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毎日新聞「中上健次」特集

いやーびっくりした。昨日(日曜日)、電車に乗って酒でも飲みに行こうかと駅に行くと、売店にでかでかと「中上健次」の文字が!野田佳彦でも石川遼でもなでしこジャパンでもなく、中上健次だよ。今年は亡くなって20年になるから、本屋に売ってる文芸誌で名前を見かける、とかなら普通なんだけど、駅のキオスクの宣伝ビラでこんな風に中上健次の名前を見る事になるとは思ってもみなかった(毎日かあさんと並んでいる…!この字面!)。この驚き、誰かに伝えたいんだけど、誰ならわかってもらえるだろうか。永久保存版だ!と思って急いで、写真に撮ったよ。その様子を見てるキオスクのおばちゃん変な顔してたけど。1面と、4面全部を使っての中上健次特集。毎日新聞そして棚部秀行記者、ありがとう…!

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僕のまわりには中上健次を読んでいる人、あまりいない。僕も特に自分から人にすすめしたりはしない。
でも今でも七月八月になると「枯木灘」を読み返す。今年も表紙のなくなった青い単行本を持って電車で旅をした。

柄谷さんは中上の5歳上。68年、遠藤周作さんの紹介で知り合った。文学理論面で大いに影響を与えた人物である。中上の仲人と葬儀委員の代表を務め、文学全集の刊行にも中心的な役割を果たした。その柄谷さんは全集刊行に区切りのついた00年ごろから文学の仕事から遠のいている。中上の死の影響が大きかったという。
 「作家がどう考えるか、批評家はどう考えるかを、人々が関心を寄せて耳を傾けた時期があるんですよ。いうならば、文学の力だったかもしれない。それがもう20年前からないんですよ。彼がいなくなって最初の10年は全集を出すのに頑張っていたけど、それが終わって、文学そのものの仕事はもうやらない、ということにしたんです」
文芸評論家の高澤秀次さん(60)は指摘する。「中上は湾岸戦争に反対を表明するなど、文学者として社会と密接に関わろうとしていた。ところが、その死を契機に『文壇』がまとまって社会に何かを発信することはなくなった。象徴的な中心が不在になった」。最近では脱原発の活動で知られる柄谷さんは「中上が生きていたら、デモの先頭に立っていたでしょうね」と語った。(毎日新聞2012年9月23日号 4面 中上健次 没後20年「新宮から新宿へ」棚部秀行)

もっと他の場所を抜き出そうかと思ってたんだけど、あえてここを。
なさけないけれど、僕は一人で人生を航海出来ているわけではない。舵輪を握っているのは確かに自分自身なんだけれど、それはとてもたよりなくて、要所要所で横や後ろを振り向いては、彼らならこの場でどちらに進むだろうか、と想像する。じっくり、じっくり想像する。
去年、僕は中上健次の事を考えたんだ。デモに行こうとする時に。たくさんの迷いがあったから。
そして、操舵室にやって来た中上健次は、僕にこう言った。




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