おれにはともだちもおらへんし、仕事もあらへんし、この先どうやったらおれは、ここから先にすすめるんやろうか…、ていうような悩みは、ぼくの場合は年をとるにつれ、すっかりなくなっていった。それはべつに、友達が出来たからでも仕事が見つかったからでもなく、しょーもないことはクヨクヨと、なやんでもしゃーないのだって事が、だんだんとわかってきたからだ。どっからくるんだろう、このさみしさってやつは…(金子光晴)じゃないけれど、何らかの欠落感というやつは、それを消しさる術を考えるよりも、どうやって受けとめるかってことを考えたほうが、往々にして、ラクな場合が多い気がする。さみしさの捨て場所を外部に探すよりはさみしさの置き場所を自分の中に探す方がたぶん、精神的によろしいんじゃないかと思うのだ。とはいえ探しものというのはいつだって探せば探すほどに見つからなくなるもので、今現在煮つまってる人も多くいるんだろうし、こういった言葉が例えば、十代二十代の頃の自分に通用するとも思えない。だから結局のところ解決策なんてないのだけれど、とりあえずなんとなく我慢して、膝を抱えてでも、無駄に年をとってみる…、てのも、もしかすると解決策の一つになり得るかもしれない。で、こういうこと、誰に言ってるかっていうと、やっぱり十代二十代の、自分より若い人らに言っているつもりなんだケド、彼ら彼女らの感じてるその気持ちってのを、根っこから理解できる程にぼくは想像力がゆたかではないし、たとえ想像力がゆたかだったとしても、アカの他人である彼ら彼女らに対して全力で向かいあうほどにぼくはやさしくない。第一、そんなのは要請されてもいない事なので、何を言おうがおせっかいになってしまうのだ。おっさんは、だまっとれ、みたいな。でもま、自分を傷つけたり他人を傷つけたりしなくても、ラクに生きていける方法はいくらでもあるかと思いますよ。「それがわからないから苦労してるんだよ」って言われるだろうケド。あまり考えなさるなよ。あの頃のおれも。そしてきみも。
携帯電話のメモリに、架空の友達の名前と、架空の電話番号を入れ、それを何百件か登録し、アドレス帳を満タンにして、毎晩それを眺めて楽しんでいたことがある。架空の名前といっても、ぼくの場合それは好きなミュージシャンの名前だった。その頃ぼくの携帯のアドレス帳には高田渡がいたし友部正人もいたし、ボブ・ディランやニール・ヤングやスライ・ストーンもいて、みんなそれぞれに電話番号があって、空想の中で、ぼくはいつでも彼らと会話することができた。十五歳の頃、だれかころせやしないものかと金槌を、自転車のカゴに入れ夜通し町を走った。けれどもぼくの住むところは田舎だったので、だれにも会うことはなかった。朝になる前にニワトリが鳴き、ぼくはバス停のベンチでたばこを吸った。ま、だれかに会ったところで、ぼくは何もしなかっただろうと思う。持っていた金槌で、クツについた泥をぬぐった。寒かった。一人の人間が、一人の人間として、当たり前に尊重される、というのは、いっけん簡単なことのように見えて、あんがい難しいものだ。ぼくは日雇い派遣の現場に長くいた時期があるので、あ、おれ今、ぜんぜんニンゲン扱いされてないよなぁ、え?オレ虫ケラ?プゲラ、なんていう気持ちは、ものすごくよく、必要以上に、身に染みて、わかる気がする。ひとくちに派遣といっても、もちろん現場や形態は色々だからアレなんだケド、あの頃の、毎日毎日、自分の精神の、わりと大事な部分がいとも簡単に擦り減っていくかんじ、サクサクと疲弊していくかんじというのはなかなか、説明しにくい。何事かについて、ぼくは直截に語りたいのだけれど、語る事を周到に避けている。なぜ避けているのかというと、直截に語りたいその内容と、直截に語る事によって相手に伝わるその内容というのは、おそらくまったく違うものとなるからだ。その距離はけっこう遠い。でも一人の、あきらかに大きく、道を踏みはずした人間に対して、あいつアホじゃね鬼畜生、馬鹿馬鹿なんてまったくの、他人事として言い切れる人間なんて、そんなにいないだろ。おれいま32歳で、友達そんなにいないケド、毎日けっこう楽しいよ。あのころよりずっと楽しい。だからいま、行き場所なくて袋小路のドン詰まりのドン詰まりのさらにドン詰まりにいて、膝をかかえてふるえてる人も、そのトンネル抜けたら、もしかすると、気持ちいい風が吹いてくるかもしれない。もちろん断言はしないけど。だから、急ぐ必要はないと思うんだよな。
毎晩夜通しおきていて、ぼくは
なんにもしてや、しないのです
(高田渡/火吹竹)