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私、オルガ・ヘプナロヴァー

タイトルが覚えづらいという人は、あみんの「待つわ」を参照するのが吉。


2016年。トマーシュ・ヴァインレプ、ペトル・カズダ監督。ミハリナ・オルシャンニスカ、クラーラ・メリーシコヴァー、マリカ・ソポスカー。

1973年。22歳のオルガ・ヘプナロヴァーはプラハの中心地で路面電車を待つ群衆の中をトラックで突っ込み、8人を死亡、12人を負傷させ、チェコスロバキア最後の女性死刑囚として絞首刑に処された。実話。


たしかに汝は正しいよ。
暑っつい暑っつい、ちゅて。
気温が高いだけやなく湿度までえらいことなっとるがな、ちゅて、通りすがりのおばはんも言うてたわ。
たしかに汝は正しかろ。きしきしきし。
でもさ汝、おれはそんなに気にしてないんだよね、猛暑日とか。余裕の河童なんだよね。余裕の河童、ちゅのは「余裕のよっちゃん」と「屁の河童」を合体させた三段活用の最上級のことだけどね。
せやから「毎日ゝゝ暑くて敵わん。むりかもー」と降参寸前の其処なる汝さぁ。しょうもない顔すな。ちょっとしたコツがあんだよ。今日はそれを教示フォーユーするから、参考にできそうなとこは適宜参考にして、参考ならんとこは適宜棄却すること!

元来おれは、京都生まれ京都育ちのナチュラルボーン盆地ボーンってんで、もう暑さや寒さには慣れた、ちゅか諦めてる節があるっちゅうか、いっそ受け入れてるわけ。
おれが暑さを感じない理由。
それは暑さを無視してるからだ。
大体からして、おれは不思議です。人は夏に「暑っつー」と言い、夏の気温を厭悪し、冬は冬で「寒っむー」と言い、冬の気温を嫌忌するが、おれに言わせれば、SORASEYARO、なのである。
そらせやろ。
夏は暑いもの。暑いから夏なのだ。明々白々のハクビシンじゃないか。当たり前田のクラッカーじゃんよ。それをば、真夏の太陽に照らされ「暑っつー」。
なんで自明の理をすぐ言うの!!
ご紹介しましょう。おれのバヤイ。まずクーラーの利いた家から外に出ますよね。つとに太陽燦々。
「暑っつー」
暑っつー言うてもうてるわ。
今のナシね。今のはジョークですやん。言わなかったものとして話を続けます。おれが審判です。

まあ、太陽は厳しく照りつけるけど、その太陽光に対してまず手裏剣一発、お見舞いするわけです。
「知ったこっちゃあるかあ!」
これである。
知ったこっちゃあるか。
太陽に対してツッコミを入れるというのか、ぶち切れるというのか。おれの体感だが、この精神を心に持つことで50~60%ぐらい暑さをカットできます。
いいか。猛暑など知ったこっちゃない。大なり小なり夏は暑いものだと割り切ってるから、どれだけ暑くても「まあ、そりゃね」としか思わん。ましてや地球温暖化が進んでる現在、異常なほど暑くてむしろ当然っていうか、さんざっぱら得手勝手してきた人類がその身でツケを払ってるだけのことだ。むしろ、おれたち人間サイドが「今年の夏、暑すぎるー」って被害者ぶってる方がおかしいんだわ。独り相撲だよ、こんなもん。くだらねえ。
だから暑さよ。暑みよ。おまえのことなんて知らん。「明日はもっと暑いよ~」なんつって、おれたちの気を引きたいのかしらんが、勝手にやってろ。おれは日々、映画を観て批評を書くみたいな人生を送ってますから、太陽とか興味ねえんだよ。正味の話、京都市の最高気温とか降水確率とか、映画とは何の関係もないしね。あと、おれは基本的にひねもす考え事をしてます。道を歩いてるときも、映画のことだったり、前書きのネタだったり、ブロッコリーのことだったり、大型犬が口を開けたときに露出する歯茎のことなんぞ考えながら歩いてるので、暑いと感じる暇もないっていうか、わざわざ暑いと感じてやることで思考が散漫される義理もないっていうか。だから、おまえごときに、つまり暑さごときに思考を妨害されてたまるか、喋んな、ど突き回すぞ、みたいな。
だから、どれだけ暑かろうと知ったこっちゃない。暑さよ。おまえに暑中見舞いを申し上げるぜ。逆に。

