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『逝きし世の面影』渡辺京二|外国人からみた日本はどんなだろう

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『逝きし世の面影』渡辺京二

平凡社平凡社ライブラリー] 2024.11.25読了

 

著と言われているからいつか読もうと思っていた本である。この作品の『逝きし世の面影』というタイトルのなんと素晴らしいことだろう。そもそも「面影」という言葉自体に憂いがある。都電荒川線の「面影橋」という駅名も素敵だなと思った(あとは長崎の「思案橋」も良い)。

 

つ前に水村美苗さんの『大使とその妻』を読んだ。語り手ケヴィンが携わる「失われた日本を求めて」というプロジェクトからもわかるように、現代からみるとかつての古き良き日本がすでに失われてしまったのかと思うと悲しさがある。この本は、明治初期に来日した外国人が見た日本社会のありようを、渡辺京二さんが自らの考察を入れてまとめあげたものだ。しかし現代の日本だってそんなに悪いものじゃあない。渡辺さんがこの本を書いたのも、決してかつての日本に戻りたいからというわけではない。

 

本人が考える「外国人からみた日本人のイメージ」は、礼儀正しく親切ではあるがあまり笑わなく社交性が乏しい、というものだと勝手に思っていた。しかしこれを読むと、当時日本に訪れた西洋人は、日本人は朗らかで常に笑っていて幸せそうだと感じている。貧しい土地ですら笑顔がある。つまり、貧困と不幸はイコールではない。

 

六章「労働と肉体」で、明治期に「別当」という職種があったのを初めて知る。馬丁のことで、主人が騎行するときに先駆けるのだが、筋骨たくましい肉体美を持つ彼らはおもしろい衣装を着ていた。自分の国なのに知らないことがたくさんある。

 

八章『裸体と性』では、日本の公衆浴場では多くの老若男女が一緒に入る、いわゆる「混浴」であったことに外国人は驚いていた。今でも混浴の温泉はいくつかまだ存在しており、別府温泉もそう(施設によるとは思うが)で、私自身も昔入ったことがある。確かに、、堂々とは入らなかった(入れなかった、かも)けれど、昔は混浴が当たり前だったのかと思うとなんか不思議。日本では「性的羞恥は知られていない感情」であり、「生活に隠し事がない」という風習に歓喜に値した声もあったという。

 

の本を読むといささか照れ臭くなるが、やはり日本を誇りに思う気持ちが湧いてきて気分がよくなる。多くの欧米人が日本と日本人を褒め称えてくれている。自分が言われたわけではないのに、やはり日本人であるというだけで少し鼻が高くなる。第十章「子どもの楽園」では、日本ほど子どもが親切に取り扱われ、子どものために深い注意が払われる国はないという。日本は子ども向けの玩具が豊富で、これも子どもを大事にしているからだと。今の少子高齢化が信じられないほど当時は街に子どもが溢れていたのだ。

 

本は当時長崎出島を他国との拠点としていたから、長崎に関する記述が多く出てきた。今年の私の重要な場所は長崎であるから感慨深いものがある。

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書の渡辺さんがこの本を書いたのは1998年である。その時からもう25年ほど経つ。渡辺さんは決して自分の祖国を誇るために書いたのではなく、現代(渡辺さんのいう1998年頃のこと)を相対化するためのひとつの参照としたかったからだそう。今はどうだろうか。確かに明治昭和の時代は輝かしい日本があった。でも、形は違えど今の日本も捨てたもんじゃない。そうじゃないとこんなにも多くの国から日本に訪れる人がいるわけない。

 

さいフォントと文字で埋め尽くされた頁のせいか読み終えるのに結構時間がかかった。それでも至る所にイラストや写真が掲載されていたので助かった。それにしてもこれだけの他国の文化人などの意見を多くの著作から推敲しまとめあげるのは至難の業だったろうなぁ。

 

ういえば。9月末に行った神保町ブックフェスティバル平凡社のブースにはかなりの人だかりができていた。販売スタッフが「平凡社ライブラリーお安くなっていますよ」と声をかけていたが、この本は残念ながらなかった。




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