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『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』

公開終了間際に時間をとって観てきた。子供向け新作映画が多数公開され始めている時期なので、カップルや私のような単独客もふくめて十数人の入りといったところ。ネタバレされないよう気をつけつつも、観客に賛否両論があることは知っていたが、良くも悪くも得心した。
以下、致命的なネタバレはさけつつ、ある程度まで原作と映画の内容にふれる。


原作『ドラえもん のび太と鉄人兵団*1は、高い人気を誇ると同時に、構成にゆがみをかかえていた。
のび太の街は直接的な危機におちいらないというしばりがある物語において、鏡面世界という舞台設定を導入して、異星メカトピアからの苛烈な侵略を緊迫感をもって描いた。そして巨大ロボットジュドを入手する興奮、人間の感情を知らなかった機械少女リルルと主人公達の交流や美しい別れが描かれ、娯楽要素は最も高い。
一方で結末は御都合主義で唐突な展開だった。のび太とリルルの物語だったのに、解決場面ではのび太の出番が全くない。しかも秘密道具の使用方法が最も安易で、SF考証としても無理があった。原作者自身も結末に対する反省の弁をフィルムブック下巻に書いていたくらいだ*2
原作はウェットな物語に見えて、根底はドライな世界観で貫かれていた。ジュドの頭脳を味方にするため改造する描写が象徴している。ウェットさを印象づけた後半の悲劇も、連載版では無理やりな解決直後に空を見上げて涙する姿で終わり、余韻すらなかった。無理に物語を閉じようとして、ウェットな展開で誤魔化した感が強かった。


新作映画では世界観と物語の整合をはかるため、世界観を最初からウェットよりにしている。作中歌や星型部品に象徴されるファンタジックな設定が導入される一方、ドラえもん側が作戦を練っていく戦争映画らしさは薄れ、クライマックスの戦闘も小規模になっていた。
たとえば鉄人兵団のロボットが全て自意識を持つ存在として描かれている。しかし人間らしい感情を持っているだけならば良いが、差別意識をたれ流すような小悪党ばかりになってしまっていた。結局のところ、敵がいかにも悪そうな性格をしているという単純な表現となった。
原作では、ロボット社会が近代化したため階級差を無くす政策が進み、代わりの奴隷として人間が求められたという真相が中盤で明かされる。しかし新作ではリルルやジュドは貴族階級から差別を受けていたという回想もあり、奴隷解放はされたらしいものの依然として階級意識が残っている描写が貫かれている。ただ敵が奴隷を欲しているだけの新作と、自由な社会を作るため異生物を奴隷にしようとした原作では、後者の皮肉に独自性を感じる。
原作ではロボット社会が人間社会の鏡像だから、中盤での真相開示が衝撃を与える。どちらにも正義があるという域を超えて、人間の現代社会と同じ正義が、人間社会を侵略する動機となる。ロボットにとっての人間は、たとえるなら人間にとっての犬やイルカに近い。そしてロボットが相手つまり人間を思いやる心を獲得した終盤は、表面では人間同士の思いやりを賞賛している描写のようでいて、SF的には人間をロボットが追いこしたということだ。そう考えると原作の結末でリルルが「神の子」として、幻のように一瞬だけ姿を見せたことも寓話として必然だと思えてくる。


敵が矮小な性格という新作の問題では、司令官ロボットも威厳が全くなくて悲しかった。作戦が思い通りにいかなければ当たり散らすばかりで、幹部ロボットと冷静に話しあったりしない。もちろん原作でも感情的になる場面はいくつかあり、リルルが説得した時も最後には後で自ら分解すると口走るほどに激怒した。しかし、それ以前の議論においては比較的に穏健かつ合理的に、神の子であるロボットが人間を奴隷にするのは当然という思想を述べていく。そう、鉄人兵団による侵略は宗教戦争でもある。
敵がたった四、五人だけと知る終盤でも、よく戦ったと努力はたたえる原作と、見くびって決戦に望む新作とでは、受ける印象が正反対だ。思い返してみると、リメイク後の映画『ドラえもん』は敵首領が小悪党ばかりで、印象的なライバルキャラクターであったギラーミンすら小悪党に堕していた*3。リメイク後の作品は個別に評価しているが、なぜか敵を矮小に描くところだけは一貫している。



ここまで世界観がウェットになった不満を書いてきたが、新作が駄目というわけでは必ずしもない。ドライな世界観という魅力を思い切って捨てることで、ウェットな物語としての完成度は高くなっていた。
原作では正直にいって、ドライすぎる世界観が作品の基本設定と齟齬をきたしていた。ドラえもんという身近な存在もロボットであることが言及されないまま人間側についていること、中盤で敵ロボットの頭脳を改造して味方にしてしまうこと。その2つの難点が新作ではうまく修正されていた。
まず序盤で巨大ロボットをほしがるのび太に対し、自分がいるとドラえもんがアピールする。ここでドラえもんもロボットという基本設定を印象づけ、後半でロボットと人間が共存できる展開に説得力を足す。もっと格好良いロボットがほしいと返すのび太もギャグとして秀逸で、映画館で笑いがもれていた。
また、ジュドの頭脳を改造する代わりにピッポというキャラクターへ変身させ、対話したり利用しあったりリルルを助けるため一時的に協力し、時間をかけて仲間にしていく様子が描かれた。期待以上にキャラクタードラマとしても見所となっているし、協力の過程でアニメオリジナルのアクションも増えている。頭脳を変身させることを決める描写も、コメディとして完成度が高かった。


