以下の内容はhttps://hukadume7272.hatenablog.com/entry/2022/02/13/070009より取得しました。


アバンチュールはパリで

ナチュラルボーン股間ボーンが今宵炸裂 ~股間のエッフェル塔は今夜もパリを見守ってるSP~

f:id:hukadume7272:20211127205943j:plain

2008年。ホン・サンス監督。キム・ヨンホ、パク・ウネ、ファン・スジョン。

妻をソウルに残し一人パリを訪れた画家のソンナム。パリの日々を怠惰に過ごす彼の目の前に、太陽のように溌剌とした魅力を放つ画学生ユジョンが現れる。妻を気にかけながらもソンナムはユジョンに心奪われてしまう。直球で思いをぶつけるソンナムに対して最初はそっけないユジョンだったが―。(Amazonより)


はーい、集まり~。
昨日はイカを食べました。しかも酢味噌でね。
先月は友人といっしょにタコを食べたのだけど、タコとかイカとか、そんなもんばっかり食べていると、そのうち私もこゝろが軟体になって、誰も頼んでねーのに今から観る映画をやたらにTwitterで喧伝したり、これから読もうとしてる本を画像付きで載せたりするような軟弱生命になるのではと危惧している。
まあ、そういう奴らは、えてして承認欲求が強いというか、自分の意思でやろうとしている事すらいちいち世界中に発表しないと行動に移れないわけであって、「最近こんな本読んだよ。褒めて」、「最近こんな映画観たよ。すごいと言って」と、そのサマはあたかも犬。フリスビー取ってきた犬。尻尾をブン振りしながら「撫でて。褒めて。賢い賢いして。かけがえのない僕がフリスビーを取ってきたのですよ。この偉業をあなたはどう見る!」とばかりにイイネがついた数を指折り数えては「観た甲斐あった」、「読んだ甲斐あった」とリソース費用に還元するのであるるであるる。
早い話が、甘ったれが多すぎる。
タコとかイカの食い過ぎだ。
あるいは情報管理がもっぱら受動的である。「人が言ったこと」に感心してイイネを押す一方なので「自分で考える」能力がぐずぐずに低下。しかもTwitterのように140字だと、いかな金言めいた文章でも“詳細”や“背景”を知らぬので、その理解は一元的である。「なぜ?」や「ほんとに?」といった咀嚼もなく、すぐ嚥下。すぐゴックン。
要は、浅い。
なんとなく名言チックなことを言われるとすぐ納得する、SNS民のチョロさ。まあ、そこを逆手に取ってるのが私のような極道ブロガーなのだけど。
今日日、「正しい言説」よりも「納得しやすい言説」の方が支持されやすいという浮世の無常。
こうなってくると、もう道理や思想ではなく、ただのレトリックである。つまり言葉遊び。140字でイイ感じのこと言う大会。それっぽいこと書く大会。SNS総大喜利化。寒いったら、ない。

 さて、SNSの悪口も書いたところで本日は『アバンチュールはパリで』です。
この映画にはタコやイカは出てきません。牡蠣ばかりが出てきます。そしてその事を、私は少なからず、憎たらしく思ってもいます…!

f:id:hukadume7272:20211127210020j:plain


◆ファナニーと股間ボーン◆

 たとえば、テキトーに繰り出した拳がことごとく相手の急所に入る拳法家のように、あるいはデタラメに吹いてるだけの縦笛がたまたま音楽教師の琴線に触れるように、ホン・サンスもまたノロマな犬のように無策な身振りで撮っただけの非戦略的なショットが不思議と物語に溶け、まるで「撮られるべくして撮られたのだ」としか思えない自然さを湛えながら次のショットに繋げてしまう。
…違うな。“繋がってしまう”のだ。
ホン・サンスのショットは、なぜか繋がってしまう。
カットに対する意識/執着という点においては相当浅薄なタイプにも関わらず、人はなぜ144分の本作にひとつとして“間違ったカット”を指摘できずにいるのか。いわんや心地よい午睡感覚とともに「ニヤリとしながら観た」などと呟く人民までいるのだ!(なんてことだ)
これぞ天衣無縫の才。ええ感覚しとる。
ホン・サンスはええ感覚しとる!
当ブログを睨みながら日々映画を学習している諸君は大学ノートにでもメモっておくといい。
「ホン・サンスはええ感覚しとる」
書いとけ。何かの役には立つだろう。


映画の内容については、ウーン…一応語っておこっか!? 内容を語ることに意味のある作品ではないのだけど。
韓国が生んだ変態生命ことホン・サンスが2008年に撮り散らかした『アバンチュールはパリで』は、身勝手、手前勝手、「俺かって…」を信条とする男性画家の浅ましい欲望をキャンバスに穴が開くほど見つめ続けたリビドーだだ漏れ型キャンバスぶち破りロマンティック性愛ストーリーむくむく…としか俺の口からは言えない。
だからごめんな。

