以下の内容はhttps://hokke-ookami.hatenablog.comより取得しました。


『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』

 学園で舞台のセンターを目指すはずの少女たちは、普通の街で普通の日常を送っていた。しかし少女たちの青春を輝かせるレヴューはつづく。そして疾走する地下鉄の惨劇から、ふたたび少女たちはパートナーと傷つけあう戦いを演じるが……


 2021年のアニメ映画。劇場公開用のTVアニメの総集編*1から続くかたちで完全新作でつくられ、新型コロナ禍のさなかに2週間ほど延期しつつ公開された。

  • 小山百代

 総集編がTVアニメ版の『少女革命ウテナ』を思わせたように、このアニメ映画は『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』のよう。

  • 川上とも子

 ただし構成の順序はさかさまで、主人公が自動車に変身して城に攻められながら学園を脱出するクライマックスは、閉塞的な地下鉄に置き換えられ逃げ場もなく同じ立場の少女に敗北する。TVアニメのダイジェストのように処理された前半の決闘は、少女たちがパートナーと向きあい距離をとるドラマとして後半に位置する。
 そうして2時間いっぱい、隠喩を散りばめ他ジャンルの映像から引用しつつ、いかにも日本の「アニメ」的な快楽に満ちた映像がとめどなく展開される。異性はキリンという動物の姿をしていたTVアニメと違って、きちんと人間の姿をした異性が序盤に登場するが、映画として充分なクオリティはあるが生々しさはなく、本筋と対比的な現実感を出すためというより日常アニメのような光景として作られていると感じた。


 すさまじい表現が連続するアニメとして評価は高い。たしかにシリアスでありながらTVアニメの延長として珍奇さも飲みこみやすく、間断なく楽しめるアニメではある。
 しかし表現主義的に見せつつ美少女たちを描いた娯楽的な「アニメ」として完成されすぎていて、テーマにしている「卒業」に反して、この場にとどまりつづけたいと良くも悪くも思わせる作品だった。
 観客に拒否感をおぼえさせるところや、あえて冷や水をあびせるところがなければ、このテーマに作品として説得力を出すことは難しい。もちろん商業アニメの原理には反しているので、作り手が晩年の高畑勲監督のような立場にならないと困難かもしれないが。

名誉棄損裁判は真実とは関係なく判決が出ることもあるが、Colaboを攻撃する暇な空白氏の主張は真実ではないという判決が出ているよ

 暇空茜こと暇な空白氏のColaboへの名誉棄損が確定したしたことを受けて、はてなブックマークで同調者が多かった時期を、はてな匿名ダイアリーでほりおこされていた。
Colabo叩きしてた増田、ブコメを総括すべきでは?
 すでに対Colaboに限れば暇な空白氏は20以上も全敗しているためか、はてなブックマークではさすがに過去を正当化する反応は少ないが、いくつか抵抗するコメントもある。

 はてなスターを集めて注目コメントの最上位に入っているid:by-king氏らは、監査請求そのものが法的嫌がらせだというColabo側の主張が認められたことすら読めていない。

by-king 別に監査請求することは悪い事ではないし、それの他にアウトな行動をしたからそれで罰せられた、って話なだけでしょ

 嫌がらせにもちいられたことを無視して監査請求の正当性を主張するコメントは、id:saihateaxis氏らのように他にもいくつかある。

saihateaxis 総括か。監査請求そのものに、善悪はない。実際不当と認められてる 暇空茜の誹謗中傷に関しては肯定してませんし敗訴は当然と思ってます

Capricornus 私は毎度のこと"誹謗中傷は被害者に訴えられて裁かれても当然"と言う事は言わせて頂いてる。それと住民監査請求は別の話と言うのはそんなにも難しい話かな?/ 書いたよ。