っていう精神です。
もちろん精神論なんだけど、これが意外と効果覿面っつうか、要するに「心頭滅却すれば火もまた涼し」の活用ナンダヨーネ。
「暑い」という雑念を取り払うというか、いちいち暑さに付き合わない。むしろそれを受け入れ、諦め、抱きしめ、無視し、突き放す。もう子供をネグレクトする親と同じ境地よ、こうなってくると。
自分と一番遠いところに暑さを置き、暑さをネグレクトし、暑さから自分を切り離す。
だから例えば、おれが道の右側の日向を歩いてて、左側に日陰があったとしても、わざわざ日陰には行かず、まっすぐ右側、つまり直射日光をガンガン浴びる日向を歩き続けますよ、それは。なんとなれば、もしここで日陰の方へ進めば、少しでも涼しい道を歩いて暑さを和らげたい自分というものを意識してしまい、それすなわち暑さを意識していることを意識してしまう身振りにほかならないので結句、余計に暑さを感じてしまうからである。

とはいえ汝らは初心者でしょうから、心頭滅却ルーキーの手ほどきとして、まずは猛暑の往来を歩く際に「興味ねーなー。関係ねーなー」とぶつぶつ呟き続けることをおすすめします。
暑さに対してしらばっくれろ。
「知らねーなー。私の管轄外だなー。別の世界線だなー。どうでもよー。地球の裏側の出来事だなー。テレビの中の世界だなー。憧れちゃうなー。暑さという概念が存在する世界に憧れを禁じ得ないでいるなー。関係なー。メルヘンだなー。私、推理モノとか好きだから興味なー。殺そうかなー。スポティファイで広瀬香美きこかなー。コーヒーの自販機の『あったかい』押すたび心に灯がともるなー」ゆうて。
「なんでかなー」ゆうて。
そも、暑さというのは抗えば抗うほど暑く感じるもの。暑いから薄着で、Tシャツで、ノースリーで、というのもだめだ。だみだ。ちなみにおれは、いかな猛暑日とて長袖です。本当です。腕の細さと白さがコンプレックスなので半袖は着ない。絶対着ない。
長袖で過ごす、京都の真夏。
想像できますか?
これを実践して尚、心頭滅却すれば暑さを乗り越えられると言っているのだから、ぼくの言葉って信憑性があるよね。そう思わない? あるよね。
はい、「ある」で決定。

※でも熱中症には注意ね。ぼくの理論を勇気百倍で実行して熱中症でぶっ倒れても、ぼくは知らないよ。なんの責任も負わず、涼しい顔してブログを更新し続けていくよ。ありがとう。

そんなわけで本日は『私、オルガ・ヘプナロヴァー』です。



◆いつまでやってる、ヌーヴェルヴァーグ◆

 HEY、其処なる君よ。ここまでページをスクロールするまでに、ポスタービジュアルとスチール写真の画像2枚を目にしたと思うが、その時点で「ああ、ヌーヴェルヴァーグね」と察してくれた君のレベルに合わせて今回は評を書く。
本作はヌーヴェルヴァーグ・ライクな有象無象のなんちゃってヌーヴェルヴァーグだわ。
ヌーヴェルヴァーグをあまり観たことない、なんならヌーヴェルヴァーグが何かも知らない人にとってはシャレた映画にも見えようが、やれゴダールだトリュフォーだロメールだ、せんどヌーヴェルヴァーグを観てきた人間にとっては「またか」の三文字で片づけうることのできる、正直わざわざ記事に取りあげて批評するのも煩わしいほど、この手の映画は特定のボキャブラリーだけでこれまでに110本ぐらい語ってきた“切っても切ってもキリがねえ金太郎飴映画”なのだが、目下、当ブログはレビューストックが枯渇しかかっているため、たとえ書きたくなくても観た映画は片っ端から批評せねばブログ運営がママならぬ、パパならぬ、という八方塞がり家族全滅直前状況ゆえ、面倒臭いけどがんばって書きまーす♡


 とはいえ面倒臭ぇ~~~~。
ジャック・リヴェットが35mm短編の『王手飛車取り』(56年) を撮って68年。開闢現在2024年にもなって、未だにヌーヴェルヴァーグの亡霊に追われる現代映画史の進歩の無さに絶望をしました!!
振り払え、振り払え。そんなもん。
一度は振り払ったはずだろうが。市川崑が。大島渚が。北野武やレオス・カラックスが。韓国ではホン・サンスが。
なのに何度も何度もおなじ亡霊にとり憑かれやがってええええええ!!!

