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原発事故は大張正己監督でアニメ化すると良いんじゃないかという思いつき

『Fukushima 50』 - 法華狼の日記

過去に津波対策をおこたったことを描けば、知識のある観客は感心しただろうし、むしろ映画の味わいが増したのではないか。悔恨を動機として全力をつくす物語も、英雄の人格に厚みが生まれて、それはそれで娯楽として悪くないはずだ。

爆発によって建屋に穴があいたことで注水ができたり、排出計画の遅れでプールから水がもれて4号機の核燃料が冷やされた皮肉も描かれない*2。

贖罪と悔恨のために戦う英雄、来たるべき大いなる敵への対抗手段を選ぶためにおこなわれる闘争、そして全てを解決するのは人間のみがもつ無限の可能性……娯楽にするにはフワッとした偶然までふくめて、監督の作風にあっているような気がするのだ。

  • 発売日: 1998/09/25
  • メディア: DVD

逆に、ヒロイックでアニメチックなキービジュアルで陽性に感じられがちな大張作品が、いざ見ると異様にシリアスで説明不足でキャラクターが粘着質という娯楽としての難点も、うまくテーマを選べば作品に昇華されるかもしれない。
そう考えると、1980年代から頭角をのばしたアニメーターとして、当時のアニメや漫画がとりこんでいた社会への問題意識を、大張監督は意外と真面目にかかえつづけているのかもしれない……ということも思った。
物語の定番をなぞっただけでも、その定番に政治性がこめられていることはある。政治性に距離をとっても、それ自体がひとつのメッセージとなりうる。いっさい社会的なメッセージをくみとれない純粋な娯楽など、そうそうあるものではない。




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