 興味深いのは、はてな匿名ダイアリー内に書かれたid:Capricornus氏の実際の返信を見ると、Colaboの主張通り一般的な会計ミスくらいしか見つからなかった住民監査請求そのものの話はせず、誹謗中傷を矮小化していること。
民事裁判は事実か否かではなく、どちらの言い分が正しいかが争われる

そもそもなんでこの判決に至ったか、システムをちゃんと理解しよう。

民事裁判では捜査があって確実な物的証拠があっての真実や事実を争うわけではないので、真実相当性と言う言葉が使われる。例えば“嫌がらせ”なんて証拠を提示しようがない曖昧なお気持ちが認められるのもそのため。

キモは暇空茜が真実相当性について主張する場に出席しなかった事。

裁判に暇空がちゃんと出席してたらどう変わってたかは知らんけども、この結果は事実かどうかとかよりColaboの『暇空茜が住民監査請求を行ったのは嫌がらせであったことが事実です』と言う言い分が通っただけ。

だから、この判決に無関係な人間は無関係なのよ。

 なぜこのような誤認を堂々と主張しているのかがわからない。
 たしかに司法の専門用語は一般社会と違うニュアンスをもつことは多い。しかし少しでも裁判についての報道を見れば、このような誤解をするはずがない。


 まず名誉棄損裁判でも、客観性が必要な主張か主観性が明らかな主張かは区別される。
 主張が「事実の適示」と判断されれば、いわゆる「お気持ち」ではない、客観的に正否が判断できる主張とされる。その正否を裁判で争うことになる。
 そこで主張が正しいと判断されれば、「真実性」が認められ、名誉棄損ではないと判断される。Colaboを批判する正当性を確保するためには、これが認められなければならなかった。
 ところが裁判で主張が客観的に正しいとは判断されなくても、その主張をおこなった時点で客観的に正しいと自認してもしかたないくらい根拠をあつめていれば、やはり名誉棄損ではないと判断される。それが「真実相当性」だ。
判例から学ぶ名誉毀損・真実性・相当性の完全ガイド|弁護士大熊裕司のブログ(著作権法・誹謗中傷対策)

 公表した事実が真実であるとまでは証明できなくても、発言当時に合理的な裏付け取材を尽くし「真実だと信じるに足りる相当な理由」があった場合、行為の違法性自体は残りますが 故意または過失が否定されるため責任が阻却されます。民事では不法行為責任を負わず、刑事でも故意を欠くため処罰を免れるという位置づけです。

 つまり「真実相当性」が認められて勝訴をしても、真実ではないと判断されれば、以降は同じ理由でColaboを批判する正当性は失われる。このように「真実相当性」が認められただけの場合は、むしろ暇な空白氏だけでなく無関係な人にとっても同じ批判はできなくなるわけだ*1
 認められたとしても主張の正当性を確保できない「真実相当性」を、なぜCapricornus氏がもちだすのかがよくわからない。


 もちろん名誉棄損裁判には公益性など、他の要素も争われる。
 たとえば罵倒をおこない感情を傷つけたかどうかを争う時は、罵倒された側がより強く罵倒していれば甘受するべきと判断されたりする。それで暇な空白氏が負けた場合は、真実かどうかではなく表現の汚さが問題になったと考えてもいいだろう。
 しかし弁護人の神原元氏へ暇な空白氏がしかけた裁判などで、逆にColaboを攻撃する多数の主張に真実性がないことが認定されている。引用した判決を読めば、真実性も争われていることが確認できる。
暇な空白氏の活動を弁護士の神原元氏が記者会見で「リーガルハラスメント」などと論評したことに対しても、裁判所が真実性を認めたばかりだよ - 法華狼の日記

 ざっと判決を読んでも、神原氏の主張の正当性がほとんど認められている。暇空茜こと暇な空白氏*1の攻撃と単純に相殺しただけとか、ただの論評だから許容されただけとか、そういう判決ではないのだ*2。
http://www.mklo.org/mklo/wp-content/uploads/2024/09/23741de4521936ade9ab8721273192fd.pdf

