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『夏草冬濤』井上靖|自分もまた何かを為さねばならぬ-ある一夜の想いが作家井上靖の原点

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『夏草冬濤(なつぐさふゆなみ)』上下 井上靖

新潮社[新潮文庫] 2025.07.13読了

 

作『しろばんば』では1頁めから「しろばんば」という言葉が出てきた。今作も1頁めから「ナンガレ」という耳慣れない言葉が紙面に踊り出し、読む者の興味を惹きつける。冒頭からやはり上手いなぁ。ちなみに「ナンガレ」とは、渓流の石と石の間を、流れの力を借りて下流へと体を流していくことで、地元の子供たちが呼んでいる言葉だ。海水浴場で河童が群がる、と読んで、もちろん河童=子供たちだというのはわかるけれど、当時はこういう表現を普通にしていたんだろうなと時代を感じた。

 

少期におぬい婆さんと一緒に伊豆に住んでいた洪作は、今度は叔母が住む三島に預けられることになる。通学徒歩組の増田と小林と共に、沼津にある中学校に通う。小学校の夏休みが始まる前日の学校の雰囲気やみんなの期待感、そして夏休みが終わり2学期の最初の日のワクワク感と休みが終わったがっかり感が懐かしい。こういう気持ちだったなと子どもの頃に思いを馳せる。

 

は女性だから洪作、増田、小林のように殴り合っての喧嘩はしたことがないけれど、小学生の男の子というのはきっとこんなようなものだろうなと鮮やかに想像できる。しかし現代の子どもたちはこんな風に殴り合って喧嘩をするものだろうか。文章や出てくる言葉によって古めかしさを感じるだけではなく、子どもたちの生活スタイルによってもひと昔前だなと感じてしまう。

 

休みになり、5歳から13歳までを過ごした田舎に帰ってきた時、見るもの全てが洪作には小さく感じた。子どもの頃はすべてが大きくみえたのに。自分の身体も、精神もお大人になったからだ。自分の預かり知らないところで他人から勝手に誤解されるという試練にぶち当たった時の洪作の苦悩と驚愕が手に取るように共感できた。井上さんは大人になってからこの小説を書いたのに、どうしてこうも子どもの心に戻れるのだろう。

 

作はある長い長い1日を過ごした日、夜遅くまで眠れず「自分もまた何かを為さねばならぬ」と思った。この日の想いが、のちの作家井上靖を作り上げた原点なのかもしれない。一学年上の藤尾の仲間たちは、自分の知らない本を読み、詩を作り、歌を歌う。考えることも喋ることも自分とは違う。普段仲良しの増田や小林とはどこか違っているように見えた。決して友達を裏切るとかそういうことではないが、洪作は自分が進むべき道、なりたい自分になるには付き合う相手を選ぶことができた。若い時分から自然に備わったこの感性。

 

まで読んだ井上さんの小説のなかでは一番読みやすかった。『しろばんば』に比べると地の文が少なく会話が多かったように思う。さて、あとは自伝的三部作は『北の海』を残すのみ。洪作の、というか井上靖さん自身の青春時代にもう少し身を寄せよう。

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