 ある日、キム・ヨンホ扮する中年画家は、知人に勧められるまま麻薬を食ってしまい、逮捕を恐れてパリに高跳びした。パリ旅行という名のほとぼり冷ましだ。
韓国に残してきた妻、ファン・スジョンとは国際電話で毎晩話をした。ファン夫人はヨンホの身を案じて泣いてくれたが、ヨンホは彼女の気も知らずに「おまえを抱きたい。ねえ、オナニーして」などと電話越しに自慰をリクエストした。

テレホンセックスすな。
バカなのか、おまえは?
心配して泣いてくれてるファン夫人にファナニー要求すなよ。
あまつさえ「なに言ってるのよ、あなた」と妻に笑われたヨンホは「もうこんなの耐えられない…。ヒィ、ヒィ!」などと咽びながらぽろぽろ泣き始める。なにこいつ。妻が抱けなくなった状況を我がで作り出しておいて、いざ本当に抱けなくなってファナニーも断られた途端にぽろぽろと泣いて…!
すると夫人、「じゃあ、ちょっと待っててね。手を洗ってくるから」つって洗面所に駆け込む音、さした。
ヨンホは「ヨンホー!」と喜んだ。

ファナニーすーん?

いちばん採用せんでええリクエスト採用した。結局ファナニーすんのかい。なんやこの夫婦。国際電話でオナニーしもって…。

f:id:hukadume7272:20211127212400j:plainあほのヨンホ。

そんなこんなのエブリデイを過ごしていたヨンホは、ある日、パリの緑道で元恋人のキム・ユジンと再会する。ユジンの美ボディに辛うじて理性を保っていたヨンホだったが、結局のところナチュラルボーン股間ボーンが股間を膨張(別名ボーン)させるのは時間の問題だということが証明される日が来た。
画学生のソ・ミンジョンと知り合ったヨンホは、彼女とルームシェアしていた画家見習いのパク・ウネが醸しだす魅惑の雰囲気に心をウネウネとさせたのだ!
ヨンホ「よろしく、パク・ウネさん。キミも画家を目指してるんですね。僕でよければ色々教えてあげますョ」
口ではパクパク言えども心はウネウネさせてるのは明々白々ってぐらいヨンホの心はパクパクのウネウネであった。それはメイメイのハクハクだったんだ。
最初は他人行儀で、どこかツンツンしていたパク・ウネ(いちいちタイピングするのがダルいので以下パクーネ)だったが、何かと口実を作っては根気強く交流を持とうとしたヨンホ。
やがてパクーネとの距離が一歩近づいた。
さらに交流を重ねるうち、二歩、三歩…。

ヨ  ン  ホ  !

美大生であるパクーネの目に、芸術の造詣深きヨンホはよほど大人に映ったようだが、その裏に潜む下心まで看破するには少々若すぎたようだ。はじめこそ村上春樹の小説に出てくる女の子のように巧みにヨンホを振り回していたパクーネだったが、こういう手合いは一度惚れたらトコトン弱い。さんざ小悪魔ぶってきた反動ゆえか、身も心もヨンホに捧げんとするのだ。

ヨンホ 「クッパでも食う?」
パクーネ「クッパクーネ!」

で、クッパ食うてラブホテル行くみたいな。
そこへさして、元恋人のユジンがヨンホから相手にされなくなったことを苦に自殺したり、ファン夫人が浮気を疑ったり、画学生ミンジョンが負けヒロインの矜持を懸けてパクーネからヨンホを奪おうとするなど、ヨンホ周りの女たちが次々と動き出します。
ウディ・アレンでも手に負えない、下半身狂奔シネマ『アバンチュールはパリで』
「アバンチュール」なんてオブラートじゃあ包みきれないほど、ヨンホのエッフェル塔はピシッと屹立しています(なんて厳かだと言うの)。

f:id:hukadume7272:20211127211958j:plainパクーネと。

◆牡蠣の立場◆

 今しがたのロクでもない筋紹介を上回るほど映画本編は尚のことロクでもない。ましてやナナでもハチでもない。ヨンなのだ。ヨンホなのだ。
下半身が服を着て歩いてるような“生ける公然猥褻罪”ことヨンホが、理性もヘチマも貞操もキュウリもない身振りで剥き出しのリビドーを放ちながら女の尻めがけてパリ市内をバタバタ爆走するという傍迷惑な144分が描きだされる。
そのお供は牡蠣
もちろん性的メタファーとしての牡蠣。とにかく登場人物たちが牡蠣をぱくぱく食う。ずいぶん露骨な比喩だなーと思っていると、美術館でクールベの『世界の起源』(女性器のクローズアップを描いた写実主義絵画)をモロに映して、その前に立ったヨンホが「ずっと見てると妙な気分になる」とすら呟くのね。

それをやらないための牡蠣だったのに?

