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雨の中

 今ええとこやのに、というタイミングでインターホンが鳴った。しおりを挟み、本を閉じて立ち上がる。明るくなったモニターを見たがそこには誰も写っていない。宗教の勧誘が時々こういうせこいやり方をするのである。あいつらはモニターに写らぬ位置に立ち、こちらが不審半分で扉を開けると2人1組で姿をあらわして「子育て相談会をやっておりまして」みたいなことを笑顔で言いくさる。無人の路地を写して暗い廊下に煌々と輝くモニターを見ながら「あほの宗教野郎め」とイラッとしたのだが、同時に、今日は朝から雨が降り続いているため、万が一配達業者が来てくれているのだとしたらこの短い間ですら申し訳ないと気弱になり、気弱な気持ちがもたらす焦りが宗教屋への警戒心を上回ったため、あわてて階段を降りて玄関に向かった。しかしスリッパを履こうとした刹那、やはり配送業者であるならばモニターに写らないのはおかしい、扉の向こうにいるのは宗教屋に違いないという当初の疑念が再び湧き上がってきて、一瞬ごとに強くなる疑念は私の舌部と上アゴを密着せしめ予期せぬ、とはいえごく自然な吸着音を発生させた。つまり舌打ちをしてしまったのである。
 恨まれて火でもつけられたら大変であるという意味で、押し売りであろうが宗教屋であろうが舌打ちはまずい。でもまあ……ごく控えめな音だったため扉の向こうには聞こえていないだろう、なんにせよ、とノブをつかんで扉を開ける。するとそこには子の友達である仲本さんが傘をさして1人で立っていた。仲本さんは「ああ、パパさん」と私に挨拶した後「ヒカリさん、あした遊べるか聞きに来た」と言った。
 仲本さんが来るまで、私は本を読み、娘は台所でクッキー作りをしていた。読書の合間に様子を見に行くと、ヒカリさんはクッキーが焼けるのを待っている間オーブンの前に椅子を置いて漫画を読んでいた。クッキーの数が多く気長な作業であるため冷蔵庫の前にも漫画本が積み上がっている。ごちゃごちゃした台所の中心に、手に持った漫画から視線を外し上目遣いでこちらを見ているヒカリさんがいる。その様子を見て、掃除という概念などこの世界にはないのだとばかりに散らかった書斎に座りこちらをにらみつける坂口安吾を撮った林忠彦の写真を思い出したのだ。私はスマホではなくひさしぶりにデジカメを引っぱり出してきて写真を撮った。ファインダー越しのヒカリさんはカメラを気にせず視線を漫画に戻している。
 その時ついでに見たデジカメのモニターには、前回撮った写真がパソコンに取り込まれることなくそのまま入っていた。去年の10月にブリ大根を作った様子と、一緒に動物園に行った時の写真。使うたびに「やはりスマホよりもちゃんとしたカメラが良い」と思うがスマホではないカメラの実際の使用頻度などそんなものである。テーブルの上に置かれたカメラを触りながら、もしさっき台所で漫画を読むヒカリさんの姿を撮った時にそのままカメラを首からぶら下げていたら、なんとなく流れの中で、扉を開けた瞬間に見えた雨の中で立つ仲本さんの姿を写真に撮っていたかもしれないと思った。雨の中でぽつんと傘をさして立つ小学生。仲本さんもまた写真的な情景の中にあると思った。
 先日リコーがGRIVを発表していて、ひさしぶりにカメラを買いたい気分になっている。値段はいくらくらいなのだろうとAmazonで検索すると、発売はまだ遠い先の話のようで出てこなかったが、なんともなつかしいGR DIGITALIIの商品画像が出てきて「最後にこの商品を購入したのは2007年11月30日です。」と表示が出ていた。昔はてなダイアリーを更新していたら誰か知らない読者の人から8万円分のポイントが送られてきた事件から18年。誰が送ってくれたのかいまだにわからないが、当時から自分にはひとりだけ「この人ならこういうことをしかねない」と考えられる人がいた。けれどそれがもし当たっているなら当人はもう亡くなっている。あれから、GR DIGITALの三代目は買った。四代目も買った。次に出たやつがセンサーサイズが大きくなった現行シリーズのGRで、メキシコに行く前に買った。当時住んでいた三鷹にあった「けいちゃん」という焼き鳥屋で仕込みをするマスターの写真を撮った。先ほどひさしぶりにひっぱりだしてきたのは富士フィルムのX100Fである。買ったのが8年前。X100Fは今も何の文句もなく現役で使えており、ひと昔前と比べてデジタルカメラの寿命も長くなったと思う。