ヌーヴェルヴァーグなぁ…。
どうやら、ここらが“映画の限界”なのか?
少なくとも人がヌーヴェルヴァーグを忘れない限り、映画という文化/芸術/発明/営為は現時点という名の陥没点にて退嬰する。さながら映画のごとく「ジ・エンド」だ。フランス映画風にいえば「FIN」かな。やかましわ。
べつに、おれは未来志向も回顧主義も等しく嫌いだ。最新のテクノロジーや最先端の流行は下品で低俗だと思っているし、インフルエンサーなどというわけのわからないガキどもは一生インフルエンザに罹っとけ、と希っている。他方、VTRで昔の歌謡曲を懐かしんではスタジオの若手タレントを「まあ、令和の子たちは知らないよな~」とイジる音楽特番や、現在70歳のベテラン声優が劇場版アニメ最新作で大昔にやっていた20代のキャラクターを代わらず演じることに対してファンが「ありがと~」とか言ってるアニメ界隈の磁場は気味悪りィからお願いだから滅んでくださいなぜなら気味悪りィから、というトートロジーをトー吐露ジーしたいきもちでいっぱいなのです。
同様に、1950年代末に流行ったヌーヴェルヴァーグの残滓を、2020年代中期にもなった現在、未だに濾過し続けんとする「たいして美味くもないけど昭和36年からやってます喫茶」のごとき歴史依存病というかレトロスペクティヴな映画史幻想にもウンザリしているクチよ。

いつまでやってる。

さっさと“先”に進め、バカタレが。



◆「ぽさ」の厚化粧◆

 まあ、愚痴ってても始まらない。
『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は2016年に製作されたが、日本では去年公開されたチェコ/ポーランド/スロバキア/フランスによる合作映画である。
合作し過ぎやろ。
4ヶ国て、おまえ。『ドラクエモンスターズ3』か。4体配合ぉ~ゆうてる場合か。
物語は、チェコスロバキアで最後に死刑執行された実在の女性死刑囚オルガ・ヘプナロヴァーがプラハでトラックを暴走させ8人を轢き殺して死刑になるまでの数年間を見つめる。

いきなり余談だが、こないだ知人に「ふかちゃん、最近なに観ました?」と訊かれたとき、『私、オルガ・ヘプナロヴァー』というタイトルが思い出せず「人名がタイトルになってる映画って覚えにき~~」と腹が立った。『私、オルガ・ヘプナロヴァー』て…。
覚えられるかあ、こんなもん。
ほんで『私、』ってとこも腹立つな。なにが『私、オルガ・ヘプナロヴァー』やねん。
あみんか。おまえ。
あみんの「私、待~つ~わ♪」みたいに『私、オ~ル~ガ♪』やあれへんがな。
…と思って、はぅあうぅ!
あみんの『待つわ』理論に則って「私、待~つ~わ♪ いつまでも待~つ~わ♪」の要領で「私、オ~ル~ガ♪ ヘプナロヴァ、オ~ル~ガ♪」って覚えればいいってこと!!?
いけるやん、あみん戦法。これ何回か歌とたらタイトル覚えられるぞ。今夜、シャワー浴びもっていっぱい歌お!
そんなわけで、いまや完璧にタイトルを記憶した男、不肖ふかづめが『私、待つわ・ヘプナロヴァー』を批評します。
あ、間違えた。『私、あみん・待つナロヴァー』か。


