前回こたつを片付けて冬との別れを書いたが、何年ぶりかの人から電話をもらい、新たな別れを知った。
その人というのは、私が当地に戻ってすぐ、友人に頼まれて手伝った日本語教室の生徒だったNさんだ。今参加している日本語教室ではなく、豊橋駅前の繁華街の雑居ビルの一室で開いていた。
Nさんは下のエントリーで、日本が戦争中この公園の松の木から松根油を取ったことを教えてくれた人:
私が戻ってすぐの頃にすでに豊橋で働いていたのだから、30年以上日本で働いていたことになる。当時の日本語教室の母体となっていた学習塾が閉まることになって、大勢の生徒さんが通ってくれていた日本語教室もやめざるを得なくなってNさんとも縁が無くなった。
それでも忘れた頃にふっと電話があったり、なぜか暮れに蜜柑を送ってきてくれたりということがあって、当時と同じ会社で働いていることを知り、義理堅い性格を再確認したりしていた。年齢を考えると、もしかしたら今回は退職ということになったのかも知れない。
Nさんが駅前の日本語教室に来ていた頃のブラジルは、給料をもらったら一か月分の食料や生活必需品を買い込んでおかないと、物価がどんどん高騰して買えなくなるような状況だと聞いた。そもそも仕事自体もないからこそ、教師だの税理士だのの資格を持つ人でも日本に来て工場で働いたりしていたのだ。
ルラ政権の現在のブラジルはどうなっているのだろう。Nさんはもちろん家族や友人と連絡も取り合い、時には里帰りもしたりしてあちらの事情はちゃんと分かっているのだろうけれど、30年以上も離れていた故国に帰るというのはどんな感じなのだろうと思う。
Nさんにとって、良い思い出のたくさんあるこの30年であって欲しい。また、長い時間を経て帰る故国での日々が、安らかな良い日々であることを祈りたいと思う。

当時の日本語教室の生徒さんたちと、地引網体験。