
『死せる魂』上中下 ニコライ・ゴーゴリ 平井肇・横田瑞穂/訳
主人公チチコフは、戸籍上では生きていることになっている死んだ農奴を買い集めるという、いささか奇妙なことをしていた。何のためにこんなことをするのだろう、そしてチチコフとは何者なのか。
著者ゴーゴリは作中で「作者(わたし)は万事につけて几帳面なことが非常に好きで、この点では元来ロシア人であるにもかかわらず、ドイツ人のように綿密でありたいと願うのである(上巻31頁)」と言うように、これでもかと言わんばかりに人物描写が細かい。
ロシアのことを風刺を交えて悪く書いているのだけど、ところどころでゴーゴリのロシア好きが伺える。
的確に表現されたロシア語ほど大胆不敵で、しかも心の奥底からほとばしり出て、生気溌剌として湧き立つ表現は他にないだろう。(上巻209頁)
最初はチチコフのことを、のっぴきならない奴だなとか胡散臭いなと思っていたけれど、どうして、段々と放っておけなくなるというか応援したくなるというか。だって著者がチチコフを大好きなんだもの。上巻の表紙をめくると「叙事詩」「またはチチコフの遍歴」なる副題が振られておりまさにチチコフの物語。ロシアの名前ってどうにも覚えられないけれど、チチコフは忘れられなそう。チチコフはもちろんのこと登場する他の人物たちも一癖も二癖もあって人間らしさがたまらない。警察署長たちがチチコフの素性を知るために藁にも取りすがる思いで、大のほら吹きであるノズドリョーフに助けを求めるところなんて、もはやお笑いだ。
こんなにもドタバタ喜劇だったとは思わなかった。セルバンテス著『ドン・キホーテ』やバルザックが書く風刺作品に近い。日本でいえば井上ひさしさんとか。感動するもの、怖いもの、どんなものよりもおもしろいものを書くのが一番難しいと思う。人を笑わせるというのは並大抵ではない。
読み始めるまで、これが未完の小説だとは知らなかった。ゴーゴリはこれを第三部まで作るつもりが、第二部の途中で終わってしまっているのだ。しかもこの文庫の中巻で第一部が終わっているから、本当なら3冊どころか倍くらいの量があったのでは…!ということでいかにも途中!という場面で終わる。結局チチコフはどうなるのか…。
未完の作品を読んだときのあの虚無感というか、なんというかつかまえたくても届かないもどかしさ。一生終わりまで知らされない中途半端さ。いつも未完の大作と呼ばれるものを読むとこの気持ちになるのだけれど、結局読んでしまうという性…。
岩波文庫の赤帯は、古典名作を読んでいる感があり誇らしく思える(完全なる自己陶酔だ)。岩波文庫は絶版という概念がなくこうしてたまに復刊するのが嬉しい。2作品ほどホームページからリクエストをしているのだけれど、それはまぁのんびり待つことにしている。