
『虚史のリズム』奥泉光
集英社 2024.10.14読了
いやー、長かった!感想がどうこうよりも、今はもうこれを読み終えたという達成感が大きい。一冊の本としては、読了するのに今年一番時間がかかったような気がする。よく読み通したと少しばかり自分を褒めたいくらい。読むことすら難儀なのに、これを書き切った奥泉さんとは一体何者か…、頭の中は一体どうなっているのか…と疑問だ。まぁ色んなモノが詰め込んである、超ド級マンモス小説だ。
冒頭から盛り上がる奥泉節!熱量たっぷりで、いい意味でくどくどした癖のある文体は一度ハマったら抜け出せないんだよなぁ…。小さい時から探偵になりたかった石目鋭二(いしめえいじ)は、ひょんなことからバーを営みつつ探偵稼業を営むことになる。第一の事件として、かつて親しかった神島健作から「錬巍正孝夫妻殺人事件」の真相を暴いて欲しいと依頼される。関係者が行方不明になったこの不可思議な事件を調べる一方で、海軍の機密文書「K文書」の行方を追ってほしいという別の依頼も引き受けることになる。そんな二つの謎を追いかけるミステリー寄りの作品で存分に(お腹いっぱいに)楽しめた。
石目は、学生時代密かに稽古した「頭脳を烈しく回転させる名探偵」の姿勢(ポーズ)をする(306頁)など、おもしろおかしく理想の探偵像を駆使する。途中怖い目にあって「やっぱり探偵なんて無理だ!」となるなど、素人感丸出しがまた人間らしくていい。この作品は群像劇であり色々な人が視点となるが、石目パートは読みやすくホッと和む。
阿部和重さんのような、またはくだけ気味の松浦寿輝さんの長編を読んでいる気分になる。そして宗教的、霊的な話になったときには京極夏彦さんの作品ではないかと惑うほどだ。もしくは高橋和己さんの作品にも通じるような。兎にも角にもいろいろな要素がてんこ盛りで、奥泉さんの集大成とも言えるような作品だ。お得意の天皇制の考察が深くて読み応えがある。
ある討論会で、神島は歴史とは何なのかを自身に問う。地金ミノルは戦果の体験を言葉にすることができなかった。答えたくないわけではなく「かたる」方法を持たないからだ。
「かたられたこと、記されたこと、言葉にされたことだけが歴史を作るのだとしたら、それははじめから決定的な欠落を孕むのではないか?」(86頁)
ここを目にした時にハッとした。確かに、文字で、文章で表されたものをそのまま歴史としてしまうことはもしかしたら傲慢ではないか。特に遥か昔は文字の読み書きはおろか、見たことや自身の気持ちを表現できない人が多かったのだ。勉学を身に付けたわずかな人から伝わったことだけを史実とするのは間違っているかもしれない。
また中盤、石目が探偵をやめようかと悩む時にマチ子は「自由でいてほしい」と言う。
「自由っていうのは、生きようとすることなんだと思う。なんていうか、生きていることのエネルギーっていうのかな、そういうのがどんどん出てくるのが、自由ってことなんだと思うよ」(487頁)
生きようとすることが自由とは、これも目から鱗だった。自由というのにも色んな自由があって、ただわがままに独断で振る舞うのではなく、生きるための自由さ。確かに、自由奔放に振る舞う人は生きる熱量が強い気がする。
奥泉さんといえば夏目漱石信者であり、自らも『吾輩は猫である殺人事件』を書いている。途中漱石の文章チックなところもあり、本当に好きなんだなと思っていたところ、作中に『行人』が出てきた。実は私はまだ『行人』を読んでいない。最近夏目漱石作品を読んで改めて紛れもない才能を感じた。次に読む夏目作品は『行人』にしよう。
リズムが何のことなのかは読めばわかるし、表紙にも中にもあるし(なんなら集英社の中の人がパラパラやっているXの動画もあるし)、まさにdadadadadadada……の連続なんだけど、これがもうある動物の集合にしか見えなくなってくる。ページを埋めつくすような、這うような文字の嵐はウラジミール・ソローキン著『ロマン』をも彷彿とさせる。
それにしてもこれを一冊の単行本にしてしまう恐ろしさ。四六判ではなくこれはA5判(小説で滅多にないよな)、総頁数1,090、分厚さ重さが鈍器本級なのはもちろん、値段も税抜4,800円(日本の作家なのに高すぎるだろ)という…。単行本2冊にして例え上巻しか買わない人が多くても、この鈍器一冊にするよりは売れるだろうに、これはもう利益を度外視しているとしか思えない。
もちろん奥泉さんの小説はめちゃくちゃおもしろいから、ファンならばどんな形であれ買ってしまうのだろうけれど、これじゃ新規の読者を獲得出来ないよなぁ。このこだわりが奥泉さんらしいといえばらしいのだけれど。利益追求は文庫本になってからでいいのかしらん。ちょっと息切れしてしまい、最後のほうは早く読み終えたい願望が強くなり駆け足になってしまったから、いつか文庫になったらゆっくり読み直してみようかな。鴻巣友季子さんと滝口悠生さんがどこかに書評を書いているみたいなので、是非とも読んでみたい。