あられもねえよ。あけっぴろげ過ぎるだろ。それをやらない代わりに牡蠣でどーにかするっていう約束だったんじゃないの、この映画。
じゃあ…牡蠣の立場は?
またヨンホは、可能な限り避妊を避けたがる。パクーネと枕を交わした際、コンドームを買ってきてくれなきゃ嫌という彼女に「大丈夫、大丈夫」とゴネ倒すさまが約3分間にもわたって映し出されるのだ。
おい、どうしようもねぇぞこの映画。

f:id:hukadume7272:20211127210911j:plain
『世界の起源』に欲情するヨンホ。

 映画はワンシーン・ワンデイによるカレンダー式の恣意的な作劇
ゆえに唐突にシーンの頭が始まって唐突にそのシーンが終わるので物語に連続性がなく、主人公の日常をシャッフル調に素描したような趣がある。
この作劇法のために一見不要に思えるようなシーンが入れやすくなっており、実際、ヨンホが公園で太極拳をおこなう老集団をぼんやり眺めたり、眠っているパクーネの足の裏を舐めまわす淫夢を楽しむなど、無意味な描写や品性下劣な描写がこれでもかと詰め込まれている。
でも、そこが好いんだよねぇ。

大体なあ、意味や必要性から要請された説話的ショットの無機的な配置によってしか成立しえない劇映画の自縛性などゴミじゃあ!!

“撮るべきもの”を撮ったのが商品だとすれば、“撮りたいもの”を撮り続けるホン・サンスの作品性はすぐれてヨーロッパ的だ。つまり信頼できる。最近のお行儀のいい劇映画を観ていると「誰に遠慮してるのかい?」と思うほど、まぁキレイに殺菌されとるわな。客が見たくないであろうモノは見せない。不快に感じる人物造形はしない。バカでもわかる説明台詞。共感と平等のお戯れ in コンプライアンスビーチの浅瀬。
楽園にでも住んでんのか?
ま、そんなわけで、突拍子もなく木から小鳥が落ちてきたり、銭湯の磨りガラスの向こうに巨大イノシシが佇むなど、現実と超現実を去来するシュルレアリスムが横溢してもいる本作。紡がれたエピソードの幾つかは夢オチだったりするし、夢と思わせておいての現実オチだったりもします。

f:id:hukadume7272:20211127210952j:plainパクーネの部屋に招かれたヨンホ。

◆難解映画難解映画いうな◆

 事程左様に、頭はロメール、体はウディ・アレン、両手にゴダールとブニュエル…といった非常にわかりやすい作品なのだけど、こういうものほど世間では「難解」と言われるらしい。
まあ、確かにね。ワンシーン・ワンデイによる時系列の複雑さや、夢と現実と超現実のチゲ鍋演出。極めつけは曖昧模糊のもこみちと化したストーリー。人によっちゃあ「メッセージ性がない!」とか言い出すかもね。
そういう奴にはイイことを教えてあげる。難解とされる映画を理解するコツは、常識で理解しようとなどという驕った頭を捨てることだ。
大体、どこのイカレ野郎が撮ったとも知れない映画をテメェのくだらない常識の範疇に押し込んで理解しようとするなんざ驕り以外の何物でもないだろ。
映画は凡人の凝り固まった物差しに合わせるようには作られていない。
理解できなかったのなら、むしろそれを喜ぶべきとさえ思う。やったじゃん。理解する余地を未来に残せたじゃんって。


そんな本作。ふだんは80分ほどの映画しか撮らないホン・サンスが手掛けた144分もの大作ですから、いっそチャミスル片手にぽけーっと見てもいいかもわからない。
なんといっても『情婦マノン』(49年) のセシル・オーブリーを思わせるパクーネのヴァンプぶりがステキ。どこから発散されてるのかわからない艶やかさというか。たとえば街を歩いててツンと鼻を刺激する発生源不明の色き香り。「今の誰。前歩いてる女の香水?」みたいな、特定不能のどっからエロス?である。
主演のキム・ヨンホもいい。スケベとは無縁の精悍な顔立ちと体躯が、やがてホン・サンスの現し身と化すうちに歩く下半身に染まっていくさま。
パリのロケーションも好調なので観光気分も味わえる。ただし料理に期待してはだめ。ひたすら牡蠣が映るのみ。

【お得情報】
筆者ふかづめは泣く子も黙る牡蠣アレルギーの持ち主。何度かアナフィラキシーショックを起こして卒倒し「暑っつー」と言い残して気を失った過去を持つ。

f:id:hukadume7272:20211127211552j:plain

 




以上の内容はhttps://hukadume7272.hatenablog.com/entry/2022/02/13/070009より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14