この間触れたばかりの、まず間違いがないという図書館がテーマの作品。しかも著者は中島京子さんとくれば、面白くないわけがない。
主人公は喜和子さんという何とも不思議な女性。そして帝国図書館(現在の国際子ども図書館)。建物だけれど、立派な主役。そして著者自身と思われる、語り手の「わたし」(以下ひらがなの「わたし」は作中の登場人物のこと)。
「わたし」は全館開館したばかりの国際子ども図書館の取材を終えて、そのままぶらぶらと上野公園に立ち寄り噴水の見えるベンチに座っていた。そこへ白い短い髪に奇天烈な装いをして現れたのが喜和子さんだった。
彼女は躊躇なくわたしの隣に座り込むと、やにわにポケットから煙草を取り出し火をつけた。煙にむせたわたしに飴を出し、「きっと花粉症だよ」なんて言う。あまりの屈託のなさに、初めのうち腹立たしく思っていたわたしもすっかり喜和子さんのペースに巻き込まれてしまう。
そうして始まったわたしと喜和子さんの交流は、その後15年にわたって続く。喜和子さんはこよなく樋口一葉を愛し、その樋口一葉が愛した帝国図書館を愛していて、わたしが小説家だと知った喜和子さんは、「図書館が主人公の小説を書いて」と言うのだった。
喜和子さんとわたしの話と、一刻も早く近代国家にならなければ不平等条約を撤廃できないと焦る明治政府が西洋をまねて作った図書館の物語が交互に綴られていく。図書館の話の部分はフォントを変え、ページの上下には飾りのラインも入るという凝った作りになっている。
私は一つの小説の中で、フォントを変えたりして作品世界を盛り上げようとするのがあまり好きではない(世界中で一大ブームになったとある作品はこれを駆使していた)が、この作品の作りはあざとさや不快感を感じるものではなかった。
帝国図書館を愛した人物として一葉にとどまらず錚々たる文豪たちが登場し、さまざまなエピソードが語られる。日清・日露そして関東大震災に世界大戦と、時代に翻弄される帝国図書館の運命にハラハラさせられる。
時代に翻弄されると言えば、喜和子さんもまた翻弄される人生だった。そして同じ時代、喜和子さんのような子供は数えきれないほどいたことだろう。
帝国が帝国でなくなって、名称を変えざるを得なくなる図書館。国のものから東京都のものになったりまた国のものに戻ったり。それでも健気に生き残り、図書館は今も国際子ども図書館として健在だ。
喜和子さんも厳しい時代の波にもまれながらたくましく生き、自分を貫き自由に生きた。喜和子さんの周囲の人物もいきいきと描かれ、とりわけ喜和子さんを愛した二人の男性(一人は大学教授もう一人はホームレス)の魅力的なこと。
二人の(一人とひとつ)主人公の波乱万丈の物語と、途中で語られる上野動物園の動物たちの運命に胸を揺さぶられ、読後しばらく感動の余韻に浸った。
以前『東京ハイダウェイ』を読んで、東京の行きたいところとして国際子ども図書館を記憶した。喜和子さんにはもう会えないけれど、帝国図書館には会えるのだから、これはますます国際子ども図書館に出かけなければ!
hikikomoriobaba.hatenadiary.com
【追記】
国際子ども図書館は『東京ハイダウェイ』以前に、テレビドラマ『名建築で昼食を』で知ったほうが先だったことを思い出したので追記する。
