既にご存じの方はご存じだと思いますが、この度「天文リフレクション」さんの「ビクセンVSD90SS鏡筒・天リフ読者 リレーレビュー」に参加させていただけることになりました。
reflexions.jp
実際のレビュー期間は来月からになる予定ですが、そのプロローグとして、この「VSD90SS」という鏡筒の成り立ちについて簡単にまとめておこうと思います。余談も余談なので*1、暇つぶしにでも眺めていただければ幸いです。
なお、内容についてはおおよそ合っているとは思いますが、もし明らかな間違いがあればご指摘いただければと思います。
ペンタックス 100EDUF
さて、「VSD90SS」は、その源流をさかのぼるとペンタックスの「100EDUF」という鏡筒に行き当たります。
ペンタックスは、今でこそリコーイメージングの一部門でしかなく、デジカメや双眼鏡などを細々と作っているにすぎませんが、以前は1個の独立した企業*2として、高性能な天体望遠鏡も手掛けていました。*3

(天文ガイド1990年5月号広告より)
この「100EDUF」鏡筒は1980年代、ハレー彗星接近を期に発売されたもので、当時としては類を見ない「口径10cm、焦点距離400mm(F4)」というスペックを有していました*4。
当時はフィルムによる天体写真の全盛期でしたが、フィルムを用いて天体のような暗い対象を撮影する場合、「相反則不軌」という現象がしばしば障害になりました。これは、露出を長時間行えば行うほどフィルムの実効感度が低下してしまうという困った現象のことで、当時の撮影においては避けがたいことでした。しかし、F4という明るさがあれば露出は短時間で済み、相反則不軌の影響も少なく抑えられます。
また、当時はまだオートガイダーというものが存在せず*5、人間がガイド鏡を覗いて手動で星を追尾 or モータードライブの動きを修正する時代でしたから、短時間で撮影を完了できるというのはその労力を軽減できるという点でも大きなメリットでした。
一見、望遠鏡には見えない太く寸詰まりなスタイルから、後述する後継機を含め「ツチノコ」という愛称で親しまれ、大いに歓迎されたものです。
とはいえ、この鏡筒は当時としても紫色の収差が大きく、星像には青ハロが派手に現れました。また、現在のようにフラット補正が簡単にできるならともかく、周辺減光がキツめなのも問題で、使いこなしはなかなか大変だったようです。

特公平06-064232より
ちなみに光学系は上図の通り。EDレンズ*6(2枚目)1枚を含む4群4枚の構成です。
凹レンズを1枚目、凸レンズを2枚目に配した対物レンズのスタイルは「スタインハイル型」と呼ばれ、凸レンズを1枚目、凹レンズを2枚目に配する一般的な「フラウンホーファー型」と比べると、レンズの曲率が大きくなりがちで製造が難しいなど問題も少なくありません。しかし、当時はEDレンズのハードコーティングが難しかったので、傷がつきやすい1枚目に配置するわけにもいかず、この構造を取らざるをえなかったのだと思います。
ペンタックス 100SDUF, 100SDUF II

(天文ガイド1991年6月号広告より)
この100EDUFのコンセプトを受け継ぎ、ガラス材をEDレンズからSDレンズ*7に変更の上、光学系も改良したのが「100SDUF」です。発売は1991年。

日本国特許3045749より
こちらが100SDUFの光路図。最大の変更点は、対物レンズが「スタインハイル型」から「フラウンホーファー型」になり、SDレンズが1枚目に来た点。ガラスがより高性能なものに変更になったことや、光学系全体の見直しもあって色収差は大幅に改善され、周辺減光もずいぶん穏やかになりました。イメージサークルも直径88mmと圧倒的な広さで、6×7判(56mm×70mm, 対角線長89.6mm)すらほぼ完全にカバーするほどでした。

(ペンタックス「天体望遠鏡 総合カタログ」より)
なお、100SDUFではレンズとフィルム or 撮像素子との間で迷光が発生しやすかったようで、後にこれを改善するためにレンズの曲率などが見直され、「100SDUF II」へと進化を果たします。
……と順調に発展してきたこの光学系ですが、開発元のペンタックス株式会社が2007年にHOYA株式会社に買収され、2008年には吸収合併。HOYAの事業部となり独立性を失ったことで、ペンタックス自体の雲行きがにわかに怪しくなってきます。
HOYA体制下では工場の閉鎖や事業の売却などの合理化が強烈に進められ……その一環なのか、残念ながら2009年1月をもって、ペンタックスは天体望遠鏡の生産から撤退してしまいました。20年以上続いた「ツチノコ」の系譜はここでいったん途切れることになります。
ビクセン VSD100F3.8
そこを救ったのがビクセンです。当時のビクセンは比較的安価な入門機から扱いやすい中級機がメインで、天体写真マニア向けの高級機のラインはすっぽり抜け落ちている状態でした*8。これだと、せっかく初心者がビクセンから入ってくれても、スキルアップに伴いユーザーは他社製品に流れていってしまいます。受け皿となる高級機はぜひとも欲しい所でした。
そこでビクセンは、HOYAからペンタックスの保有していた設計図面や関連特許を買い取り、これらを参考に新型望遠鏡の開発を進めます。当時はビクセンとしても新規鏡筒の開発は久々で、この開発プロジェクトには技術継承や開発経験蓄積の意味合いも強かったそうです。また、前後して社内に大型レーザー干渉計「Zygo Verifire ATZ」を導入。レンズの高度な品質管理を可能にする体制を整えました。*9
2013年のCP+には、ペンタックスの125SDPとそっくりな「V-SDP125S」を参考出品。
www.astroarts.co.jp
そしてその年の秋、ついに「VSD100F3.8」の発売にこぎつけました。
www.vixen.co.jp
VSD100F3.8は、短い鏡筒長、大型ヘリコイド*10など、100SDUF IIを踏襲したような構造ですが、光学系は下図のように4群4枚(うちSDレンズ1枚)から5群5枚(うちSDレンズ1枚、EDレンズ1枚)へと進化。イメージサークルはφ88mmからφ70mmへとわずかに狭まっていますが、それでも645判(41.5mm×56mm, 対角線長69.7mm)をカバーする広大さです。

