初めてファミコンがうちに来たのは小学校4年生の時だったと思う。記憶違いもあるかもしれない。たしか、ギャラクシアンというゲームが出た頃の事。いっしょに買ったカセットは、マリオブラザーズとベースボール。当時はファミコンがものすごく品薄状態で、どこに行っても売ってなかった。それでもぼくはあきらめきれず、酔っ払った父親の手を引いて二駅離れたニチイのおもちゃ売り場に行くと、一台だけ売れ残っていた。ぼくは父の手を離し、初めて見るファミリーコンピュータに駆け寄って、必死に抱きかかえた。当時のファミコンは確か、定価14800円じゃなかったかな。安い買い物ではなかったけど、ぼくは小学生の頃から父親の仕事を手伝っていたのでいくらかの貯金があった。
うちに連れて帰ったファミコンはなかなかつながらなかった。今のゲームのようにビデオ端子で接続するのではなく、当時はRFナントカ端子で接続しなければならなかったので、そのやりかたがぼくにはわからない。父は結局短気をおこしてその日は接続をあきらめてしまい、ぼくはつながらないファミコンをもう一度箱に入れ直して布団の中に入れ、いっしょに寝た。翌日仕事から帰った父が二時間くらい格闘して「ヨシ、これで大丈夫や!」たぶん、あれほどのときめきはもう二度とないような気がする。初めてファミリーコンピュータがテレビにつながった日。チャンネルを2に合わせ、カセットを差し、電源を入れる。新しい世界。ぼくは目を見開いた。まばたきしてる間に世界が消えてしまわないように。「ようこそ。ぼくはマリオ。きみはどこから来たの?」「ぼくは大阪から来ました。小学校4年生です」ぼくはテレビの中に入り込んだ。8ビットの王国。新しい世界。マリオとルイージ。カニと亀。ファミコンは、奇跡だった。
ぼくの少年時代の記憶。そばにはいつもファミコンがあった。ゼビウス、スペランカー、マイティボンジャック、スターソルジャー、カラテカ、プーヤン、チャレンジャー、イーアルカンフー、ツインビー、テグザー、バンゲリングベイ、キン肉マン、魔界村、熱血高校ドッジボール部、スパイvsスパイ、影の伝説、がんばれゴエモン、六四三の剣、スーパーゼビウス(ゴールドカセット!)、キングコング(初めての2メガ!)、迷宮組曲、たけしの挑戦状 、さんまの名探偵、ポートピア、つっぱり大相撲、エキサイトバイク、ゼルダの伝説(ディスクシステム)…。もう、際限なくカセットの名前が思い出される。もちろん全部自分の物であったわけではなく、クラスの男の子たちの誰かが持っていたりして、それを貸したり借りたり誰かの家に集まったりしていた。
この時代の記憶はとても甘酸っぱい。ゲームが大好きだった。ファミコンだけでなく、駄菓子屋の前に置いてあるゲームもよくやった。やった、というよりは、ぼくの場合うまい人のプレイを後ろから見てるのがとても好きだった。当然の通過儀礼のように中学生の不良たちにからまれ「ジャンプしろ。オラ」とか言われた。昔流行ったスタイルで、ジャンプさせることによって小銭の有無を確かめ、カツアゲするのだ。100円ライターを分解して「カチカチ」と言われる器具(?)を作り、それをゲームセンターのコイン入れの部分にあてると機械が反応して、タダでゲームが出来るという噂だった。カチカチは微量の電流が発生するので、それを腕に当てるとビリビリした。銭湯の電気風呂とカチカチがその頃のぼくらの二大ビリビリだった。
今でも思い出すことができる。ツインビーとスターソルジャーが上手かったコニタンのこと。スーパーマリオブラザーズを買ったその日に家に呼んでくれたフジリンのこと。カラテカを買ってみんなからバカにされていたナカムラのこと。休みの日になると朝から晩までファミスタで対戦していたアッチャンのこと。4人ともぼくのファミコン友達だった。ぼくらのそばにはいつもファミコンがあったのだ。確か5年生の夏休み前。学校が終わってぼくとコニタンは二人で田んぼでカブトエビをとって遊んでいた。夕方になり、そろそろ家に帰ろうといって、二人でジャンケンカバン持ちをやりながら歩いているとコニタンがとつぜん「金子くん、もしぼくが、いなくなったらさびしい?」と言った。ぼくは「別にさびしくないよ」と言った。コニタンはその年の夏休みに、父親の仕事の都合で東京の学校に転校した。
ファミスタで朝から晩まで対戦していたアッチャンは、その後リトルリーグに入ってゲームではなく本当の野球が上手くなり、関西の某有名高校に入って甲子園を目指していたんだけど、部内でのイジメに苦しみ退部、住んでいた社宅から飛び降りた。ぼくとスーパーマリオブラザーズをやっていたフジリンは二十歳の頃に彼女といっしょにバイクで事故死する(それを知ったのはつい最近だ)。コニタンは転校して以来連絡もとれないけどたぶん今頃どっかで頑張って仕事しているだろう。ナカムラは去年できちゃった結婚し、先月、女の子の父親になった。さすがに小学生の頃から二十年以上もたてば、みんな色々だ。ぼくはこんな風にして、平民新聞というブログを書いたりしている。小学生のころは何にでもなれると思っていたし、その楽観的な気分みたいなのは別に今でもたいして変わっていないけれど、それでも小学校を卒業してから二十年たったぼくらには色々あった。死んだ人と生きてる人。ぼくらのそばには、いつでもファミコンがあった。あったんだよ。
先日、インターネットを通じて知り合ったid:Delete_Allさんがうちに来て、ビールを飲みながら夕方から夜明けまで、延々ニンテンドーDSのファミスタの対決をした。ぼくは今年34歳で、Delete_Allさんは35歳。二人で会うのは初めてだったし生まれた場所も育った環境も見てきた世界も、あらゆるもの全てがまったく違うぼくらには、共通の話題なんて何もなかった。でも、ぼくらにはファミコンがあった。あの頃のファミスタ魂みたいなものがあった。「忌野清志郎に乾杯!」そう言って始めたぼくたちオッサン二人のファミスタ対決。先発は誰にしよう、代打は?そんなとこでシュートなんて投げたって、そんなとこで外角に外されたって、今の俺は振らないよ。あの頃はシュートが魔球だった。大人になったぼくたちは、もうシュートなんて振らない。さあ、アッチャン、コニタン、勝負だ。ど真ん中に思いっきり、ストレートを投げて来いよ。
オッサンTV3/平民新聞とファミスタ対決篇+1986年、僕らはファミコンキッズだった(Everything You’ve Ever Dreamed)
http://d.hatena.ne.jp/Delete_All/20090504#1241442382
世界中に散らばる2009年のファミコンオッサンたち。
これからもセンチに生きのびよう。夢を見てる場合じゃない、
ど真ん中に思いっきり、ストレートを投げて来いよ。
