
『カラマーゾフの兄弟』1234 フョードル・ドストエフスキー 江川卓/訳 ★★
中央公論新社[中公文庫] 2025.11.20読了
文学界に燦然と鎮座するこの名作は、学生のときに新潮文庫で原卓也さん訳を読み途中で挫折した記憶がある。その後10年以上経ってから光文社古典新訳文庫で亀山郁夫さん訳を読んだ(確かに読みやすかった)から、それ以来となる。だから通して読了したのは2度目ということか。この江川卓さん訳は新訳ではなく元々1979年に集英社の文学全集に収められたもので今は絶版。文庫になるのはこれが初めてなのだ。1979年初出とは思えぬほど古さは感じなかったし、中公さんよくも文庫にしてくれたなとありがたい。
亀山さん訳を読んだ時は、私はやはりトルストイのほうが好きだな(トルストイ派)と思っていたのだけど、今回カラ兄を読んで、めちゃくちゃおもしろかった!興奮した!難解さや長さから一定の読者しかいないだろうと思われているが、なんのその、物語としてもかなりおもしろい。序盤からすでに★確定だなと確信(★はあくまでも個人的な感想)。素晴しすぎて、悶絶。もう感想はこれで終わりで伝わるんじゃないかしら。
冒頭の作者による序文の、このもったいをつけたくどくど、まわりくどさ!今でもたまにこういう言い逃れの序文は目にするが、ここまでぐだぐだとしてないような。そもそもこの序文自体で辟易していたら作品自体読めんよ。どの登場人物もくどくどとした語りが続くのだ。そのくどくどを、ドストエフスキーは「覚悟しろよ」と諭すかのようだ。
内容については今更ここで語ることもなく、、ただ今回読んで感じたところをさらっと。
最も有名で作品の と言われるイワンによる作中作「大審問官」は、キリストを、神を信じていないという大審問官の囚われ人との対話である。しかしこれはイワンが作った寓話だ。アリョーシャはこの先ずっと心に留めることになる。アリョーシャと別れた後のイワンの、いまわしいじれったい気分の描写がとても良い。その後に続くゾシマ長老が死の前日に語った(というかアリョーシャが後日まとめた)自分の兄の話がとても印象深い。大審問官よりもこの章のほうが私としてはおもしろく読めた。神を信じないイワンと、神を崇拝するゾシマ長老との対比が鮮やか。
著者は善良なアリョーシャをこの物語の主人公に据えているが、個人的には知性があり現実主義のイワンに惹かれイワン的になりたいと思ってしまう。しかし絶対にイワンにはなれなくて、、もしかしたら劇場型のミーチャが一番人間味があって魅力的なのかとも思える。それに放埒と淫蕩の老人、父フョードル的な部分も誰しもにあって、カラマーゾフの血が流れている3兄弟とスメルジャコフは人間が誰もが持つ部分を表していると思う。スメルジャコフという人物は名前からして忘れがたき存在で今回も強烈な印象をもたらす。
有名なシーンではないが、イリューシャの石投げエピソード、そこから遡るコーリャとの友情など、アリョーシャの周りの少年らのエピソードがとても良い。最後の終わり方を考えると、続編ではきっと成長した少年たちとアリョーシャが中心になるはずだったのだろう。そう、この作品は著者の序文にもあるように、カラマーゾフ家14年後の後編も本当は考えられていたのだ。惜しくもドストエフスキーが亡くなったため読める機会はなくなってしまったが。
ゴーゴリ、プーシキン、トルストイの名前が登場する。特にゴーゴリの『死せる魂』については作中で二度も言及されている。一時代前の偉大な作家を尊敬する著者の眼差しがあたたかい。グルージェンカが話す「一本のネギ」の話は、芥川龍之介『蜘蛛の糸』と同じだ。確かもう一つ同じようなネタ元を読んだことがあるような気がしたが、それが前回読んだときの同作だったのかも。
どこを読んでもおもしろくて興奮の嵐が止まらず、最終巻に突入した時は「もうこれで終わるのか…」と若干の寂しさを覚えた。それだけ充実した読書時間だった。文庫本4冊でこんなに大きな感動を生み出すなんて、やっぱ文学最高よ。この作品は死ぬまでにあと2回は読むだろう。ドストエフスキーの長編は全て読んでいるが、これを機に読み直そうと思う。江川さん訳良かったな。ひっさびさにロシア文学の深淵な沼に溺れたくなってきた。