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「おばあちゃん」は誰のものか

ドラえもんの何巻だったか忘れたけど、のび太がクマのぬいぐるみを片手にタイムマシンに乗って死んだ祖母に会いに行く「おばあちゃんの思い出」という話があった。その話とは直接関係ないんだけど、ぼくは自分の祖母が死ぬ時まで「おばあちゃん」というのは自分だけのものだと思っていた。母方の祖母なので、自分ー母ー祖母、というつながりがあるのだけど、なぜか祖母との関係性において、真ん中に存在する「母」というのはすっとばされていた。と、書き方が悪いのでなんかややこしい感じになってしまったのだけど、要するに、ぼくは十代の頃、祖母の葬式で骨が焼かれる際、母がふいに叫んだ「おかあちゃん!いやや!」という声をきいてハッと目が覚めたような気がしたのだ。母というのは自分の母である以前に祖母の子供であるし、祖母は自分の祖母である前にぼくの母にとっての母なのだ。母や祖母、というのはあくまでも僕との関係性を指し示す言葉でしかなく、自分なんかが生まれる以前から二人は母と子であった。生まれた時から母はぼくにとっては母でしかないんだけど、その母というのが母であると同時に、いや母になるそれ以前から今に至るまでずっと、誰かの「子供」であった、というのを理屈ではなく体で感じたのはなんだか新鮮だった。理屈で言えば当たり前の話である。ぼくだけではなく誰でもそうだし、母だけではなく父だって、そもそも生き物っていうのはそういうものだ。でも理屈じゃない。なんつーのか、現実として、自分の母がこれから焼かれて行く棺にむかって「いやや!いやや!」と駄々をこねる姿を見たとき、母もまた、一人の子供だったんだ、と悟った。自分と同じように。そして遠い昔の20世紀の始め、祖母もまた一人の子供だったのだ。これは、おそろしいことだ、と思った。なんとなく。ばくぜんと。おそろしいことだ、と思った。ぼくはかなりおばあちゃん子だったので、祖母が入院してから死ぬまでの一週間ほどは、ずっと病院に泊まり込んでいた。入院する前だったか、一人暮らしする祖母の住む、マンションにぼくは遊びに行き、ベランダに咲いている朝顔に水をやりながら「なあ、死ぬのってこわい?」と聞いてみたことがある。この話は前に日記で書いたっけかな。祖母は笑いながら「ぜんぜんこわいことないよ」とぼくに言った。それから入院。死ぬ前の晩、夜中の病室でぼくは祖母が眠るベッドの上にあがり、彼女の体をうしろから抱きかかえ、お茶を飲ませていた。「退院したら何が食べたい?」と聞くと「おかいさん」と言っていたけれど、翌日の昼頃に祖母は息をひきとる。その日の朝、病室を出るまでぼくがずっと見ていたのは、ベッドに横になりながら、両手を天井にあげ、ずっと自分の手の平を見つめている祖母の姿だ。あのとき祖母は何を見ていたんだろう。茫漠たる海か?そんなわけないか。でも今でもたまに、その時のことをぼんやりと考えたりする。あのとき彼女は何を見ていたんだろう。そして「おばあちゃん」はいったい誰のものだったんだろうか。ぼくのものじゃない。それはたぶん、この子のものなんだろうな、と、ぼくは焼かれて出てきた骨の前につっ立って、骨をつかむことさえ出来ずに震えている小さな子供を見ながら思った。それはぼくの母だった。ぼくはうしろから彼女の肩に両手をそえて、棺からのぼる煙を見ていた。そして「大丈夫」と言ってみる。言ったすぐあとで「俺はいま大丈夫って言ったけど何が大丈夫なんやろうか?」と心の中で考えた。でもま、続けて「大丈夫やで」と声をかける。すると「あんた、おなかすかんか?」と母が言った。ぼくは急に彼女の肩に置いた手の、そのもって行きどころをなくしたような、なんだか恥ずかしいような気分になって、それで「すかへんすかへん、大丈夫や」と答えてポケットに手を入れた。「私もおかあちゃんといっしょに死にたいわ」と母は言う。そうか、そうか、と言ってぼくは空を眺めた。夏の日だった。「セミ、うるさいな」とぼくは横に立つ少女に言う。「おなかすいたわ。おかあちゃんのおかいさんたべたい」と彼女が答える。こめかみから頬にかけて汗が伝った。ただひたすらにセミの鳴き声。




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