午前2時という深夜、眠っていたところに父から突然電話があった。母の具合が悪くなり、救急車で病院に来たところだと。その時点では詳細は分からなかったため、そのまま父に任せ、何か分かったら連絡してと伝えた。
朝6時になっておおよその診断を電話で父から知らされ、今日は私は仕事を休むべきだと思った。父は救急外来で検査結果や診断の説明を受けて入院の手続きをした後、数時間待合室にいたが誰もいなくなり、ぽつねんと待っていたそうだ。電話でその状況を聞いた私は、受付とかに声かけて聞いた方がいいよと伝えた。そしたら待ってる必要はないとのことで、父はいったん家に帰った。
8時半以降、日勤帯になれば病院から父に何か連絡が来るのではないかと思い、そのときは父から私にも連絡するようお願いしていたが、連絡は来ない。父に「病院に電話してみては?」とメールで提案するも、していないようだ。仕事を休んだ私は説明を聞きたくて、とりあえず9時過ぎに父と一緒に病院に行った。その時間なら日勤帯になって主治医も決まってるだろうと踏んでのことだ。朝、晴れてはいたがとても寒い。父は「面会は14時からって言われたよ」と言うが、面会時間はその決まりでも、緊急入院の初日の説明はまたそれとは別ではないかと私は思った。夜中の救急外来で付き添っていた父に初見の説明をしたのが全てではあるまい。その後のきちんとした説明があるはずだ。
だが、病棟へ行ってみると、主治医の説明も原則、14時以降とのことだった。まあ、これはちゃんと電話で確認すればよかったのだろうけど、なんとなく入院当日に関してはもうちょっと早めのフォローがあるだろうと勝手に当たりをつけたのがいけなかった。主治医は本当に忙しそうだった(14時以降に何件も説明が入っているらしい)。
このとき10時頃。いったんまた家に戻るとして、情報を整理しようといったん病院内の椅子に座った。父が持ってる今回の入院関連の書類を見て、私は初めて母の本当の診断を知った。父が言ってたのと微妙に違う!そして、これはルーティンではあるのだろうが、急変時の蘇生をするかどうかの書類があり、父は特に私たちに相談することもなく希望しないにチェックを入れていた。まあ、母はここ数年閉じこもり気味で、拒薬もするし、リハビリもまあ頑張ってはいるが、そこまで積極的ではなく、心身の衰えが著しい。父もチェックしている通り、蘇生は希望しないのほうが自然だろう。この書類を見て私は、今日の14時以降の説明にはうちの弟も参加した方がいいと思った(6時の時点で状況は伝えてある)。それでLINEをしたが既読にならず、弟の職場に電話をかけた。電車で2時間かけて、弟も来ることになった。
実家に寄ったあと、自分の家に戻り、適当な昼食を取ってベッドにもぐった。今日は家の中も寒い。そして14時の説明を聞くために家を出ると、なんとしっかり雨が降っている。こんな日に寒くて、しかも雨なんて。
父は先に病院に着いており、弟の到着を待ち、三人で病棟へ向かった。ベッドで母は眉根を寄せて寝入っていた。声をかけても、かすかに動いたようにも見えるが、返事はない。体を横に向け、丸まるようにして寝ている。いろいろモニター類が付いており、母はそれを気にして右手で取ろうとしたり、髪や耳を神経質そうに掻きむしったりした。普段のちょっとしんどいときの母の仕草と表情だった。
その後、主治医の話を聞いて、父の話だけでは分からなかった初診時の症状を知った。ここ数日が山場であり、その後も後遺症は残るかもしれない。病状が落ち着けばリハビリ転院となるが、その後は自宅退院か施設入所となる。正直、母は現状でも自宅での生活はぎりぎりだった。後遺症の程度にもよるが、母が施設入所になるかもしれないという状況が、とうとうやってきた。
帰りに再度母に面会する。声かけに、一瞬だけ目を開いたが、すぐ閉じた。首をふってうなずいた様子もあった。
主治医にお礼を言って病棟を去り、姉弟で「なかなか、よろしくない病状やね」「いやぁ、思ったより悪かった」と言い合った。
母は骨折したので整形外科とリハビリには通っているものの、骨粗鬆症の薬は拒否しているし、内科にも健診にも行こうとしなかったし、こういうことがいつか起こるかもと危惧はしていた。なんならまた骨折するんじゃないかと思っていたが、今回のはあまり想定していない病名だった。ひとまず祈るしかない、お互いに健康に気をつけようと励まし合った。