…お付き合い頂いてどうもありがとうね。
こういう枝葉末節で、わざと文字数を稼いでるんですョ♥ なぜなら批評自体はすぐ終わるから。語るべきことがそんなにねーから。
批評としては、もうこの一言に尽きるわ。
カイエ派の影響受けすぎ。
もうええて。
今までせんど見てきたわ。
ゴダール、トリュフォー、リヴェット、ロメールら、フランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の初代編集長アンドレ・バザンが提唱した「作家主義」に基づいたヌーヴェルヴァーグの旗手たち、通称カイエ・デュ・シネマ派(事務所がセーヌ川の右岸にあったことから「右岸派」とも呼ぶ)による、いわゆる“人がヌーヴェルヴァーグと聞いてパッと思い浮かぶあの感じ”がここぞとばかりにドヤ顔でスパーク。
たとえば、ほら最近、我が国ジャポンにおけるサブカル界隈の浅瀬ではちょっとした昭和レトロブームが巻き起こってるでしょう?
その映画版です。
いまのZ世代の子たちが「昭和ノスタルジーって逆におしゃれ。逆にいかす」と感じるように、1950~60年代に映画から芸術性だけを抽出したヌーヴェルヴァーグという映画運動の“脱構築された映画理論”の難解さを、今、ただただスタイルコンシャスに咀嚼しては“おしゃれ映画”というファッションに落とし込んだ有象無象の作品群。
その氷山の一角を、いま私たちは見つめているわけです。



とはいえヌーヴェルヴァーグもどきの映画って(映画が行き場をなくした)2010年代あたりからアホみたいに粗製乱造された結果、今や「はいはい、またそれね」と一発で看破されてしまう出涸らしノスタルジアと化したことにさえ気づかないほどバカではなかった監督トマーシュ・ヴァインレプとペトル・カズダは、本作『待つわ、あみん・ヘプナロヴァー』で精いっぱいの差別化や唯一性という名のオリジナリティを発揮したのもまた事実。
いま、おれは割とイライラしているけれど『わたし、褒めるべきは褒めネヴァー』ってことで、ここはしっかり評価したいと思います。

最初の10ショットぐらいに宿る新味で観る者を不意打ちする。そんなハッタリ勝負の、さかしい映画だと知りつつも、わざとその一撃を心地よく受け入れられたのは、思いのほかこの二人の監督がマジだったからであります。
ややもすると、おれみたいな面倒臭い観客よりも“今さらヌーヴェルヴァーグを性懲りもなくやること”に対する苛立ちを覚えていたのかもしれない、と思わせるほどには周到に想像された“ヌーヴェルヴァーグの、その先”をフィルムに焼きつけていた。
たとえば。ベルイマンの『仮面/ペルソナ』(66年) のごとき瞳を欺くオルガの配置。あるいはオルガをカットごとに動かさず、後ろのショットに“残す”手つき。これにより、カットにともない共演者や背景がサッと変われども、オルガだけが同じ格好、同じ構図、同じイメージ、いわば『まるで、同じヘプナロヴァー』として、あたかも標本針でとめられた哀れな美的昆虫のように“ひとつ前のショットに取り残された被写体”であるかのごとく、映画から忘却(されど観客にとっては記憶)されるのである。
こうした映像的意匠は、自殺未遂を起こして精神病棟に入れられた当時13才のオルガの孤独と停滞、あるいは周囲の無理解による“世界の断絶”を表した、すぐれて先進的なヌーヴェルヴァーグ技法として、これほどまでに映画がつまんねえ時代においてはひとまず歓待されるべきだろう。
もう、自分でもなに言ってるかわかんねーけどよ。先進的なヌーヴェルヴァーグ?


その後、中盤を迎えた映画は、ゴダールの『勝手にしやがれ』(60年) における壁を背景に使った平面構図や『ウィークエンド』(67年) の森の通俗性、ブレッソンの『少女ムシェット』(67年) 、あるいはアンナ・カリーナの髪型や、半ばギャグと化した喫煙量、ベッドを用いたゴダール的横臥のイメージなど、カイエ派の遺伝子を受け継いで健やかに進行してゆく。
正味、このへんからは「あーはいはい」って感じね。意図スケスケのフレスケスタイの出来あがり。あの映画のあのシーンや、この監督のこの演出をやりたかったのね、みたいな。もとより最初の10ショットで勝負を決めにいった作品なので、中盤以降はもう消化試合っていうか、余技っていうか、想定の範囲っていうか。こんなこと言うのはあれだけど…べつに観なくていいです。
ただ“見る”だけの時間ね。
“観る”必要はない。



