この夏は二週間ほど東北をぶらぶらしていた。北海道まで行こうかと思ったけれど行ってしまったら東京に帰らなくなりそうなのでやめた。昔からそうなのだけれど、何日旅行に出かけるときでも着替えは三枚だ。パンツ、シャツ、靴下、それぞれ三枚づつ。それ以下になると足りなくなるし、それ以上になるとたまってしまい、洗うのが億劫になる。洗うのはたいてい風呂場や洗面所で、次の日に公園にでも干しておけばすぐに乾く。洗濯物が乾くまでのあいだ昔はひまつぶしに煙草を吸っていたけれど今は吸っていないので仕方なく携帯でツイッターを見ている。時刻表を見ると、意外に電車の乗り換えに余裕がない事に気付き、なま乾きの洗濯物を丸めて袋に入れ、あわててカバンへ。そのまま電車に乗って、まだ早朝の、乗客の少ない電車の中で洗濯物を広げる。この時まで、ぼくは、久しぶりに北海道へ行こうと思っていた。でも車窓から見える海があまりにも青く、つい電車を降りてしまった。もう北海道へは渡れない。でもまあいいや。無人の改札を出て、初めて降り立った町のやけつく日差しには胸の痛みとなつかしさがあり、そのなつかしさは僕にはぜったい届かない場所からとてもよそよそしく両手を広げる。「でも十代の頃はきみだって、ここにとびこんでこれたはずだ」。ぼくはその声を聞きながら、喪失と疾走は似ている、響きがね、とぼんやり考えた。洗濯物を広げ、服もズボンもパンツも全部脱いで、誰もいない海にひとり入り、見るともなく水平線をただ視界に入れていると、うみねこが一声二声鳴いて、遠くでないて、この日記はまるで手紙みたいだ、僕は手紙なんて書くつもりはなかったのに。

