部屋を片付けようとして床に目線をやったらパンツが落ちていた。ちゃんと洗濯機に入れたほうがいいので爪先でパンツをひょいと持ち上げ勢いをつけたらちゃんと洗濯機に入った。
さいきんのお茶事情:黒豆茶、普洱茶、玄米緑茶を気分で飲み分けている。水出しするのも面倒くさく、コップにパックを入れて水を継ぎ足している。
10年ぶりに沖縄に行ってきた。発端はIGのDM。沖縄に引越しをした友人に「いつ遊び来てくれるの〜」と言われて日程を確認した直後に航空券のチケットのスクショを送信したことだった。何がしたいでもなく衝動的だった。
旅行にあんまり関心がないので国内線は人生3度目。沖縄・福岡・沖縄。初めて飛行機に乗った直後は月間AIRLINEを買うほど飛行機にのめり込んでいたはずなのに、飛行機になんの感動もすることなく沖縄についた。
15時頃に着陸して腹が減っていて食ったソーキそば、だしは冷凍たこ焼きを思い出す味で肉はほろほろ甘めで苦手な部類の味だった。チャレンジ失敗である。
モノレールのホームに移動すると空港と反対側に小さく数人の自衛隊が見えた。こんなにも武力が近くに存在するのかと突きつけられる。
2泊3日、ずっとふたりきりは心の準備がつかなくて、どうしようで沖縄県立博物館・美術館へ。道中にNAHAというオブジェがあったので反対側にまわってAHANにしてDMをしていた別のマヴに送信した。『ブラック・ジャック展』原稿や医学者としてのスケッチ、手塚の子らのインタビュー、膨大な漫画の紹介。結構記憶にあるシーンがあり、意外と僕は子ども時代にブラック・ジャックを読んでいたらしかった。各お話にキャプションが付いており、学芸員さん相当大変だったろうな。『沖縄の彫刻たち』では富元明雄の作品と石井鶴三の「彫刻とは凸凹の妖怪(おばけ)である」という言葉が良かった。『沖縄美術の流れ』ではKINA Lauraの『ブルーハワイ』という作品が良かった。博物館の常設展示を観て退散。
「あと30分くらいで着きそう」とDMして、オリオンビールとさんぴん茶を飲みつつ徒歩で友人宅へ。沖縄の道端で観測できる花は赤・黄・薄紫が多かった。緑が元気だし、空が広くて気持ちがよかった。モロッコの民家が好きだった。四角くて、屋上があるそんな家。沖縄の民家にも近いものがあり、歩きながら家を、空を、植物をみていることがとてもたのしかった。
こないだぶりのやっほ〜。荷物を置いて街へ。獣肉を好まない同士なので食のすり合わせハードルが低い。スパイスか魚がいいなを伝えたらミャンマー料理屋へ連れて行ってくれた。お茶サラダ、めちゃくちゃ美味かった。永遠にしょっぱいので永遠に酒も飲めた。売上の一部がミャンマー支援にあてられるらしい。お釣りもわずかだけど寄付をした。ジェンダー、クィア、最近の生活、障害、家族、作品制作、葬式、政治、明日・明後日どうするよとかの話をずっとしていた。ちゃんと話すのは3度目くらいなはずだけど、最初からこんな感じだった気がする。全然違うけれど共有できていることが多い。
風呂風呂風呂!で近所のホテルに日帰り入浴。浴槽がふたつに別れていたけれどどちらも温度計は42℃をさしていて違いが分からなかった。結果貸し切り風呂を堪能して煙草すって、コンビニで酒を買って帰宅。そういえば沖縄はドリンク種類が多様で、コカ・コーラボイコットとかがしやすいんだとかを話した。
そういえば到着時間が分からずに待っているのドキドキした、苦手なやつって言われた。僕もそうなのでめちゃくちゃ気持ちがわかってごめんだった。光が苦手、睡眠がうまくいかない、そういうのって数時間だとあんまり共有せずに過ごしてしまうからなんか新鮮でもあった。
質問が書いてあるカードを引いて、それにお互い答えるっていうSEKIRARA for FRIENDSっていうのをやろう言われてやって、普段聞かれないようなことをいろいろ話した。お互い眠れなさそうだったけれど明日があったので寝る体制になった。僕は割とすんなり入眠できた。