 んー。なに喋ろう。
ジャンプカットについて喋ろっかな。
本作はヌーヴェルヴァーグの復権を喉が終わるその日まで声高に叫ぶみたいな作品なので、当然ジャンプカットを多用。否。乱用。すげえジャンプする。週刊少年ジャンプよりもジャンプする。
ジャンプで思い出したが、そういえばHey! Say! JUMPとかいうジャニーズのアイドルグループがいたよね。現在進行形で“いる”のか? まったく知らんけど。彼らって令和以降はどうしてるんだろ。おれみたいなファンでも何でもない人民からは「まだ平成言うてるやん」、「もう令和なのに」と指をさされる可能性もあるが、ただ、Hey! Say! JUMPというネーミングに「平成“から”ジャンプするような、元号を越えて活躍する永遠不滅のアイドルユニットをめざして云々ゴーゴゴー」みたいな意味が込められていたのであれば、なんら矛盾も誤謬もないどころか、むしろ平成が終わって令和に代わったことでようやくネーミングの由来、その本来の意味が発露/発揮/発現さるるのであるる…と、おれなんかは愚考するあたりだよな~。
Hey! ゆうて。Say! ゆうて。 

閑話休題。ジャンプカットの話からHey! Say! JUMPの話をしてしまったおれを、どうか許してくださいよ。こんなにも照れて、謝ってるんだからさ。
とにかく本作のジャンプカットはヌーヴェルヴァーグヌーヴェルヴァーグしすぎて、どうもおれは好かんな。映像技法としての手段のひとつであるはずのジャンプカットが自己目的化しているだけでなく、「ぽさ」の厚化粧にもなってしまっている。
ヌーヴェルヴァーグっぽさ。
この「ぽさ」を際立たせるための演出―もとい化粧である。
くだらん。
また話は逸れるが、それでいえば日本映画はジャンプカットに疎くなったよな。ヨーロッパ映画とは逆で。日本の観客は純粋培養された温室育ちのお嬢ちゃん/お坊ちゃんばかりで、たとえば順序通りにA→B→C→Dと手順を踏まず、いきなりAからDにショットを繋げた場合、その断片の狭間で語られた不可視の文脈を読みとれず「何が言いたいのかぜんぜんわからない。くるくるするー」などとFilmarksに書き込んで低評価をつける、などするから、日本映画の作り手や海外映画の翻訳家(なっちなど)、あるいはポスターやトレーラーを作る配給会社の人たちも「ああ、そうか。手取り足取り教えてあげないと理解できないんだったな、この子ら」と忖度、よかれと思って、悲しいシーンでは悲しい音楽を流した挙句「私は今こんなにも悲しんでます。なぜならあの娘が余命宣告を受けたから。あ、雨も降ってきた。マジかよー」などと、一から十までセリフで心情吐露したうえ、悲しげな音楽でこれ見よがしに愁嘆場を演出、極めつけに、それまで快晴だったのに、悲しいシーンといえば雨、というメロドラマのお約束を律儀に守り、急に大雨が降ってきて通行人がみんな傘をさす中、主人公ただ一人がピンポイントでずぶ濡れになるという「ほなこの主人公がアホなだけやんけ。天気予報見なはれや。ゴゴスマ見てこいよ」としか思わない沢朋宏沙汰が巻き起こるだけザッツオールなのである。

また話が逸れたな。
ここまできたら、もう逸れていいだろ。おれの話と台風は逸れていい。そういうルールを、設けまーす。
てなこって、ごりごりのカイエ派たる本作。たとえば左岸派のアニエス・ヴァルダの『5時から7時までのクレオ』(62年) とは正反対どころか、左岸派への敵愾心すら感じるほどにゴダールへの法信/遵奉/崇拝を感じさせる作品でありました。
オルガ役のミハリナ・オルシャンニスカの、もうムリちゃう?って状態のジェンガみたいに危うげな爆発寸前の神経症的相貌、および煙草の吸い方には見惚れるので、ほぼこの一点だけで105分を乗りきった。
というか、やり過ごした。


©Black Balance=Media Brigade=Alef Film & Media=love.FRAME




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