
『伸子』宮本百合子
宮本百合子さんの作品どころか存在すら知らなかった。17歳の時に『貧しき人々の群』という小説で脚光を浴び、天才少女といわれたそうだ。父親と渡米し、ニューヨークで荒木茂という男性と結婚、その後日本に戻り数年後に離婚する。この荒木との生活を描いたのがこの『伸子』という作品で、彼女の自伝的小説になる。当時は離婚のことを小説にするなんて珍しかったようで、広く読まれたそうだ。
1918年11月7日、ドイツが無条件降伏したとのニュースが伸子の住むニューヨークで飛び交い、街の形相がいつもと変わって見えた。旗を振る男女の群衆や熱狂的な演説。こういう歴史的な日に立ち会うのはどんなものだろう。伸子は動物的なギラギラ光る忘我に陶酔した人波を見て、人間の野蛮さに恐ろしくなっていたのだ。
伸子は佃(つくだ)に対して他の人にはない魅力を感じ、結婚するならこの人しかいないと思った。しかし自分との結婚を祝福してくれない周りの空気感はなんと苦しいものだろう。反対する明確な理由はなくとも、これだけ多くの人に「やめた方がいい」「幸せになれない」と言われる、または思わせる、これほどげんなりすることはないだろう。結婚生活を予見するかのように、伸子と佃の関係はそもそもの始まりから不穏な空気が漂っていたのだ。
それでも2人は結婚して家庭を作る。
伸子は、沼に浸っているような生活気分に、たえ難くなって来た(253頁)
佃との毎日は息苦しくなっていく。読んでいるとこの佃という男にイライラするし、なんでこんなにも自分の意見がないんだろうという気がしてくる。でもそれは彼が男性だからなのかもしれない。もしこれが女性だったら、きっと大人しい従順な妻ということでなんら文句は出ないというかもはや「妻の鑑」くらいに思われていたかもしれないのだ。もちろん時代ゆえに。
佃のことを忌々しいと思いつつも、彼にとっての女性の愛し方、結婚生活はこれが正であって、彼が決して悪い人間なわけではないのだ。この小説は伸子の視点から書かれたものであり佃の内面は見えてこない。本心で彼がどのように思い、どのように伸子と結婚し人生を導きたかったのか、それを知るすべが想像でしかないのならば、私は佃だけを否定することはできない。
伸子と佃が結婚という制度にそぐわなかったことは間違いない。結婚とは、愛し合うだけではなくどれだけ価値観や共鳴しあうものがあるかで、それが良きものとなるのか否かが決定づけられることもある。
伸子の開放的で自由奔放な意思は、当時の女性としては突出していた。結婚イコール家庭を守るという風潮から飛び出した斬新な女性だった。結婚も離婚も全て伸子が決める。しかし伸子が成熟した女性かというとそうではない。実家には頼りっぱなしでまだまだ未熟な存在だった。そういう意味では結婚を通して一人の女性の成長過程を描いた物語ともいえよう。
内に秘めたる女性の想いがこれでもかと発揮されていて痛快で清々しささえ感じる。100年ほど前の小説だけどそんなに昔のこととは思えなくて、結局のところ男女、人間同士の営みや悩みは普遍的なものなのだ(まるでオースティンの小説の感想みたいだな…)。それにしても、この小説、現代女性からしてもちょっと萎えるから、男性にとってはキツイだろうな。