以下の内容はhttps://heimin.hatenablog.jp/entry/20101127/p1より取得しました。


ゴミ袋フック

R0017193
昨日の日記でカメラをぶら下げていたのはここ。ツイッターを見ていると日記を開いたらパソコンが固まってしまったって書いてる人もいたし、iPhoneだと全部見れないみたいだし、実際重いと思うんで、さすがに一日の日記であのサイズの写真を50枚以上のせるっていうのは暴挙な感じがした。あれ、最初から公開する事を前提にして時間ごとの予定を決め後日きちんと撮り直せばよかったかなあ…と今も少しだけ思う。でも僕の経験だと、撮り直すって事をやると、写真の一枚一枚は自分の思い描いた通りきちんとしたものになるんだけど総体として見た時に「ああ、しっかり撮れてるな」という以上のものにならない。全部計算出来てしまうって事は退屈だ。でも「全部計算出来てしまうって事は退屈だから」と言って何もせずにいるのは停滞だ。その間を一歩一歩進んで行こう。今も執拗にアパートの写真を撮り続けている。2001年にぼくは東京に引っ越してきた。「おれはこれからここで暮らしていくんだな」というささやかな実感があった。9月11日、アメリカでテロが起こった時、銭湯の脱衣所で体をふき、番台の脇でおじさんといっしょにテレビを見ながら「おれに関係ない。すごくおれに関係ない」と何故か強く思って町を歩いた。仕事を探す方が先だった。そのとき歩いた路地、寄せ集まった路地を包んでいた小さな町は、今ではもう跡形もない。町や人の様相はあっけなく変化し、気付けばこれまでの人間の営みなど何もなかったかのように地層ごと消滅する。都市再開発は、ぼく個人にとっては、あくまでもぼく個人にとっては、ただの暴力にしかすぎなかった。朝の九時から夕方まで、アパートが揺れている。開発は僕の部屋のすぐ裏手の民家にまで到達した。ブロック塀の隙間から顔を出した椿の葉や喉をケガした猫はどこへ行ったのだろう。巨大な更地に無造作に止められた自動車に冬の太陽の光が反射し僕はその眩しさに舌打ちする。意識しなければ。自分が今ここにいる事を意識しなければ。これは執着なのだろうか。夕日。線路にさす光。ぜんぶおれに関係する。なくなった銭湯は四軒。食堂は三軒。部屋に帰って布団に寝っころがり、踏切の音を聞いていた。




以上の内容はhttps://heimin.hatenablog.jp/entry/20101127/p1より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14