
『沈むフランシス』松家仁之
新潮社[新潮文庫] 2025.03.23読了
松家仁之さんの作品に魅了されたのは今年2月に『火山のふもとで』を読んでから。だからつい最近のこと。真に満たされる静謐な読書とはこのことだと深い感動を覚えた。だから、3ヶ月連続で松家さんの作品が新潮社から刊行されると知って心躍らされた。これは第二弾となる作品である。
ストーリーは至ってシンプルでゆるやかに時間が流れる。東京の大きな会社を辞めて、北海道の村に移り住み郵便配達員として働く撫養桂子(むようけいこ)は、川のほとりの家屋に住む寺富野和彦(てらとみのかずひこ)と、郵便物を通して知り合い急速に惹かれ合う。雄大な自然の中で育まれる大人の恋愛物語である。
ストーリーよりも、北海道の自然豊かな描写や日常の些細な営みの数々が、松家さんの美しい文体によって奏でられていて、それを慈しみならが読むのが正しい読み方なように思える(正しい読み方なんてないけれど)。
寺富野が花を琺瑯のピッチャーに入れて整える仕草を見た桂子は、その動きに目を奪われて「なんの無駄のない、きれいな手のはこびだろう」と感心するのだが、いやいや松家さんの文体にこちらは目を奪われ、心まで持っていかれるぞよ。
和彦は世界中の「音」を録音して一流の音源で聞くという趣味がある。この音だけの世界を極めるかのように存在するのが、目の見えない御法川さんという一人暮らしの老女だ。桂子と御法川さんとのたわむれがとても良い。天気を尋ねた御法川さんに桂子が丁寧に空の様子を説明したときに、突然小学生の時に見た夕焼けを思い出したという御法川さんの懐かしき情景。
帯や裏表紙で「大人の恋」と謳っているものの、35歳と38歳ではまだ大人の恋愛とは言いにくい。もちろん若くはないのだけれど、なんとなく想像する大人の恋愛ならば45歳と48歳でも良いのかなと思う。しかしまあ、文体から立ち昇る2人の佇まいはすでに40代に思えたが。
雨音や風の吹き荒ぶ音を背景にして読むのがとても良い。物理的な音があったとしても本の世界にしみじみと浸かれるだろう。先日、松家さんの文庫本と新作の単行本が発売されてすでに手元に準備したので、読むのがもったいないくらい楽しみだ。