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鍋倉夫『路傍のフジイ』が描く-出会った人みんながトモダチになる夢-


『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載中の『路傍のフジイ』がおもしろい。おもしろい、というか沁みまくる。X(旧Twitter)のTLに出てきた"試し読み広告"にまんまと釣られた第1話に心撃たれてしまい、慌てて全巻を揃え、ページをめくるたびに胸を震わせている。無表情な三白眼の男の話に一体なぜここまで魅了されるのだろう、と繰り返し読みむ。なんというか、心の柔らかい場所をそっと撫ででくるような漫画なのだ、『路傍のフジイ』は。

40過ぎで非正規社員_独身男。
どう見てもサエない―――正直もう上り目ないよな…
真面目だけどなんかズレてるって言うか…正直ナメられてる。

もしかしたら…俺も10年後、ああなってしまうんじゃないか…いやだ…ああはなりたくない。

この人に比べたら俺はまだマシだ。
そこまでひどくない。俺は大丈夫だ。大丈夫…

同僚の田中から心の中でこんな風に思われている主人公のフジイは、40代独身の男性。人生で一度も結婚式に出席したことがないことからも友達はいないそうである。これといったスキルがあるわけでも、金を稼いでいるわけでもなく、存在感もなく、職場の同僚からは軽んじられている。傍から見れば、孤独で不幸な人間。“シアワセ”の凝り固まった価値観を押し付けてくる現代社会からは、取るに足らないと放置されてしまう存在だ。しかし、彼には誰にも知られることのない“魂の高潔さ”がある。慎ましいながらも清潔で快適な部屋で暮らし、本を読み、動物を愛し、甘いモノを嗜み、陶芸教室に通い、絵を書いては部屋に飾り、料理を楽しみ、ギターを覚えて、好きな歌を歌っている。藤井は人生というもの、限りある一回性の命を楽しんでいる。

田中:藤井さんはなりたいものとかなかったんですか?
藤井:なりたいものですか。う―――ん…不老不死。…ですかね。やりたいことも知りたいこともたくさんあって…永遠に生き続けられたらなって思うんです。でも…いつか必ず終わりが来る。だから価値があるんですよね。

第1話にて、彼の内面と暮らしぶりの一端に触れた田中は、考えを改める。

自分も将来藤井さんみたいになってしまうんじゃないかと思ってたけど…俺の大きなカン違いだ。とてもこんなふうにはなれない。この人がつまらない人間に思えたのは、俺自身がつまらないやつだからだ。

そして、田中は藤井に強く惹かれていく。話が進むに連れ、実はそういった人々がたくさんいて、凡人と思われた藤井は、“出会えたことを感謝するような存在”*1であることが明らかになっていく。藤井という人間の特筆性は、“資本主義からの脱却”と“博愛主義”という二点に集約されるように思う。それを紐解いていくキーワードとして、藤井が学生時代のゼミ発表において、“サンカの民”について研究を行っていたことが提示されている。かつての恋人に貸していたのは表紙から推察するに岡本綺堂や田山花袋のサンカ小説を編んだアンソロジー『サンカの民を追って』であろう。

サンカの民というのは、日本にかつて存在したとされている放浪民族で、定住することなく山野を渡り歩いて暮らしていた。そもそも本当に存在したのか定かではなく、被差別の問題なども孕む。しかし、国や役所に管理されることなく、法律にも縛られず、自由に暮らしていたサンカの民にロマンを見出した多くの小説家たちの題材にもなっている。藤井もまた、幼い頃から転校を繰り返し、職場も転々とする定住しない存在だ。また、なによりも社会の価値観に縛られずタフに生きる藤井は、このサンカの民に深層心理で惹かれっていったのだろう。藤井は執着しない。彼は結婚式には出席したことがないが、自分には友達は”いる”と考えている。