 昨日いつものように歯磨き前にフロスをしていると下の奥から三番目くらいの歯のところで糸が引っかかり、フロスが抜けなくなった。なぜ引っかかったかといえば、詰め物が外れかかっていたからである。そこに引っかかった。糸が詰め物と歯のすき間に絡んでしまったらしく、最終的にはフロスをはさみで切断してどうにかなったわけだが、心の引っかかりとして残るのは、私は先週歯科の定期検診に行ったばかりでその際詰め物部分についてわざわざこちらから「舌でさわった時になんか引っかかるような感触があって、くっつけてる部分がずれてる気がするんですよね」と今となってはきわめて正確な症状を訴えていたからである。その際、いつもの衛生士から「いちおう見てみますね」「大丈夫ですよ、なんともなってないです」などと言われ、(いや、確かに違和感があるんやけど)というようなやりとりを数度しながらそれでも自信満々で大丈夫と言われたものだから(まあそんなものか)と帰宅した、という出来事があった。あれから一週間、ほら見てみい、である。長らく世話になっている衛生士さんでもあるし、あんぽんたんめ、などとは思わないが、洗面所で口をあけて歯に引っかかったフロスをハサミで切断しながら、ほら、言うたやん、とは思った。
 歯のずれが朝から気にかかり、隙間から何かが入って虫歯になったらいややんけと警戒して何かを食べるたびに慎重に歯をみがいている。食べるのは歯が取れそうにないやわらかいもの。詰め物が取れてそれを飲み込んでしまったら余計な金がかかってたまらない。朝はプロテインと大きめのバナナ。ヒカリさんには納豆卵かけごはん。ヒカリさんはクッキーを焼く前にはパンケーキを作っており、昼近くだったか、プロテインとバナナだけではお腹がすいたのでバナナを食べようと冷蔵庫を開けたら2本残っていたバナナはケーキの材料に使われていた。あとで買いに行かないとなあ。
 雨がやんだすきを見て犬を抱いて小便をさせに行く。帰り道に駄菓子屋の八雲商店をのぞき「ぼくこのまえ岩波版の漱石全集を買ったんですけど、今度また集英社版も買ってしまったんです」と店主に話しかける。八雲さんが、ぼくは今、若い頃に読んだ本を再読する期間になっていて、トルストイのアンナ・カレーニナについて桑原武夫が書いたやつ、あれをもう一回読もうと思ってて、みたいな話をしているときに「買う?」「買おか?」みたいな話し声が聞こえ、背後から酔って調子こいてる風の大人の客が2人店に入ってきたのでその場を立ち去る。二葉亭四迷はウラジオストクで女郎屋をやろうとしていたらしい。女郎屋をやるとその地にロシア人との混血がたくさん生まれてやがてロシアを日本化出来るという愛国心から。数日前、ヒカリさんが学校から帰ってくるのが遅い時間があって、何してたんと聞いたら小鳥を埋めていたと答えた話、あれをいつかゆっくり聞きたいと思う。家に帰るとヒカリさんはまだクッキーを焼いている。「きみはそういう作業をいつもぼくが寝ているあいだにやってたんやな」と写真を撮りながら声をかける。ヒカリさんがお菓子を作っている時、私は夢を見ていることが多い。一瞬だけやんでいた雨が今も降り続いている。雨が降れば雨の音が家の中にいても聞こえている。昨日の夜から元気のなかった犬は昼頃には少し回復し、お湯でふやかしたドッグフードと大根と鶏むね肉を食べた。犬に頭から食べられてしまいたい。火事になったら火を消そうとするな。とにかく犬を強く抱きしめて。強く抱きしめすぎて死んでしまってもいいから強く抱きしめて。泣きながら八雲さんの店に駆け込め。泣きながら、といっても火を見た瞬間にきみはパニックになって泣いているやろうからそのままで、涙を拭かずに、八雲さんに駆け込め、ときつく言い残して雨の中をバナナを買いに出かけた。情景という言葉を使うたびに東京で夜勤仕事をしていた時に出会った源田君が「俺が撮っているのは風景というより情景だな」と言った言葉を思い出す。作業中のなんでもない会話だったからその時は適当に聞き流し前後の会話は記憶にないがその一瞬のやりとりだけいつまでも頭から離れない。逆もあるだろう。おぼえておきたいと思っているのにそんな言葉にかぎってすぐに忘れてしまう。たとえばエピソードや誰かの言葉をいちいちスマホにメモするのはそんな忘却への抵抗と言えるだろう。何気ない日常のやりとりの中に、一瞬で忘れてしまう物事の中にこそ普遍的な価値があるのかもしれないという嫌らしい目算があるのだろう。そのような目算の元からは何も生まれないのではないかと考える。言葉のゴミ屋敷が生まれるだけで。




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