「暇空茜」の請求を東京地裁棄却 Colabo仁藤夢乃代表への差別意識を認定 | 週刊金曜日オンライン

神原元氏に名誉棄損されたとして暇な空白氏が訴え、逆に地裁判決で自説の誤りが認められた11の争点の表

 念のため、暇な空白氏の主張自体は弁護士をとおして裁判に提出され、検討されている。暇な空白氏が出席することで判決が変わる可能性はあったかもしれないが、判決を見るかぎり釈明の余地がないではないくらいの可能性だろう。


 ちなみに2024年10月にCapricornus氏が暇な空白氏の監査請求を当然の権利と主張した時、形式的にはColabo側の記者会見も当然の権利と私が指摘したことがある。
形式的に「当たり前の権利は保障されるべきとして暇空茜を支持する」というなら、「当たり前の権利は保障されるべきとして仁藤夢乃を支持する」ともいえるよね - 法華狼の日記
 あくまでCapricornus氏の意見をできるだけくんだだけで、タイトルだけでも留保しているし、それぞれを実際に支持できるかどうかは本文で検討している。
 するとid:kotobuki_84氏が、「ズレてる」とはてなブックマークでコメントしてきた。下記の反論によると、ハラスメントは当然の権利ではない以上、ふたつの立場は両立しない、という意味だったという*2
法華狼さんへの反論①

もしCapricornus氏側が正しいのであれば、仁藤夢乃の側のハラスメント呼ばわりが一転して『他者の当たり前の権利を否定するハラスメント』として立ち上がって来る。つまりこれは「いったいどちら側が人権侵害をやっているのか」という対立だ。

タイトル見て、いや全然そんな、どっちもどっちで両立しまっせみたいな話じゃ無かったよね? この人こういう党派性ありきでアクセル踏む読解力ゼロのインターネットぶつかりおじさんみたいな所あるよなあ~。という気持ちで以下のブコメを付けました。

 はてなブックマークを見ると、kotobuki_84氏の「反論」は比較的に支持されている。Capricornus氏も下記のようにコメントして、そのコメントにkotobuki_84氏がはてなスターをつけていた。

Capricornus 私も一時期法華さんととことん話たけど、持論ありきで話が通じないからそこで消耗しない方が幸せかな。でも、自分で自分の意見を表明しておくのは良いと思う。法華さんに通じずとも。

 法的嫌がらせというColabo側の主張が名誉棄損ではないと確定した以上、kotobuki_84氏はもちろんのこと、反論に同調したCapricornus氏らも暇な空白氏の監査請求が当然の権利ではなかったと認めなくてはなるまい*3
 ところがColabo側の主張が不当ではないと裁判所が認めてなおCapricornus氏は監査請求を当然の権利だと主張しつづけている。Colaboの主張が不当ではないと認められた現在、「どっちもどっちで両立しまっせ」という話をしているのは、私ではなくCapricornus氏というわけだ。

*1:もちろん、判決が不当だと考えて同じ主張をする自由も一応ある。また、真実性を認めさせるまで争う負担が大きい時など、真実相当性を争うだけで裁判が終わり、真実性について判決で判断できないこともある。逆に、裁判で真実性が綱渡りのように認められた場合は、それと似た多くの批判に真実性がないと実質的に認められるようなこともある。

*2:なお、さすがにそこまで不誠実とは思えず確信できなかったが、コメント欄でやりとりしたなかで、kotobuki_84氏は本文を読まずにタイトルだけで判断していたことを認めた。嫌がらせを当たり前の権利あつかいする主張を「いったいどちら側が人権侵害をやっているのか」の対立と解釈して否定せず、その法的嫌がらせに反論する権利について問う主張には「どっちもどっちで両立しまっせみたいな話じゃ無かったよね?」と否定したkotobuki_84氏、どうやら後者の主張をタイトルしか読んでなかった模様 - 法華狼の日記

