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『二月のつぎに七月が』堀江敏幸|とんがらずに、まあるく、余白を残して生きていく。耳学問とともに。

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『二月のつぎに七月が』堀江敏幸 ★★

講談社 2026.01.04読了

 

江さんの長編小説が9年ぶりに刊行された。現代日本作家で5本の指に入るほど好きな作家なので、読むのが楽しみすぎた。しかしまぁ鈍器本とも言える厚さで持ち運ぶのが大変。だから、年末年始の冬季休暇にうってつけだった(近場に遊びに行くのに多少持ち運びはしたけれど)。

 

ぁーーー。憎たらしいほどに、文体が、文章が際立って美しい。一文一文読むたびに文字がゆるりと躍っている。目を閉じて反芻して、時には声を出して音読した。この読書が永遠に続いて欲しい、そんな読み心地の良さを堪能した。年末から年始にかけて、極上の読書時間を満喫出来た。

 

らぶれた市場にある「いちば食堂」が舞台である。前職で体調を崩し半年前から給仕勤めをしている丕出子(ひでこ)さん、食堂で料理の腕を振るう笛田さん、常連として食堂にやってくる常にレインコートの阿見(あみ)さん。この3人が入れ替わり生活についてのあれやこれやを語る。丕出子さんからは父親の野球の話、笛田さんからは同級生の一場さんや娘の話、そして阿見さんからは亡き父や算盤教室の大松さんの話など。

 

の3人だけでなく食堂にやってくる人たちの会話もおもしろい。茅野さんと山野さんの会話はくだらないのにタメになる話が多くて惹きつけられる。タクシー運転手の丸藤さんのエピソード、谷戸高校の高校生3人が話す楽しそうな学校生活の話。どれもそこにいるかのように生々しく新鮮に耳に響いてくるかのようだ。生きている一コマ一コマがここにはある。

 

見さんは、配膳の女性(丕出子さんのこと)を「彼女が接客をすると食堂の空気がやわらかくなるような気がする」と思っている。「気がする」という無責任な表現はやめたいと思っているが、阿見さんは「断言よりも余白を残した発言を好んでいる」という。余白を残した発言、そう、堀江さんの文章自体が余白を残しているようなもの。やわらかい文章に思えるのはこの余白があるからだろうか。

 

出子さんと笛田さんのパートは比較的読みやすいというか、馴染みのある生活を元にして読むことができる。しかし阿見さんのパートは時として難しい。それは、阿見さんが持ち運ぶ本が影響しているからだ。その本の引用を交え、時には自分のノートに書き込み、図書館でその意味を調べたり反芻する。同時に読み手の私も同じ文章を何度か読まざるを得ないから時間がかかる。

 

見さんが父親の形見として持ち歩いているその文庫本というのは『アミエルの日記』というものらしい。スイスの哲学者フレデリック・アミエルという方が30年にも渡って書き綴ったもの。岩波文庫から邦訳が刊行されているが絶版で手に入れるのは困難なようだ。阿見さんはこの日記を心の拠り所としている。

 

田さんの「とんがらずに」という口癖が良い。以前テレビに出ていた80代のお婆さんが「まあるく生きていきたい」と話しているのをいいなと感じたように、「とんがらずに」「まあるく」ありたい。また、笛田さんは、自分の知識は「耳学問」で成り立っているという。誰かから聞いたことから学ぶこと。思えば、小説から得られる知識だって耳学問と同じようなもの、つまり目学問だ。読み学問かな。きっとこの作品に書かれている砂ほどの小さなエピソードたちはいつの間にか忘れてしまうだろう。しかし、ふとしたきっかけに必ず思い出すだろう。誰かがどこかで語ることに関連させて。そして、私も自分ごとではないのに、さも体験のように語ってしまうのかもしれない。人は耳学問で、読み学問で生きていくのだ。

 

 

2026年が明けて、最初に読み終えたのがこの作品で良かった。幸先良い読書生活がスタートし、今年も多くの良い本に巡り会える予感しかない。

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