
『世界終末戦争』上下 マリオ・バルガス=リョサ 旦敬介/訳 ★
どうしたらこんなにも重層的で甘美な物語が書けるのだろう。おそらくリョサ氏の執筆人生で最も筆がのっている円熟期に書かれた大作である。ストーリーが突出しておもしろいわけではないし、場面によっては読むのがしんどくなることはあったが、それでもこの作品は傑作に値するということは断言できる。文庫上下巻を読み終えるのにかなりの時間がかかってしまったけれども。絶妙な間の取り方がにくい。場面転換の鮮やかさに目が眩む。読み終えるとその構成力に改めて感服する。
ブラジルで実際に起きた「カヌードスの反乱」をモチーフにしてリョサ氏がフィクションに仕立て上げた。「カヌードスの反乱」とは、ブラジル北東部の内陸で1896年~97年に宗教指導者アントニオ・コンセリェイロに率いられ農民たちが起こした反乱である。3回に渡る政府の攻撃に抵抗したが2.5万人ほどのカヌードス軍は殺害された。
登場人物の数は膨大である。物語にほとんど関係のない人でも固有名詞がずらりと出てくる。しかし最初は誰が重要なのかわからないから、耳慣れないブラジル名だけど苦心して読み進める。それでも徐々に主要な人物の数は限られていることに気づく。
キリストの再来とされるコンセリェイロ(助言を与える人の意味)は、内陸地の村々を遍歴しながらキリストの教えを説き行者のような暮らしをしていた。「何が罪であるのか」「救済のあり方」を絶大なる説得力で説き、人々は魅了され、行動を共にする信者がどんどん増えていった。マリア・クラアード、ジョアン・アバージ、パジェウ、四つん這いで歩く頭の大きなレオンなど。読み飛ばしをしてしまうかなと思いきや、ひとりひとりのエピソードが滅法おもしろい。それ単体でもひとつの小説にできるほど。いつからかコンセリェロらはカヌードスという地を征服するようになる。ここがまさに宗教的楽園の地である。しかし近代共和国軍が砲撃を開始し戦争が始まる。
革命家ガリレオ・ガルの内面をみているとこれが人間の性だと思う。ジュレーマを見ていると女性は男性に凌辱されつねに服従せざるを得なかったという、当時の女性であることの宿命というか不甲斐なさに胸が痛む。一人、固有名詞がない「近眼の新聞記者」が登場する。実は彼はこの作品のなかでは重要人物であり主人公といえるのではないか。あるとき彼は記憶の中に眠っていたことをこのように悟る。
生の秩序というようなものを、物と人、時間と空間の共棲関係みたいなものを、論理や常識や理性などとはまったく関係のない人間の経験というものを感じたことがあった。それはまさに、人の姿が急速に溶けてゆくその夕刻、物質的な必要を激しく軽蔑し、誇り高く精神についてのみ、食べたり着たり使ったりするものではないもの、思考や情動や感情、美徳などについてのみ語る深く苦しげな声に、安堵を見出し、勇気づけられ、心の落ち着きを取り戻しているカヌードスの人々のなかに見られるものと同じだった。(下巻・175頁)
コンセリェイロの周りには、この安堵と落ち着きがあるのだった。
近眼の記者と四つん這いのレオンが相まみえたとき、記者は自分に似ているからという理由でレオンに嫌悪感を抱いていることに気づく。この「自分に似ているから」というのがめちゃくちゃわかる。それはだいたいにおいてコンプレックスになっていることであって、だからつまり相手というよりも自分に嫌気が差しているということなんだよな。
読み終えた後の達成感が半端ない。こういった重厚濃密な小説を読むと、国内のほとんどの作品は到底及ばないというか、薄っぺらく感じてしまう(決してそんなことはないのに)。ノーベル賞を受賞した作家の本を読むと得てしてこの感覚になるよなぁ…。リョサの小説で好きな作品は『楽園への道』『フリアとシナリオライター』『悪い娘の悪戯』である。好きかどうかという問題ではなくこの『世界終末戦争』は傑作だ。ちょっと難解に感じた『緑の家』と『ラ・カテドラルでの対話』はいつかまた読み直したい。