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砂の世界

 狭小長屋で暮らしているため家族間で逃げ場もなければかくしごとも出来ない。この狭さを好意的に解釈すれば、狭さは人間関係を計測する試金石であるとも言え、仲が悪い者同士ならとっくに殺人事件が起こっている狭小具合でまがりなりにも5年10年と平穏に暮らしている我が家はよほど良好な関係であると言えますな、仲良しファミリーというやつです、ガッハッハ、しかしそれは犬猫が死んだのを虹の橋を渡ったと言い換えるのと同じようなものかもしれません、我が家は車に轢かれて死んだ動物の死体を手に持って道路からよけてあげた時にアスファルトに滲んでいたせつない血よりも狭い家でございますからして、まあそんなこんなで、なんにしても家は急に広くなりませんし家族の数も減りません、ですから狭い家に複数人で暮らすためのテクニックというやつを磨く必要があるわけなんですな、そう私が発言した時、会場の後方から手が上がった。
 「テクニックとは?差し支えなければご教授いただければと存じます」
 いま会場から良い質問が来ましたね。テクニックとはですね、互いに不必要な干渉を避けることでございます。一般的には必要とされるかもしれない干渉すら避ける時だってあります。私たちが会話をするのは一週間に一度くらいでございます。とにかく互いに干渉しない。相手を見ずに暮らすわけでございます。
 なんつうのかな、なにせ互いの動きがすべて見える家中でありますから、互いが互いの挙動に対していちいち「何してるの?」「どうしたの?」とやっていたら息が詰まって殺人事件が起こります。私など前世で二度妻に殺されていままた生をやっておるわけでございますれば今度は失敗いたしません、家族間の互いへの関心というやつは、それぞれのプライベートスペースがあってこそ成り立つものでございます。みなさん、ご自分の部屋をお持ちで?うらやましいですなあ。我が家のような、と言って賃貸ですが、我が賃貸のような狭小長屋民族は互いに興味を持ったり干渉なんてしていたら相手を殺したくなるだけです。だから互いに見ない、聞かない、見えていても目線を切って見えないことにしておく、そのようなテクニックを私にしても妻にしてもヒカリさんにしても自然と見につけておるわけでございます。

 ある日、妻と出かけて帰ってきたヒカリさんがビニール袋に入った何かをかくしておりまして、私は一瞬その方向に目線を向けしまったのですが、ヒカリさんが「これは見ちゃだめだよ」と言ったものですから何も言わずにすぐに目線を切った、つまり何も見なかったことにしたわけです。かくしごとが出来ない狭い家だからこそ、私たちの中では暗黙の連携のようなものが生まれておるのでございます。相手が子供であれ、こちらに対してよほど交流したいというような意思をわかりやすく示している、そのような場面意外では、特にこのたびのように「見ちゃだめだよ」的な物事に接した場合には、そこには金輪際触れずに視線をきれいにそらしておく、というような、気遣いというよりは平穏に生きるために身につけた所作ですな、それをその瞬間の私も発動し、ヒカリさんの「これは見ちゃだめだよ」に返事をすることもなく何も見なかったことにしたわけだが、そこはゆうて小学生のやることである。ヒカリさんが椅子の上に置いたその袋、「これは見ちゃだめ」と言った袋は、こちらが見ようとしなくても、透けた袋から中に入っている……その本が見えてしまっており、その本の背表紙には、見慣れた目玉焼きのようなロゴマークのようなものがあった。
 私がこのまえ出した本ではないか。

 その日の出来事はヒカリさんと一緒に出かけていた妻にとっても衝撃だったらしく、その日の晩、ヒカリさんが寝た後で珍しく妻がひそひそ声で私に語ったところによれば、妻とヒカリさんは昼、散歩中に小さな本屋に入ったらしい。そしてヒカリさんのぶんと自分のぶん、カゴを会計した後、店を出ようとするとヒカリさんが妻に「ちょっと先に外に出ていてくれ」と言ったらしい。妻は言われた通りに店を出て外で待っていたのだが、少しして出てきたヒカリさんは店にあった平民金子『幸あれ、知らんけど』を自分の財布から金をだして買っていたらしい。
 そういう時が来るとは想定していたものの、そういう時が来るのは私が予想したよりもだいぶ早かった。ただまあ、そういうのは、かくしはしないがわざわざ言うこともしていない、というような問題ではある。近所の店に行けば私の本が置かれているし、駄菓子屋の八雲商店主人は子供が小学生になったからそろそろその呼び名はやめてくれと何度言ったところで今でも私にむかって「平民さん」と呼びかけてくるし、とにかく狭い村であるから私はこれまで何度もヒカリさんの前で「平民さん」と呼ばれ続けていた。幼児の頃は誰やねんそれ程度だっただろうが、さすがに小学生ともなればそれが何を指すかはわかるだろう。ヒカリさんも相互不干渉の原則を守って私にはあえて言わないが私の平民金子性には早い段階から気づいていたはずで、とはいえ、『ごろごろ、神戸』はまだ大丈夫であった、と思う、あの頃はベビーカーやったからな。
 今や小学生である。でもなあ、何かを書いたり云々しているのだろうと理解はしながらも、しょせん子供は親のやることなんかには興味がない、という時代があと数年は続くだろうと思っていたし、もしヒカリさんが本を読まない子供だったらこの先も私のことは何も知らないままだっただろう。とはいえ私は『幸あれ、知らんけど』を作る時には本文だけではなくカバーデザインとかあらゆる段階で担当編集者に対し「これは将来子供が手にとる本だから、ヒカリさんが見て恥ずかしくないものを作る」と言っていた、でもあれですな、私が想定していた「将来」というのはヒカリさんが十代中頃とかそれ以降の話で、小学生時代であるとは思っていない。それに、家の本棚には出版社から見本で送られたやつが数冊並んでいるというのに、自分の金で買ってくるというのも想定外であった。

 翌日からは学校で読書週間みたいなやつが始まったようで、ヒカリさんは朝、私にかくすように持ったその本をランドセルに入れて学校に行った。ヒカリさんは今ごろ、教室の席でランドセルからその本を取り出している。小学生になる前に一緒に通学路を歩いた文章とか去年行ったばかりの石垣島の記述とかをどういう感情で読むんだろうか。思ったのは、小学生でも楽しく読めるように序文をもう少し明るい感じで書けばよかった……ということだ。全然関係ないけどこの前、犬の散歩をするために公園を歩いていたら同級生の父親から声をかけられて、つかぬことを聞きますが、お父さんは本を出したりしてますか?と聞かれて、出してます、と答えたところ、やっぱり、買いましたよ、あとぼくお父さんのXを前からフォローしてます、と打ち明けられる出来事があった。
 人生の半分近くをインターネット上で、架空の存在である平民金子として、自分は第二の人生のような気分で生きてきたわけだが、良くも悪くもそういう夢のような、砂で作られたような世界は次第に崩れつつある。神戸に来てからは、どんどん現実の生活が平民金子という砂の世界に侵入してきており、私が砂の世界で作り上げた本は今、ヒカリさんのランドセルの中に入っている。




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