100SDUF II(上)とVSD100F3.8(下)の光路図
(黄色:SDレンズ 緑色:EDレンズ)
性能も優秀で、視野全体にわたって星像はほぼ均一。直接のライバルとなるであろうFSQ-106EDと比べると中心部の先鋭度では一歩譲るものの、スペックが近くなるレデューサーQE 0.73×を取り付けた状態*11で比較してみると、星像の均質性ではやや上回っていたといいます。
ryutao.main.jp
登場時にはFSQ-106ED(税別545000円(当時))を上回る値付け(税別620000円)に批判の声も聞こえましたが、公平に見て価格に見合う性能の鏡筒だったかと思います*12。
ただ、上述したようにVSD100F3.8は製品とはいえ試作品的な意味合いも強く、100SDUF IIの構造をほぼそのまま踏襲した結果、単独の製品として見ると以下のような欠点もありました。
- ファインダー取付部がペンタックス互換になっていて、ビクセンのファインダーを取り付けるためには専用アリミゾが別途必要。
- 大型ヘリコイドを採用しているため、フォーカーサーの電動化が困難。
- 同じくヘリコイドを採用しているため、ヘリコイドの内径に触れぬよう後玉の直径が小さく制限され、いわゆる「星割れ」の原因に。
- イメージサークルの広さを優先した結果、シャープさが多少犠牲になっている。
- せっかくの広大なイメージサークルを生かせる環境があまりない。
最後の2項目については鏡筒の性格付けの側面もあるので一概に悪いとは言えませんが、1~3についてはペンタックスの設計を単純に引き写したがための明らかな欠点で、次世代機においてぜひとも改良が求められるところでした。
そして「VSD90SS」へ……
そうした中、2023年11月に発売されたのが「VSD90SS」です。
www.vixen.co.jp

VSD100F3.8(上)とVSD90SS(下)の光路図
(黄色:SDレンズ 緑色:EDレンズ)
VSD90SSでは光学系が、VSD100F3.8の5群5枚(うちSDレンズ1枚、EDレンズ1枚)から5群5枚(うちSDレンズ2枚、EDレンズ1枚)となり、さらに高画質化が図られています。
また、上の光路図を見比べると分かる通り、対物レンズに対し、後玉がより大口径になっています。これはピント調節機構が、VSD100F3.8のヘリコイドから一般的なラック&ピニオンに変更された恩恵です。これにより「星割れ」はより起きにくくなっていると思われます。
イメージサークルはφ60mmとさらに狭くなっていますが、アマチュア向けのデジタル環境でほぼ最大サイズと言える「デジタル中判サイズ」(33mm×44mm, 対角線長55mm)を十分にカバーしています。そして写野内の星像の均一性も非常にハイレベル。さらに、中心像も極めてシャープで、ストレール比*13で比較すると、同社の2枚玉EDアポクロマート「SD81S II」の95.7%を上回り、「AX103S」に次いで社内2番目(96.7%)の数値を叩きだします。VSD100F3.8は100EDUF, 100SDUFからの伝統で眼視性能は今一つでしたが、こちらは眼視でも相当な高性能が期待できそうです。
すでにVSD100F3.8が生産終了となっている現在、少なくともカタログ上では間違いなく現時点でのビクセンのフラッグシップと言って差し支えないかと思います。そんな鏡筒が間もなく到着する……本当に楽しみです。心配なのは天気だけですが……

あ……あれ……?(滝汗
*1:色々調べてるうちに楽しくなってきちゃったのは内緒(笑)
*2:2002年9月まで旭光学工業株式会社。2002年10月~2008年3月までペンタックス株式会社
*3:当時の名残として、製品ページは現在でもサイトに残っています。 www.ricoh-imaging.co.jp
*4:当時の屈折望遠鏡は明るくてもF6くらいがせいぜい。国内ではかろうじて反射望遠鏡系のイプシロン(高橋製作所)がF3~4程度を実現していたくらいでした。
*5:アマチュア用のオートガイダーは、1987年にニコンが「8cmED屈折天体望遠鏡」用のガイド撮影システムのコンポーネントとして発売したのが国内メーカーとしては初。ただし、これは赤経方向のみを修正するもので、赤経・赤緯の両軸対応のものは、1990年のST-4(米国サンタバーバラ・インスツルメンツ社(SBIG))の登場を待つ必要があります。
*6:オハラ S-FPL51相当
*7:オハラ S-FPL53相当
*8:一応、「AX103S」という三枚玉のフォトビジュアル機はありましたが、「フォトビジュアル」を謳いながらもF値は8と暗く、物足りなさは残りました。
*10:15条のねじを刻んだ極めて高精度のもの。VSD100F3.8開発当時には工作機械が危うく廃棄されかけていて、二度と作れなくなる寸前だったという話を聞いています。
*12:FSQ-106EDにレデューサーQE 0.73×(税別65000円)を足すとほぼ同額なので、性能を考えれば不当に高額なわけではありません。
*13:ざっくり言えば、入射した光の何%がエアリーディスク内に収まるかを示した指標。当然、大きい方が高性能ですが、中心像のストレール比の高さだけでは光学系の優劣は決められない(周辺像や計測対象外の波長でグダグダかもしれない……)ので注意。あくまで一つの目安として。