
『石灰工場』トーマス・ベルンハルト 飯島雄太郎/訳
河出書房新社 2025.04.14読了
少し前に、東京・目黒にある東京都庭園美術館を訪れた。展示されていたのは戦後西ドイツのグラフィックデザインである。作品からドイツ人の几帳面さ、丁寧さを改めて感じ、そういえば最近ドイツ文学を読んでいないなと思いこの作品を読むことにしたのだ。とはいえ、ベルンハルトはドイツ語圏の作家だが実はオーストリア人だったのを解説を読んで思い出した…。トーマス・ベルンハルトの作品は『凍(いて)』しか読んでいない。当時オーストリア作家と認識していたようなのに知識がちゃんと更新されていなかった。まぁ、言語が同じなので、オーストリア人とドイツ人を区別するのはなかなか難しいだろう。
かつて石灰工場だった場所を購入し、そこに住んでいたコンラートがある日妻を殺した。聴力に関する論文を執筆していた彼に何があったのか。どうしてこのような事件が起きたのか。語り手の「私」が人から伝え聞いたことをまとめようとしている。しかしこの小説はきっちりと構成されてはいない。
伝聞が取りとめもなく続き、どうにもはっきりしない。「フローが言っていた」「ヴィーザードに伝えたところによると」など、コンラート自身から聞いたものはほとんどない。そして堂々巡りのような文章。繰り返される内容と脱線するエピソードは意味をなさないようにみえて、でもどうしてか自分の内面にまとわりついて離れない。
介護疲れで思わず相手を殺してしまった、または自分自身も精神を病んでしまった、そういうことなのか?コンラート本人ですらわからないのだ。誰にもわからない。明確な答えはない。
やはり難しい。文章を読んでその意味がわからないという難解さではなく、作品自体が何を伝えようとしているのかがわからず、どう解釈すればいいのかわからないという難解さだ。しかし意外と読むスピードは遅くなく、気づいたら半分過ぎていて、別に急いでいたわけでもなく丹念に読んだのに2日間で読み終えてしまった。意外と好きな文体なのかも。まどろっこしいのはこの上ないのだが。だから容易には人に勧められない。
ちなみに冒頭で述べた展示会、ドイツのグラフィックデザインよりも、重要文化財に指定されている旧朝香宮邸の建物自体のほうが興味深かった。最近、建築美とかそういうモノづくり芸術に心を奪われる。