友達はいますよ。その時々で同じ何かを共有して、それきり連絡先も知らず、二度と会わない人もいますけど。今でも友達だと思っています。

移動を繰り返す彼にとっては、ほんの一時、交わるだけでいいのだ。第10話「台風の日」において、寄せ集めのメンバーでの一夜限りの共同作業が思いのほか盛り上がり、その中の一人からの「また集まりましょうよ」という提案を藤井がやんわりと断るエピソードにおいても顕著だろう。ある期間、強い交感を果たし、また独りに戻っていく。それでも、交わった人と人の間には何かが受け渡され、残っていく。藤井と交感を果たした同僚の田中と石川は、人間そのものを愛する力を回復させていく。

その夜不思議な夢を見た。いつもの商店街。そこにいたのは俺がこれまでの人生で出会い…興味を持たずに素通りしてきた人達。今まで一度も思い出すことのなかった…すっかり忘れていたはずの人達だった。俺はなぜか…彼ら全員の名前を憶えていた。彼らは俺のことを忘れていたけれど、俺は満足だった。

なんていうか…藤井さんを見てると人間そのものを少し好きになれるというか…

人を信じる強さが欲しい。藤井さんといるとそういう気持ちになるんだよ。

藤井さんといると、自分がいい人間になった気がするというか。いい人間でいようと思えるんです。


また、藤井は“人ごみ”が好きなのだと言う。

人が大勢いる景色が好きなんです。
コンサートとかでみんな同じ感動を共有してる景色も良いですけど、それが会場を出て歩き出し、やがて散り散りになって街に溶け合っていくのが好きなんです。みんなが感動をわかち合えるのはほんの一瞬でみんなそれぞれ独りに戻っていくんですよね。

そんな藤井の“群れ”を愛するフィーリングは、おでん、たこ焼き、イクラ、白子など劇中に登場する集合体をイメージさせる食べ物からも立ち上がり、作品を彩る。そして、藤井はそんな独りになって散っていく人々みんなが幸せであればいいと願う。

藤井:全員が幸せだといいんですが…
石川:そんなの無理ですよ、絶対。それは綺麗事だと思います。
藤井:全員の望みが叶うことは無理かもしれません。
   でも、幸せに生きることは可能じゃないでしょうか。

中村一義という音楽家が「全ての人達に足りないのは、ほんの少しの博愛なる気持ちなんじゃないかな」と歌った大名曲「永遠なるもの」(1997)を想い起こさずにはいられない。

愛が、全ての人達へ…。
あぁ、全てが人並みに…。あぁ、全てが幸せに…。
あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように

奇しくも中村一義は、1stアルバム『金字塔』において、「全てに溢れ、何かが無くて」と資本主義を評し、「町を背に僕は行く。今じゃワイワイ出来ないんだ。」と歌った。

第1話において、藤井が部屋の中(!!)で、田中にギターで弾き語ったってみせたことからも、『路傍のフジイ』とは中村一義なのだ、と結びつけずにはいられない。*2


「老後資金2000万円を確実に作る」「うわっ…わたしの年収、低すぎ…」「婚活」・・・電車に乗る田中を襲ってくる資本主義と競争社会からの広告*3の呪い。目を覆いたくなるような自己責任論と排他主義。そして、人間はどうしたって孤独という感情から逃れられない。この過酷な世界で、わたしたちが下を向かずに歩き続けるためにはどうしたらいいのか。ほんの少し交わった人に親愛なる気持ちを抱き続けること、すれ違っただけの人々の幸せを願うこと。ほんの少しの博愛なる気持ち。案外そんな簡単なものなのかもしれない、と藤井は教えてくれる。

*1:沖田修一による傑作映画でもお馴染みの吉田修一の小説『横道世之介』の天使性にも通ずる

*2:なのに、このエントリーの副題は中村一義ではなく、石川県のご当地アイドルJumpin’の「Magic Magic」という楽曲の一節から引用している。

*3:広告でこのマンガに出会ったというのは皮肉な話だ




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