*3:全面的に同意せず一部にのみ同調する場合も一般的には存在するが、kotobuki_84氏の当該反論は「どっちもどっちで両立しまっせ」という主張が成立しないという考えが根底になっている。

芝山努、死去

訃報のお知らせ |亜細亜堂・アニメーション制作

弊社元代表取締役社長 芝山努が、2026年3月6日、肺がんのため永眠いたしました。
享年84歳。

芝山は「ど根性ガエル」「元祖天才バカボン」などで作画監督を手がけたのち、映画「ドラえもん」シリーズを20年以上にわたり監督。

テレビ「ドラえもん」ではチーフディレクターを担当し、「忍たま乱太郎」「ちびまる子ちゃん」「まじめにふまじめかいけつゾロリ」など数多くの作品で監督、総監督を務めました。

 最後の監督作品は2011年の明石市の広報アニメ『明石と時の思い出』か*1。絵コンテも共同で手がけた30分作品で、ガンバを思わせるキャラクターやドラえもんのタイムマシンのような描写がセルフパロディ的で楽しい。

www.youtube.com


 もともとハイクオリティでハイスピードのアニメーターとして、『アルプスの少女ハイジ』における宮崎駿のようにTVアニメのほとんど全話のレイアウトを担当する力があった。

  • 野沢雅子

 その力を発揮するように他作品と同時並行したアニメ映画『映画ドラえもん』シリーズの超人的な仕事量は比肩するものがない。子供のころはそれが普通と思って観ていたのでわからなかった。
 4作目から監督に抜擢され、原作の連載と並行して長編アニメ映画を毎年つくりつづけ、原作者が病気で連載できない時期や没後もとぎれずに完成させた。21作目までは絵コンテもひとりで切っていた。
 他の一般的なアニメ映画を見れば、ひとりの監督であれば数年おきに公開することが通例で、1年1作公開するシリーズでは違う監督がつとめることが基本。
 同じようにハイスピードで仕事をする宮崎駿も、監督として1年間に1作品をつくったのは『となりのトトロ』と『魔女の宅急便』くらいで、後者は片渕須直のように前任の監督がいたし絵コンテも分担している。
 もちろん作画にまで細かく手を入れる宮崎監督と単純比較はできないものの、レイアウトにつかえるほど細部まで描きこんだ絵コンテで毎年のクオリティをコントロールしてみせるという判断もふくめて、職人をきわめた監督だった。


 監督作品はシンプルなデザインが多くて一見すると仕事量は少ない。
 しかし『映画ドラえもん』を劇場の大スクリーンで見ると、立体的に構築された空間に大小のオブジェクトが適切に配置されて、映画らしい迫力が感じられた。
 多くの作品はスタンダードサイズで制作され、DVDやネット配信でもそれが収録されているが、モニターの設定を変えるなどして、上下をカットしたビスタサイズで視聴して見てほしい。劇場を意識したレイアウトが楽しめるはずだ。

  • 大山のぶ代

 特に初期作品はTV放映や映像ソフト販売を重視していなかったのか、上下をカットしないと不自然に見える部分すらある。
 たとえば5作目『映画ドラえもん のび太の魔界大冒険』の冒頭で、巨大ジャイアンがおおいかぶさるように腰をかがめる場面がわかりやすい*2

画面中央に小さなのび太としずちゃん、画面の大部分を巨大なジャイアンがしめる画像。スタンダードサイズのためジャイアンの額まで見える。

 スタンダードサイズでは腰が不自然に折れて見えるし、おおいかぶさる動きを止め絵のスライドで処理していることが見えやすい。
 それが上下を隠すと、下半身だけ見えている状態からゆっくり顔がおりてくる脅威が見事に表現されている。

