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我々はどんな経済学者を必要としているのか? 単線から複線の考え方へ

という論文にタイラー・コーエンがリンクしている。原題は「What Kind of Economists Do We Want? From a One-Track to a Two-Track Mind」で、著者はMagnus Henrekson(Research Institute of Industrial Economics*1)、Lars Jonung(ルンド大)、Mats Lundahl(ストックホルム商科大)。
以下はその要旨。

We explore the challenges facing the current academic training of economists in small European countries like Sweden. The monolithic focus on publishing in the top-five journals, which prioritizes methodological rigor over problem-driven research, is often a threat to social relevance and policy applicability. This limits pluralism, excludes many talented economists, and fails to prepare graduates for non-academic positions. We propose a two-track model for PhD training and academic evaluation, emphasizing both traditional research and applied economic policy, tailored to the diverse needs of academia, public administration and business sectors. We also argue for broader evaluation criteria, enhanced interdisciplinary collaboration, and institutional reforms, including trial lectures and specialized research institutes. By diversifying incentives, we recommend a shift towards socially relevant and more inclusive education and practice in the discipline of economics.
(拙訳)
我々は、スウェーデンのような欧州の小国において、現行の経済学者の学術教育が直面する課題を追究する。問題への対応に基づく研究よりも方法論的な厳密さを優先し、五大誌に掲載されることにひたすら焦点を当てることにより、社会との関連性ならびに政策への適用可能性が疎かになることが多い。これは多元主義を制約し、多くの才能ある経済学者を排除し、卒業生に対し学界以外の職への準備を怠ることになる。我々は博士課程と学界評価について複線モデルを提示する。そこでは従来の研究と経済政策への応用の双方に重点を置き、学界、行政、企業部門の多様な需要に合わせる。我々はまた、より幅広い評価基準、学際的な協力の拡大、および、試用のための講義や専門研究機関といった制度改革を主張する。学問への動機を多様化させることにより我々は、経済学分野における教育と実務が、社会にとって重要で、より包括的な方向に変わることを提唱する。

現行の経済学の在り方や経済学教育への批判は本ブログでも数多く紹介してきたところであり、例えば五大誌の呪い - himaginary’s diaryで紹介したノーベル賞経済学者ジェームズ・ヘックマンの論説では、そのものずばりのタイトルで五大誌偏重の風潮を批判している。また、トップジャーナルへの投稿実績にこだわる人が見逃していること - himaginary’s diaryで紹介したコーエンのアセモグルへのインタビューや、不作為の罪と経済学の慣行 - himaginary’s diaryで紹介したアカロフの議論でも、同様の批判がなされている。

また、専門バカの育て方 - himaginary’s diaryで紹介した論文では、今回の論文と同じくスウェーデンにおける経済学博士課程教育に焦点を当てている。

学界マクロとFRBマクロ - himaginary’s diaryで紹介した議論では、サームの法則のクラウディア・サームが、FRBの実務のマクロ経済学と対比させる形で自分が博士課程で教育された学界のマクロ経済学を声高に非難し、それをクルーグマンが支持している。学界の最先端の金融経済学がほとんど使い物にならんという不幸 - himaginary’s diaryで紹介したブイターも同様に学界のマクロ経済学を声高に非難し、「過去約30年間に英米の大学で典型的に施された大学院のマクロ経済学と金融経済学の訓練は、経済全体の動きや経済政策に関する理解についての本格的な研究を数十年後退させたかもしれない。それは、私的な面でも社会的な面でも、時間と他の資源の大いなる無駄遣いであった」とまで述べている。
一方、配管工としての経済学者 - himaginary’s diaryで紹介したエスター・デュフロは、「どの細部が(どのように)重要となるかについて、我々のモデルはほとんど理論的指針を与えてくれない」と、実務(彼女の比喩的表現を使えば配管工としての仕事)と理論との乖離を指摘しつつも、「経済学者は良き配管工となるための専門の訓練を受けている」と現在の経済学教育は実務においても有意義であるとしている。こうした理論と実務の乖離についてのやり取りが最も尖鋭的な形で現れたのがおそらくスティグリッツIMF批判(経済危機に陥った国に対しIMFが教条的な緊縮政策を一律に適用しているという批判)を巡る議論で、スティグリッツのIMF批判への反論/ドーンブッシュ - himaginary’s diaryで紹介したドーンブッシュは、スティグリッツこそ理論しか見ておらず、現場で(デュフロのいわゆる)配管工事に汗を流している人たちを見ていない、と逆批判している*2

そのほか、古典を学ぶべき理由 - himaginary’s diary「死せる経済学者」と、経済学のアイディアの利用について - himaginary’s diary経済学は決着していない - himaginary’s diaryで紹介した議論では、ともすれば現在の経済学教育で軽視されがちな経済思想史を教えることの意義を説いている(2番目の論説は訓詁学に走ることの危険性も同時に戒めている)。

それ以外にも以下で紹介した論説で経済学や経済学教育に対する批判がなされている(これ以外にも経済学批判は多く紹介したと思うが、取りあえず「教育」「訓練」「学際」というキーワードで検索したもの)。

個人的には、どこそこの学術誌に誰それの経済学者の論文が掲載された、ということが一般の人々にとって持つ意味は、ある企業の担当者が社内で表彰されたとか昇進したとかいうことがその企業が提供するサービスのユーザーに取って持つ意味と同じようなもの、という感覚を抱いている。めでたいことではあるものの、ユーザーにとっては利用しているサービスの質が実際に上がることが重要であり、担当者の社内評価は二次的な意味しか持たない。同様に、日本人経済学者が経済学界で評価されたとしても、同時並行して日本経済が歴史に残るような低迷を続けているならば、そうした評価は「ユーザー」たる我々にさしたる意味を持たないだろう。それよりも「配管工」として実際の日本経済の問題に取り組んでいる経済学者の方を有難いと思ったり、あるいは専門家ではないなりに自分自身でその問題を考えてみたりする*3のは自然な成り行きのように思われる。それに対し「社内評価」を笠に着た経済学者が素人は黙っておれと言わんばかりの言動を繰り返すならば、そうした「社内評価」を偏重する風潮はその意味においても有害、と言わざるを得ないのではないか。

*1:cf. Research Institute of Industrial Economics - Wikipedia

*2:[追記]スティグリッツのIMF批判への反論/ロゴフ - himaginary’s diaryで紹介したロゴフのスティグリッツ批判も同趣旨と言えるだろう。こうした理論家的な立場からの実務への批判とそれに対する反論は、餅は餅屋…か? - himaginary’s diaryで紹介した永井陽之助氏のいわゆる「『あと知恵』(hindsight)の陥穽」に通じる話かもしれない。その点では、コロナ禍における疫病学者の対応に対する最近の経済学者の批判(cf. 経済学者と疫学者の暗闘 - himaginary’s diaryこちらのツイート)も、その「陥穽」に陥っている側面があるのかもしれない。ただし、後知恵であっても政策対応はきちんと事後検証すべき、という側面も当然ながら同時にあるだろう。

*3:cf. なぜブロゴスフィアでの経済はマクロばかりなのか? - himaginary’s diary




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