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時間の止まった死体を幻視する、時間SF✗ミステリのすべての要素が噛み合った良作──『パラドクス・ホテル』

この『パラドクス・ホテル』は、米国の作家ロブ・ハートによる時間SFミステリ長篇だ。物語の舞台になっているのは過去へのタイムトラベル技術が実用化された未来で、「時間離脱症(アンスタック)」と呼ばれる厄介な病にかかってしまった主人公ジャニュアリーと、タイムトラベル用の港に併設されたホテルで起こった世界を揺るがす大事件(とそこで起こった殺人事件)を追っていく構成になっている。

時間離脱症はタイムトラベラーがかかる病で、初期症状としては現在ではない過去や未来の情景が視界に映り込み、最終的には心が量子状態に陥り、負荷に耐えきれなくなって死に至るとされている。主人公のジャニュアリーはこの時間離脱症の初期症状がでているせいか、勤務先のホテルで「彼女以外見ることのできない、時間の止まった死体」を幻視してしまい──と、時間SFと殺人事件が混交していくことになる。

本作はこの時間離脱症という設定のおかげで「現在進行系の物語を扱いながらも、目の前には過去・現在・未来が交錯する」情景が頻出していて、まずこの演出が画期的におもしろかった。加えて、これはミステリー的にも良い仕掛けになっている。たとえば、探偵役のジャニュアリーはみんなで調べたくても死体が自分にしか見えないので自分ひとりで事件を抱え込むことになるのだが、これは探偵独自の葛藤、そして他人や外部の正当な機関が捜査に踏み込んでこない理由付けとしてちょうどいい。

事件がホテルという閉鎖・限定環境下で進行するので時間にまつわるめちゃくちゃなイベント(恐竜の赤ちゃんがホテル内を走り回ったりする)が発生しても話がまとめやすいのも良くて、舞台設定、時間SF要素とミステリ要素、のちに明らかになる主人公と恋人のロマンスまで合わせて、すべての要素が分かちがたく噛み合った良作だ。

あらすじ・世界観など

世界観をあらためて紹介していこう。物語の舞台は、タイムトラベルが実用化された2070年代の未来。とはいえいけるのは過去だけで、依然として未来に行くことは可能になっていない。この世界では過去の改変は犯罪行為として禁止されていて、ドラえもんのタイムパトロールみたいな時空取締局がそれを未然に防いでいる。

とはいえ、過去改変を試みるものは必ず現れる。では、その時(大規模な過去改変が実施された時)何が起こるのか? といえば、物語開始時点では「大規模な過去改変はなされていない。ゆえに、時間が正常に保たれている」とされている。はたして本当にそれは正しいのか? というのと、大規模な過去改変が実際になされた時、宇宙はどうなってしまうのか──? という追求が本書を動かす軸の一つになっていく。

タイムトラベル事業の民営化

作中ではタイムトラベル事業はアインシュタイン・インターセンチュリー時空港で行われているが、これを利用できるのはアホな金持ちたちで、たとえば17世紀のイングランドで『ハムレット』の初演をみたり、紀元前3世紀のアレキサンドリア図書館を見学したりするために使われているという。とはいえその稼働と維持費には莫大な費用がかかり、政府機関としての事業は赤字続きで利益がでていないという。

さらに、莫大な社会保障費などアメリカが国として必要とする金は日々増えている。そこで、アメリカ政府は純資産一兆ドル以上の大富豪を何人か招待し、この事業をまるごと買ってもらうための代表者会議を開こうとしている──というのが、物語開始時点の状況になる。いわば赤字事業を民営化したいわけだが、「タイムトラベル」技術なんて凄まじい代物を民間に明け渡したら地獄を見ることがわかりきっている。

そのため、誰が落札者になろうとも、「時空取締局は同様のルールで取り締まるし、タイムラインを尊重しすべてのルールに従う」ことを誓約させられるという。だが、集まってきた大金持ちたちは当然ながら曲者揃いで、彼らが集まるサミットの警備主任であるジャニュアリーは、彼らがみな何かしらの理由と大義を持って「過去を改変」するために買収を目論んでいることを知る。

 コルテンはいきなり立ち上がると、またうろうろ歩き始める。歩きながら、言葉があとからあとからあふれてくる。「〈見るだけで手を触れてはいけない〉。それがタイムトラベルの鉄則だ。そんなこと、わたしだってよく知っている。しかし、この鉄則が間違っていたらどうする? もしわたしたちが、歴史に手を触れるべきだとしたら? 数十年まえ、まだ高い効果が期待できたころのクリーン・エネルギー構想に、投資する方法がもしあるとしたら?」p.129

過去を改変して、何が悪い?

一兆ドルを超す資産家が「過去の改変」に興味を持たないはずがないし、設定されているルールを大人しく守ろうとするはずもないという点でこの「タイムトラベル事業民営化案」が果てしない騒動を引き起こすことは物語開始時点から確定しているわけだが、同時に「歴史に手を触れるべきだとしたら?」という疑問も真っ当なものだ。

「過去改変は発生していない。なぜなら現在のタイムラインが壊れていないから」というが、旅行者が白亜紀から中世まで様々な時代に行っているのに、過去改変が発生していないなどということがありえるわけがない。たとえばその場にいって、誰とも話さずとも空気をかき乱すだけでも過去は書き換わっているはずである。それに、ホテルでは白亜紀から旅行者がこっそり持ち帰ってきた恐竜の卵が孵化して走り回るなどたいへんな事態が起こるが、そんなことが容易く可能な時点で何かがおかしい。

そうした過去改変が実は積み重なっていたのか、はたま別の要因かは読んで確かめてもらうとして、物語中盤以降はまるでジャニュアリーが陥っている時間離脱症の症状のような「時間の混乱」が随所に現れ──たとえば太陽が一時間以上早く沈むなど──最初は単なるホテル内でのいざこざのはずだったのが、中盤から事態はワールドワイドな騒動に発展していくことになる。過去を改変したらどうなるのか? 最初に言われているように、時間は壊れてしまうのか? 壊れたとして、世界はどうなってしまうのか──? そうした様々な疑問が、終盤に向けて物語を盛り上げていく。

おわりに

世界の時間がおかしくなるのと歩調をあわせるように、ジャニュアリーの時間離脱症の症状──彼女にしかみえない死体、彼女にしかみえない詩、事故で亡くなってしまった元恋人の幻影との邂逅──もひどくなり、「ジャニュアリーの時間離脱症の症状」と「世界の時空の乱れおよび時間そのものの解明」と「殺人事件の解明」と「ジャニュアリーと亡くなってしまった元恋人とのロマンス」という無数の軸が、クライマックスに向けて収束していく。このへんの構成は素晴らしく緻密だ。

ノワールかハードボイルド探偵小説のような、強さと弱さを兼ね揃えたジャニュアリーの語り口も魅力的。スマートな良作なので、特に時間SForミステリ好きにはオススメしたい。ロブ・ハートは本書(パラドクス〜)と同時期にハヤカワ・ミステリからおもしろそうな『暗殺依存症』というミステリも翻訳刊行されているし、今後の翻訳に期待がかかる作家だ。




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