
『泡』松家仁之
高校に行けなくなり引きこもりになってしまった薫は、東京から離れた砂里浜という土地に暮らす大叔父の元でひと夏過ごすことになる。大叔父の兼定のパートと入れ替わりで語られるが、この兼定の視点になると俄然興味が湧いてくる。やはり自分が歳を重ねると近い年齢の登場人物のほうに肩入れしてしまう。
ジャズ喫茶を営む兼定の店にふらりとやってきた岡田は、放浪生活にピリオドを打ったのか兼定の元で働き始める。この岡田が程良い距離感で接するため、兼定も、また薫も良い意味で生活が潤うようになり、自分自身と向き合うようになれる。
薫が東京に戻る前に小旅行をしたときの心の機微がとてもよく表れている。楽しい出来事があったわけではなく、むしろ隣の部屋に来た子供、夜中に気になった蚊のことを思うと悪い出来事があったようであるが、それも含めて一人で知らない土地を旅するということが大事なひとときであり忘れ難き体験になる。一人旅は時として有意義さがある(もちろん誰かと行くことのほうが楽しさは増すけれど)。
実は3分の2を過ぎる位までは、松家仁之さんの小説だからと期待をし過ぎたかもしれないと思っていた。この文体や流れる空気感がしっくりするところは好みだがストーリーに起伏がなく淡々としている印象だった。それなのに、読み終わるとしみじみと良い小説だったなと感じる。ときどきこういう作品というのはあって、どこでどう逆転するのか(逆転ではなく反転くらいか…)はわからないが、読み終えて満足するというのはやはり優れた作品だということ。こういう本があるから、つまらないと感じていても途中で投げ出すことができないんだよな。
やっぱり松家仁之さんは良い。読んだ作品すべて好きだ。余韻を楽しむ時間をもてる作品は心地良い。本当は『火山のふもとで』の前日譚を書いた大作を先に読もうとしていた(刊行後すぐに買っているのだけど寝かせたまま)のに、なんかもったいないような、長いからどうしようかとのせめぎあいでタイミングを逸していたが、この『泡』の文庫本がちょうど刊行されて先に読んでしまった。