ほとんどアニメオリジナルキャラクターであるピッポも、2つの納得できるポイントがあった。
原作では、ミクロスという小型ロボットが後半に重要なアイディアを提供しながら、いつの間にか結末で忘れられているという問題があった。今作のミクロスは操縦されるラジコンロボのままで、自律意思を持って動くキャラクターではない。キャラクターではないから中盤以降に登場しなくても、物語の展開に無理がない。そのマスコット的に活躍するミクロスの代わりをピッポがつとめ、きちんと無理なく物語の展開にそった別れが描かれた。
もう一つ、ピッポは球体型の身体を秘密道具によって格好悪いヒヨコ型ロボットへ変身させられたわけだが、それが終盤で一つの映像的な小道具として活用され、成長を視覚的に印象づける。古い演出ではあるが、悪くなかった。


ドラマとして最大の問題だったリルルの相手が途中で変わってしまう問題は、リルルとピッポが来訪者の役割を分担することで解消された。
のび太より先にしずかとリルルが出会う場面をつけくわえ、リルルとの関係を強化。首をしめられるような印象的な描写は残念ながら減っていたものの、必要な描写は入っていた。
そしてクライマックスでは、原作同様にリルルとしずかの別離が印象深く描かれる一方、地球でもピッポのび太が対面した状態で別離を迎える。大戦闘があっけなく終了した原作と違い、ピッポが命がけで守った時間に意味はあったと思える描写となっている。このクライマックスでは、リルルとピッポの精神が繋がっているという独自設定も効果を上げ、地球とメカトピアを交互に描きながら感情が分断されず同調するように高まっていく。


世界観がドライでは子供達と子守ロボットだけで勝利する物語に説得力を出しにくい。結果として解決場面で多くの問題をかかえた。新作もSF考証の問題はそのまま残っているが、ドラマの流れが自然になっていた。
むろんドライな世界観を評価する原作ファンや、タイムパラドックスにこだわるSFファンにとっては不満を持つだろうリメイクではあった。私にしても、タイムパラドックスを考慮しつつ、ドライな世界観に基づいて、ドラマの繋がりも正しくなるようなリメイク案を考えたことがある*4。だが、同じ素材を使って全く別方向の作品を作り上げたと見れば、高い評価ができる作品だと確かに思えた。



なお、日常の風景に巨大ロボットが登場する作品が近年は少ないため、ロボットの巨大さを表現した久々の新作アニメ映画としての楽しみもあった。せいぜい同じく前世紀の作品をリメイクした『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズくらいだろう。他の作品は、異世界を舞台としていたり、異空間での戦闘が主だったり、荒地や空中や宇宙での戦闘が多い。
旧作映画はロボットアニメとして物足りなかったが、新作では原作同様に巨大ロボットが住宅街から高層ビル街まで縦横無尽に移動する。背景美術で実景を参考にしているだけでなく、歩行や着地の振動で自動車が揺れる描写を細かく入れ、アニメならではの実在感を表現する。裏山での追いかけっこでは独自のアクションも組み込んでいた。のび太ピッポによるアニメオリジナル逃走劇でも、実景をロケハンしたとおぼしき下町が戦火にさらされる。残念ながらクライマックス戦闘は一度だけに省略されているが、代わりに敵が巨大ロボットを用いて攻撃をしかけ、大きな見せ場となっていた。
アクション作画もアニメ全作品と比べて負けていない。元々リメイク後の劇場版は通して素晴らしい作画だったが、今回は柔らかい手描きの味を活かしたキャラクター作画に加えて、精緻なメカニック作画も楽しむことができた。原画に橋本敬史羽山淳一、向田隆の名前も確認。

*1:以降、ほぼ同じ内容の旧作映画もふくむ。

*2:「ただひとつ残念だったのは、解決にタイムマシンを使ったこと。ちょっとイージーでした。でも、ほかに思いつかなかったのです……。」改行して、「ぼく、頭ワルいね。」が「藤子先生のことば」のしめくくり。

*3:原作では到着前に失敗した作戦が、ギラーミンの提案した作戦という描写になっていたり、出番を増やすことで逆に単純な思いつきを実行して失敗する描写が増えていた。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100319/1269351652

*4:ミクロスをドラマから排除し、ドラえもんもロボットである基本設定を強調し、ジュドに人格を付与するという変更部分は新作と同じ。異なるのはのび太でなくドラえもんが同じロボットとしてジュドの頭脳を説得すること、その際にドラえもんは人間を守る存在としてジュドに対して脅迫めいた行動までとること。そしてタイムパラドックスが起きないようにするため鉄人兵団が最初から消滅を組み込んだ存在であること、その運命づけられた自己犠牲に主人公達が反発すること、その存在の哀しみにあらがおうと敵司令官がクライマックスで再起して決戦をいどむこと、といった案。あらすじだけ書いてもニュアンスは伝わらないと思うが、メモ代わりに残しておく。




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