以下の内容はhttps://heimin.hatenablog.jp/entry/20060819/p1より取得しました。


中上の墓はおれの中にあり、おれは中上の墓を暴こうと思った

さて、一週間だか二週間だかワーワーやっていた中上企画も今日で終わりである。おれなりに、振り返りたい。


ルポルタージュ「紀州」を読み、いてもたってもいられなくなり「千年の愉楽」をポケットに入れ、そのまま電車に乗って新宮駅で降り、中上健次の墓を探しあて、当時気合充分だったおれは、周りに誰もいないのをいいことに、中上の墓を何度も何度もこぶしで叩いた。あげく墓に抱きついたりもした。無駄に興奮していたのである。その頃中上健次とは、生きているか死んでいるかに関わらず、おれにとってはまさに現在であった。


そして十年以上の時間が流れ、おれは中上健次を読まなくなっていた。
今回の企画に対し、もう少し時間があれば何とか……トカナントカ、苦しい言い訳を用意しつつも、中上健次についておれなりに考えてみよう、と思ったわけだが、結局のところ、おのれの過去を遡り記憶を遡る事でしか中上を語れないという、はっきりとしたおれの限界を感じただけである。要するに、ありありと現在であった中上健次が、過去になっていた。中上は、本当の意味で死んでいたのである。その、中上は死んでいたということを、まさにいま中上風に言い換えるならば、こうなる。中上健次は、おれが殺した。


おれがあの頃一番好きだったのは、「枯木灘」における次の描写である。おれが上に書いた文章とは何の関係もないのだけれど、そのまま引用して、シメとさせて頂きたい。

光が撥ねていた。日の光が現場の木の梢、草の葉、土に当っていた。何もかも輪郭がはっきりしていた。曖昧なものは一切なかった。いま、秋幸は空に高くのび梢を繁らせた一本の木だった。一本の草だった。いつも、日が当り、土方装束を身にまとい、地下足袋に足をつっ込んで働く秋幸の見るもの、耳にするものが、秋幸を洗った。今日もそうだった。風が渓流の方向から吹いて来て、白い焼けた石の川原を伝い、現場に上ってきた。秋幸のまぶたにぶらさがっていた光の滴が落ちた。汗を被った秋幸の体に触れた。それまでつるはしをふるう腕の動きと共に呼吸し、足の動きと共に呼吸し、土と草のいきれに喘いでいた秋幸は、単に呼吸にすぎなかった。光をまく風はその呼吸さえ取り払う。風は秋幸を清めた。風は歓喜だった。

tribute for (原文ママ) nakagamikenji

サンクスid:noon75
射精のようなトラックバックを捧げる
http://d.hatena.ne.jp/noon75/20060812/1154677458


■■とかなんとか■■後記■
こんなんで終わったらまるっきりインキクサイじゃないか!まったく!おれは骨の髄まで前向きなんだよもう!おれが中上健次から学んだのはハッキシ言って、息のネが止まるまで知的であり続けようとする意志なんだよ。で、知的の知ってのはもちろん言うまでもなくチンコのチなわけだけど、やっぱりちゃんと性交、じゃないや、読まないとな中上健次。


noon75&今回のやつにエントリとかコメントを書いていたシトたち&参加はしてないけど見ててくれたシトたちには、あらためて勝手に感謝しておきたい。他のシトが書いてたやつを読むのはとても刺激的だったよ。
また懲りずに会おうぜ。夏芙蓉に向かって、射精!




以上の内容はhttps://heimin.hatenablog.jp/entry/20060819/p1より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14