唯一ミステリー小説を読むことも許されており、村人の大半が暴力的なものにたいする極端な拒絶反応を示す一方で、殺人事件という概念に慣れ親しんでいる。だからこそ、長老の一人にして最も村人から慕われていたニエマが火災の現場で死んでいるのが発見された時も、臆せず調査を始めるのだ。
事件
ニエマの死は火災の現場で起こったこと、遺体が落下してきた梁の下にあったことなどから最初は事故だと思われたが、エモリーの調査ですぐに疑惑が巻き起こる。胸にナイフほどの刃による傷があり、雨によって火もニエマまで届いていなかったことが判明。さらに、ニエマの指示によって長老らも含む村人らのの記憶が一斉に消失させられており、仮に殺人者が実際に存在したとしても、その人物は記憶を持っていない可能性があるという恐ろしく困難な状況でニエマの調査がスタートする。
本作の特徴といえるのが、各人の脳内に存在しているエービイというサポートAI的な存在だ。エービイは前世代の技術で、各人にたいして頭の中で語りかけ、様々な情報を提供したり、衝動を抑えたりといった様々なコントロールを行っている(ようである)。ニエマの指示で記憶の消去を実施できたのも、このエービイに他ならない。で、様々な登場人物の視点に場面が飛ぶのだが、だいたいこのエービイの語りで物語が進行していくんだよね。そのおかげで一人称でありながらも三人称的な広い視座が提供されていて──と、だからこそのミステリー・SF的ギミックにもつながっていく。
その後、長老三人の中でももっとも強い権力を持っていたニエマの死をトリガーとしてバリアの発生装置が消失し、46時間で島が霧に飲み込まれることが確定。エモリーはある事情からその時間までに事件を解明する必要に駆られるのだが──というところから、物語は加速度的におもしろくなっていく。
完璧な社会。失敗を積み重ねて成功へと向かうこと
SF的には終末もの、ミステリ的には記憶の操作など特殊設定山盛りのミステリとしてそれぞれ魅力がある本作だが、作品それ自体として見たときには、「完璧な社会の実現」というテーマがずっしりと重く横たわっているように思える。
というのも、ある意味終末的状況下で120人ちょっとが生き残っているという状況は、「完璧な社会を目指す」にあたっては最適な状態ともいえるからだ。人類が一度そのような状態に陥ってしまっている以上、それまでの道のりは失敗だったといえる。しかし、まだ人類が滅亡していない以上、別の道筋でやり直すことができる。
物語の冒頭に長老の二エマとテイアーの二人の口論の場面があるが、二人の立場の違いはそのテーマをはっきりと示している。テイアーはいち早く霧を除去する方法を研究し、地球と人類社会を元の状態に戻したがっている。一方のニエマは、霧以前の問題として、それを生み出すに至った戦争をなくし、子どもたちが誘拐される、貧困や暴力といった、かつての社会ではありふれた事件をなくすことを考えていた。
わたしもあなたと同じものを恋しく思っているのよ、テイアー。でも、かつての自分たちを恋しくは思わない。いたるところにはびこっていた暴力は恋しくない。貧困も、怒りも、選挙で勝って憎しみをまき散らすサイコパスの心配も」*1
では、どのような構成員による社会なら、より完璧な社会へと近づくのか? それこそが本作で殺されるニエマがその死の直前まで追求していたテーマである。
終末に一度近づいたからこそ「完璧な社会」がテーマになる。そして、終末的状況へ陥った「失敗」から立ち直り、実現が不可能だったとしても理想としての「完璧な社会」に、幾度も失敗を繰り返しながら進んでいく。本作の探偵役であるエモリーは普通の探偵役だったら途中で逮捕されてもおかしくない勢いで推理や行動をミスり続けていくのだが、それでも彼女は正しい方向を向き、決して問いをやめない。
そして最終的に答えにたどり着く。その粘り強さこそが彼女の探偵としてのギフトであり、彼女の姿が、終末から立ち直ろうとする人類、そして失敗したとしても次こそはより良い社会を、と考える人間それ自体の粘り強さテーマに重なっている。
おわりに
この記事を書くために本作をもう一度読み返していたが、すべてのテーマとギミックが、「終末」と噛み合っているな、とあらためて気がついて著者の技巧に驚かされるばかりであった。SF的にもミステリ的にも年間ベスト級の作品なので、興味があったらぜひ手にとって見てほしい。
*1:スチュアート・タートン. 世界の終わりの最後の殺人 (文春e-book) (p. 106). (Function). Kindle Edition.