画面中央に小さなのび太としずちゃん、画面の大部分を巨大なジャイアンがしめる画像。ビスタサイズのためジャイアンの額は隠れている。

 顔の全体が見えないからこそ、ジャイアンの巨大さも感じられる。
 もちろん記録のためにも映像ソフトにはカットしない全体を収録してほしいところだが、あえて当初の意図にそってカットすることで演出の効果が発揮されることもあるのだ。
 現在の多くの人々が見ている状態より、芝山監督のコンテはずっとすごい。


 そもそも芝山コンテは背景まで細かく精緻に描きこまれ、完成作品より情報量が多く感じられることもあるくらいで、単独でも読み物として魅力があった。

映画ドラえもん「のび太とふしぎ風使い」絵コンテ集 (ジス・イズ・アニメーション)

『ドラえもん』の引退後も『まじめにふまじめ かいけつゾロリ』に提供したストーリーボードなどは、完成作品にはない独立したイラストとしての良さがあった。

  • ポプラ社

*1:作画@wikiのデータを参照した。 芝山努 - 作画@wiki【3/17更新】 - atwiki(アットウィキ)

*2:開始3分34秒。

『世界まる見え!テレビ特捜部』春は泣いて笑って驚いて!旅立ちのとき門出SP

「南米国境警備隊」は、恒例の空港税関。今回はコロンビアやチリの国際空港でさまざまな旅客が制止される。
 体内に麻薬入りカプセルを大量に飲みこんだり、荷物の追加料金まではらって大量の果物をもちこんだのに到着後に廃棄を命じられたり、これまで見てきたようなパターンが多い。
 ちょっと珍しいのは旅行に行こうとしていた黒人一家。数日前に学校近くで銃撃戦があり、10歳の男子が実弾をひろって宝物のようにもちあるいていた。それが発見されて問題になり、責任者として父親は拘束され、男子は泣け叫ぶ。母親は嘆いて叱責し、これまで他人に迷惑をかけたことがないのにと父親は落ち込み、逆に空港職員がなぐさめる事態に。検察の判断にゆだねられた結果、父親は解放され後日に当局に出頭して手続きをすませるだけで良くなり、予定の便には遅れたが旅行にも行けることになった。実際、そのような実弾が子供の手にはいるところにある社会の問題が大きいな、しかし実弾は暴発の危険もあるので飛行機にもちこむのは危ないな、などと見ていて感じていたので、悪くない落としどころだと思う。


「バチカン市国のスイス衛兵」は、歴史的な経緯から国内で教皇の護衛任務をおこなうようになったスイス衛兵の、新兵に密着。
 歴史的には1506年にユリウス二世がスイス人兵士を傭兵として雇ったことに由来するという。イタリア国内にある世界最小国家として、国外はイタリアが守るが、国内はスイスで厳しい条件をクリアした兵士が伝統的なカラフルな服装で儀礼に参加。
 しかし教皇が各国を訪問する時の黒スーツのボディガードたちも、スイス衛兵が着替えた姿だという。過去の暗殺未遂事件や、訪問を好んで人々とふれあうフランシスコ教皇についていく大変さ*1など、表向きの顔も見せていく。
 もちろん新兵の苦労も描いていて、どれだけ儀礼的に見えても軍隊らしく点呼には遅れることが許されないし、歩哨が重要な任務なので少しの前傾も許されないような直立不動で1時間立ちつづける訓練を受ける。歩哨の任務は4時間におよぶこともあるという。数少ない息抜きの酒も夜にビール一杯だけ。独身でなければ衛兵になれないが、恋人のいる者もいて、なかには二年間も離れている兵士もいる。


「アフガニスタンのラッパー少女」は、アフガニスタンから離れてイランに非正規滞在をつづけ、仕事をしながら歌手になることを夢見るソニータという少女に密着。
 少女の名前をタイトルにした2015年のドキュメンタリ映画をダイジェスト。サンダンス映画祭で高く評価されたらしい。