朝が苦手だという友人。起きてみたら割とそんなことなさそうだったけれど気をつかってくれていたのだろうか。身支度をしてレンタカー。普段くるまに乗る機会が多くないので、うぉいうぉいしながら沖縄自動車道をぐんぐん北上していく。サービスエリアや道の駅をいくつか寄りながら、昼飯。ヴィーガンのダルバートを食った。普段食っているダルバートよりも幾分か優しい味。沖縄食材がいくつか使われているようだったけれどそこらへん疎かったので食材がよくわからなかったのがぬんぬんぬん。帰りがけにトマトの苗をもらった。僕は持ち帰られないので友人に苗を託した。
本部町営市場でラテを飲みながら石川真生の展示録を読んだ。
僕の唯一リクエストで国立ハンセン病療養所・愛楽園へ。自治会が運営する資料館で常設展と特別展『命の記憶─沖縄愛楽園1975』を観た。回復者や当時の患者のテキストや語りが多く、沖縄戦の影響もしっかりとあった。沖縄タイムス1998年8月1日の記事、そこに僕がハンセン病に強く興味を持ったきっかけ?に近いことが書かれていて。
宿に向かう車中、なんで僕がハンセン病資料館に行きたかったを少し話した。そういえば初めて国立ハンセン病資料館に行った時も同行してくれた人に何を思ったかを聞いてもらったことを思い出した。誰かと一緒になにかすることの意義?をほんのちょっと実感できたかもしれない。
一棟貸しの宿?Airbnb的なやつに到着。まじで運転ありがとう。オープン間もないらしくて綺麗だしめちゃおしゃれでそのまま東京に持ってきてえな感じの建物だった。そんでもって泡盛4種が飲み放題。徒歩30分くらいかけ街の食堂へ。刺し身と地魚のフライ定食とビール。海岸沿いの店を後にしたらちょうどサンセットタイム。コンビニで酒を買い込んで日が沈みきる前に帰宅?シャワー浴びて、酒を飲んだ。道中で購入した200g700円の海ぶどうは永遠になくならないし、ふくろいっぱいで500円のシークワーサーは泡盛にたらすのに無限であった。ミズレモンというパッションフルーツ的な中身の不思議フルールは不思議な味だった。
9時頃起床。10時までに起床の約束で友人は眠っていたのでネットサーフィン。一生縁のないと思っていたけれど自動車学校を小1時間調べていた。日本には全部で13の国立ハンセン病療養所があるけれど、どれもアクセスしにくい場所にあって(療養所が意図してそういう場所につくられている)僕はまだ多磨全生園と沖縄愛楽園しか行ったことがないので、他の場所に行くのを目的に運転免許証を取得するのもありか?と思った次第である。10時過ぎ、友人起床。布団を片付け、身支度をして出発。
滝を目指していたが、道中で昨年の大雨の影響でどこの滝も封鎖中なのを知り海へ。小さな海岸だけれども人は10人くらいで、青空だけどちょうど太陽に雲がかかっているくらいの最高条件だった。10年ぶりの海水浴。タンクトップと海パンで海に侵入すると、歩いて3歩くらいで小魚がたくさんいた。ゴーグルをつけて数メートル進んだだけで数百匹の魚の大群。ウミヘビやダツに似たやつもいてちょっとひぇっともなったけれど少し海が好きになった。各々泳いで、一緒に煙草を吸ってを数回繰り返して海とバイバイ。道の駅で海鮮丼。海からあがって少したって肩にひりひりとした痛みを感じはじめた。日焼けである。太陽を舐めていたし、雲を過信していた。タンクトップで泳いでいたな!がひとめでわかるくらいに肌が赤い。ぬんぬんしてたがまあ普段ひきこもっているんだしこのくらいって感じで無視することを決めた。
那覇に戻るために昨日ぶりの沖縄自動車道を南下。2時間ちょいで南北縦断できるくらいなことを改めて実感した。地元スーパーをリクエストしてちょろっと買い物をして空港まで送ってもらった。じっくりはあんまりないけどやっほ〜みたいな感じでは年に数回あっているので、まあまたそのうち会えるでしょ〜でそれまで無理のない範囲でのヘルシーでいれたらいいねを言葉にしてバイバイ。
POKKAのグァバ茶がめちゃうまかったな〜。
以上、沖縄でのことのメモ。