 良くも悪くも難民が身を寄せる場所としてのイランが描かれ、そこが米国によって無秩序に攻撃されている現在こそ、放送することに意義があるドキュメンタリだと思えた。
 もちろん、このドキュメンタリ内のイランでも、女性は人前でソロパートが歌えないという宗教の規制がソニータにふりかかるし、生活するためには児童保護施設の清掃員として日銭を稼いで生きるしかない。
 しかしソニータが故郷から逃げて、夢を見ようとする足がかりになっていることも事実。たしかにレコーディングは規制のため拒否されたり高額の費用を求められたりするが、ついに練習に協力してくれるところが出てきた。アフガニスタンから来た母親が、持参金目当てで60歳との結婚をソニータにせまり、児童保護施設の女性の先生が無力なりに親身に協力しようともする。
 ここで持参金の代替金をドキュメンタリ監督が求められ、葛藤して音声スタッフにも批判されながら支払う流れが、ドキュメンタリストという枠組みを超えているからこそ現代ドキュメンタリらしい個性が感じられた。
 最終的に監督に協力してもらって、ソニータ自身がアイデアを出して撮影した、強制結婚を告発するMVが世界的にバズり、米国で音楽を学ばないかとまねかれる。そのパスポートを入手するためにもどったアフガニスタンで弟たちはソニータのラップを口ずさんでいた……
 ちなみにスタジオで語られた後日談によると、現在のソニータはオックスフォード大学に在籍し、音楽をつづけているという。ICEが暴虐をはたらき、イランと大差ないトランプ政権下の米国にいないことが幸いだと感じてしまった……

*1:マンデラ大統領の護衛の大変さを描いた映画を思い出した。 『インビクタス 負けざる者たち』 - 法華狼の日記

『名探偵プリキュア!』第7話 大変!学校が迷路!?

 小林みくるの学校に転校した明智あんな。クラスでは小林の隣の席になり、探偵としてクラスメイトに名刺を配ってまわる。校舎が広くて教室の位置関係がわかりにくく移動が大変だが、小林が手描きの地図を書いてくれた。
 しかし移動していたふたりは、なぜか体育館にたどりつく。それはゴウエモンが校舎を迷宮化したためだった。ひとつの場所で謎を解くたびに、別の場所に移動させられるふたり。それはゴウエモンの作戦だったが……


 今作で初めてシリーズ構成ではない、佐多賢人による脚本。『名探偵コナン』の脚本を手がけたこともあるらしいが、東映アニメーションには初参加らしい。
 未来から来た明智が学校に入れた説明は台詞で終わらせるくらい転校イベントは早々にすませて、本筋のリアル脱出ゲームを思わせる謎解きが展開される。30分枠で終わらせるため謎のひとつひとつはクイズ形式ですぐに答えが出され、後半はショートカットして謎を解かせない。
 しかし扉を選ばせる最後の謎解きはけっこう出来が良く、敵が現れる前の日常にしっかり伏線がはられていて、感心させられた。テレポートのようなフィクションならではの移動方法もかかわってきているところが特殊条件ミステリのよう。アニメのような視覚情報でのみ解決できる謎解きでもある。
 ただ、主人公ふたりが謎を解いて羽根が舞う描写がBパートなかばに用意され、CM中に視聴者が考えるフォーマットにそっていなかったのがもったいない。最後の最後に謎を解くため、CMが番組終了間際になってしまうのを嫌ったためか。地図に線を引いた瞬間に羽根が舞う演出にすれば、ちょうどいい歯ごたえの謎解きになったと思うのだが。


 ゴウエモンがなかなかの快男子なところも印象的。
 後輩の森亜の面倒見がいいだけではない。いくらでもプリキュアに勝利できる瞬間があったし、マコトジュエルも先に見つけられていたのに、自分が提示した謎が解かれれば負けを認める。
 いわゆる脳筋な外見のわりに、時間制限つきの謎をしかけて、妖精についてさぐろうとしていた策略もいい。妖精についてはわからなかったとしつつ、プリキュアのアイテムの使用法を確認できたりはしていた。




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